破り捨てろ!天国行きの片道切符!


俺は、火葬場のことを思い出していた。

畳敷きの和室で菓子を喰いながら、業火が親父の死体を焼くのを待っている。

窓から見える光景はすぐ近くで人が燃えているとは思えないほどにのどかで、

雲ひとつ無い青空を見ていると、いっそ雨でも雪でも降ればいいと思った。


母親は泣きも笑いもせずに、幼い俺の肩に手を置いて「頑張ろうね」とだけ言った。

俺は母親の言葉にうんともすんとも言わず、ただ黙って首を縦に振った。

父親が死んだと聞かされた時も、死体を見た時も、通夜の時も、葬式の時も、

泣かないように堪えていた。


父親がいなくなったのだから、めそめそと泣いてはいられない。

そんな子供なりの責任感のようなものがあったのだろう。


ぼんやりと待っていると、一時間ほどじっくりかけて、

親父が骨になるまで焼き尽くされた。


だが、邪鬼入が俺の肉体を骨ごと焼き尽くすまでに、

それほど長い時間は必要なかった。


そうして、俺は死んだ。

全く、くだらない人生だった。



死の言い換えとして、永眠という言葉がある。

永遠の眠り、嫌いな言葉じゃない。

食欲と性欲は金がかかるが、睡眠欲だけは無料だ。

それでいて、気持ちが良いのだから、いつまでも貪っていたい。


もっともブラックダークネスノワール(株)に入社してから、

ろくに睡眠というものを取った記憶がない。

労働というのは生きるために行われるものだが、俺達は死ぬために働いていた。

クソだ。


死んでようやく眠れるというなら、

それこそ死ぬほどの惰眠を貪ってやろうと思ったが、

不可解なことに俺は目を覚ましていて、

焼き尽くされたはずの肉体もきっちりと存在して、

そう柔らかくもない三人がけのソファーに座っていた。


周囲を見回す。

ソファーは何脚もあったが、座っているのは俺だけだ。

そう高くもない天井が、俺が屋内にいるらしいことを理解させる。

床はタイル張りで、安い俺の靴でも踏み鳴らすとカツカツと小気味良い音を立てた。

出入り口はガラス張り、自動ドアだろうか。

透明な割に外の景色を見ることは出来ない。

何らかの書類と、それを記載するためのテーブル。

そして、何かしらの窓口とそこでニコニコと笑みを浮かべている受付嬢。


殺されたのは夢で役所にでも来ていたか、あるいは役所に来ている夢を見ているか、

そのどちらかが現実的なところだろう。

だが、ブラックダークネスノワール(株)は現実を下回って悪夢的だ。

役所に行くような手続きは俺の知らない間に終わっているし、

こんな夢を見ることが出来るほど安らかな眠りなんてものは俺に与えはしない。

ブラックダークネスノワール(株)が俺に与えるものは、

労働と苦痛、そして葬式のために貯金される給与だけだ。


考えてもしょうがない、俺は窓口に向けて歩く。

受付嬢に「俺は一体何をしに来たんでしょう?」なんて馬鹿な質問をしてやるのだ。

俺に親切丁寧に説明をしてくれるなら最高だ。

怪訝な顔を浮かべるなら、少なくとも現実であることはわかる。


「すいません」

「申し訳ございません、番号発券機から番号札を取ってお待ちくださいませ」

「あー……はい」


俺、一人しかいないのに番号札もクソも無いだろう。

だが、別にそれに逆らおうとも思わない。

窓口の横の機械が吐き出した切符大の番号札を受け取る。

58846281――無闇矢鱈と数字が大きすぎる。


「58846281でお待ちの方、どうぞー」

番号札を受け取った瞬間に、受付嬢が俺に声をかける。

無意味だが、俺がやっていた仕事に比べればよっぽど可愛げがある。


「お待たせいたしましたー」

「待ってないけどな」

「でしょうね」

「……まぁ、いいか」


受付のそう柔らかくもない椅子に座る。

受付嬢はスーツが地味な割に、

髪色は金に近い明るさで、毛先を遊ばせたショートボブだ。

目の色は金色で、肌は白い――かといって、外国人に見えるわけでもない。

名札には春原と書かれているから、役所と言っても黒髪である必要はないのだろう。

ぼんやりとしていると、春原が口を開いた。


「さて、竹澤様、今回は死亡手続きに来られたということで」

「……マジで?」


2つの点で俺は驚いている。

まず1つ目、俺の名前を知っていること。

と言っても、俺が覚えていないだけで名乗ったのかもしれない。

2つ目、俺に死亡届を提出するような身内の人間は既にいない。

「いえ、貴方の勘違いですよ、フハハァ!」などと笑い飛ばしてやればいいが、

そういうことも出来そうになかった。


俺が死亡手続きを行うというのならば、

それはまさしく邪鬼入に殺された俺自身のことに他ならないだろう。

予想をしていなかったと言えば嘘になるが、

これが死であるというのならば、あまりにも現実味が無かった。


「もしもーし?続けていいですかー?」

「あぁ、はい……あの、俺本当に死んだんですか?」

「死んじゃいましたねぇ」

「あぁ……はい、続けて下さい」

「えぇと……竹澤さん……焼滅……焼滅死!?

 こんなの科学文明世界の日本で聞いたことないですよ私!?」

手元の書類を見た春原が目を見開いて大声で叫ぶ。

死神的な存在にとっても俺の死は激レアであるらしい。


「あー……なんか上司を殴ろうとしたら、

 何かしらの魔法的なので塵一つ残せずに焼き殺されたみたいな」

「そりゃまた……ハンムラビが憤死するレベルの過剰防衛ですねぇ……

 んー……焼滅死……焼滅死……前例無いなぁ……織田信長を参考にするかぁ……」

「弱火でじっくり殺したから織田信長に生存説が生まれてんだよなぁ」

「……書類面倒いなぁ、もっと簡単に死んでよお……」

「今の言葉は聞き流すとして、俺どうなるんですかね?」


死因なんてものはどうでもいい。

大切なのは死んだ俺がこれからどうなるかだ。

天国だの、地獄だの、輪廻転生だの、幽霊だの、人間が考えた死後は知っているが、

目の前の春原が何を考えているのかは全くわからない。


「ご安心ください、死後は一律で天国行きです。当然竹澤さんもそうです!

 地獄閉鎖!転生システム中止!

 貴方達が神を信じなくても、神は貴方達を愛します!

 だからもう、どんな極悪人でも天国に行けるようになってます!」

「天国って」

「そりゃもういいとこですよ、でっかいカピバラがいて、WIFI通ってますよ」

「おそらく良い所だが、ピンと来なさがスゴイ」

「まぁ、そんな感じなんで、死んでお得だなーって思いますよ、

 快楽はありますけど、苦痛はありませんからね天国」


死神的な感性の違いなのか、

春原という女にデリカシーが存在しないのかはわからない。

だが、ブラックダークネスノワール社(株)で働いているよりは、

死んだほうがよっぽどマシだっただろう。


「ちなみに、生き返ったりは……」

「イヤだなぁ、竹澤さん。死は不可逆ですよ。

 現世に大切な人を置いてきたって言うなら、

 天国でのほほーんと過ごしてればすぐに会えますよ?」

「いや、その……現世にムカつく人間を残してて」

「竹澤さんを殺した人ですか。よくないですよ復讐だなんて。

 ハッピーに生きましょうよ、貴方にはその権利があるんですから」 


春原の言うことは正しい。

死人は死んだままだし、復讐は正しくないし、

天国に行けると言うなら、邪鬼入のことなどは忘れ去ってしまって、

ハッピーに暮らしたほうが良い。

皆、天国にいるというのならば死んだ両親や、同期入社組にも再会出来るだろう。


「いや、無理です。俺邪鬼入を殴ってないんで」


邪鬼入は世界を支配するだろう。

そして、死んだ暁には他者を踏みにじったその足で天国に行くだろう。

四季だとか、重力だとか、宇宙だとか、

人が天国に行くというのは、そういう巨大な摂理のようなものなのだろう。

それにケチをつけるつもりはない。


だが、許せん。

死後の裁きが無いと言うなら、生きている内にぶん殴ってやらないと気が済まない。

天国に苦痛が無いというのならば、

生きている内に痛みを与えてやらないと腹が立ってしょうがない。


アイツのくだらん世界征服をぶち壊してやりたい。


「竹澤さん、気持ちはわかりますがー……」

「地獄閉鎖、転生システム中止って言いましたよね。

 それは、今は死の結末を一つにしてるってだけで、

 ほんとは他にあるってことですよね。

 邪鬼入を地獄に堕とせだなんて言いません、

 ただちょろっと俺を生き返らせてくれればいいんです」

「……無茶言わないでくださいよー」


春原が受付下で手を動かし、何かしら押すような仕草を見せた。

警報が鳴り、室内が紅く染まる。

鳥肌が立ち、心臓が早鐘を打つ。

野生の猛獣を前に、丸腰で立つかのような感覚があった。


おそらく、何かが来る。


「すいません、竹澤さん。

 後少ししたら、そういう神様が来て、貴方を天国に無理やり連れて行くので!」

「クッソ!俺がクレーム処理される立場になるとは!」


俺は立ち上がり、受付の椅子を持ち上げた。

固定されていない。思ったよりも重いが持ち運ぶには十分だ。

「うわぁっ!暴力は然るべき時と場所と手段を選んで下さい!

 今日は定時上がりですから、6時ぐらいに私の家で!鞭はどうでしょう!?」

「そういう意図じゃねぇーッ!!」

俺は椅子を持って、入り口まで駆ける。

ガラス戸の前に立っても、ドアは横開きにはならない。案の定だ。

「もしかして……!?」

「ぶっ壊れろォーッ!!」

自動ドアに椅子を叩きつける。

ここを出たところで、生き返ることが出来るとは思わない。

この建造物も天国の一区画で、外には天国が広がっているだけなのかもしれない。

それでも、ただ従って何もしないでいることには耐えられない。


ガラス戸にヒビが入る。

椅子を叩きつける度にヒビが広がっていく。

外に何が待ち受けているかはわからないが、少なくとも出ることは出来る。


「待ちなさい」

だが、そう上手くはいかなかった。

気づくと俺は警備員風の男に後ろから羽交い締めにされている。

と言っても、ちらりと見える青い制服からそう判断しただけだ。


壊れるだけ壊れて、

しかし閉まったままの自動ドアはまるで俺の人生のようだった。


「……竹澤さん、貴方が扉を壊せなくて心の底から良かったと思います。

 外に広がるものは、既に不必要になった……

 人間、いえ我々にとっても危険なものだけです」

「突然死んだと言われて、納得できないのは当然だ。

 やり残したこともあるだろう、それでも死は死。

 キミが今暴れたからと言って、罰を下すようなことはしない。

 大人しく、天国に行きなさい」


春原と警備員の言葉を聞きながら、それでも俺はもがき続けていた。

どう考えても俺が間違っていて、正しいのは向こうだ。

それでも「はい、そうですか」等ということは出来ない。

それほどまでに、俺はブチギレていたらしい。


「……諦めてください竹澤さん、その怒りは私に、今夜どうでしょう」

「今更諦められるか!」

頭突きを警備員に見舞う。

ダメージがあったのだろうか、俺を締める腕が緩む。

俺は再び、ガラス戸に向けて走り出す。

助走は足りているか、ガラスの破片が刺さるか、割れなかったらどうする、

そんなことは考えない。

体当たりでガラス戸をぶち割る、考えたことはそれだけだ。


俺の全体重が戸を破壊するための質量弾と化した。

ガラス片と血が飛び散り、全身に痛みが走る。

だが、俺は扉を破壊し――俺の身体は夜よりも深い闇の中へと飲み込まれていった。



「……わざと離しましたね」

「さて、な」

警備員は頭突きによって、ずれた眼帯の位置を整えると春原に向き直った。

老いた男である、白く長い髭をたくわえ、だが背はしゃんと伸びている。

その目つきは刃物のように鋭い。


「何を考えているんですか?

 竹澤さん、あのままだと貴方の弟……あの邪神と会うことになりますよ」

「楽園よりも地獄が良いというのだから、そうしてやっただけだ」

微かに頬を釣り上げて警備員が笑う。

「趣味の悪いことを……」


「古今東西、趣味の良い最高神なぞというものは存在せんよ」

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上司の圧倒的なパワーによるハラスメントを受けて肉体を粉砕された俺が復讐するまでの話 春海水亭 @teasugar3g

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