第17話 孫の言葉を話す猫

 その場の全員が衝立の向こうにいる行定ゆきさだに向けて視線を送る。それと見比べるようにたつみにも顔を向けた。

 当の巽に変わった様子はなく、視線を集めたことに驚いたのか、きょとんとしている。


「今のって……?」


 衝立の向こうから冬華とうかの声が聞こえた。


「巽の言葉サ。心の声っていうのカナ? 行定を媒介して、巽の心の声をボクたちは聴いたんだヨ」


「どういうことだ? お前、いったい何をしたんだ?」


 直人なおとは目の前で起こったことに理解が追い付かず、困惑の声をあげる。


「簡単なことだヨ。ベルが行定に売りつけた魔法を思い出してごらん」


「メアリーベルが売りつけた魔法……。思考リンク、だったか?」


「そのとおり。思考リンクっていうのが、どういうことかは分かるヨネ?」


「文字どおり、誰かと自分の思考をつなげて、お互いが考えていることが分かるってことですか?」


 メルの問いに真っ先に答えたのは春華はるかだった。


「うん。そういうこと! 行定が受け取った魔法は、対象が一人に限定されているけれど、選んだ者の思考を読み取ることができる魔法だヨ。さっきボクがその一人を巽に定めて魔法を発動するように促したから、巽の思考が行定に流れ込んだんだろうネ。初めての経験だし、びっくりしたのもあって、無意識に声に出してたってところカナ」


 こともなげにメルは言ってのける。しかし、その言葉をすぐに理解できる者はいなかった。


「おじいちゃん。どこにいるの?」


 理解よりも先に巽の言葉を行定が発するという事実が、再度その場の全員の前に訪れる。


「わしは衝立のこっち側だよ。でもね、姿を見せるわけにはいかないんだ。巽がびっくりしてしまうからね」


「どうして? 僕は大丈夫だよ。おじいちゃんに会いたいよ……」


「巽……」


 行定を目の前にして、冬華は思わず涙を流していた。その目には祖父と孫の再会が確かに映し出されている。

 実際には行定が一人で語り続けているだけなのだが、声の温度や語り口調、声音から、二つの言葉がそれぞれ別人のものであると理解する。それは理屈で説明できるものではなかった。


「巽。猫は怖いかい?」


 唐突にメルが巽に声をかける。


「うん。怖い……」


 訊かれた巽とは反対方向にある衝立の向こうから、行定の声で巽の言葉が返ってくる。


「どうしてだい? ボクも猫は大嫌いだけど、怖くはないヨ。あんなもの、ただの小動物じゃないか」


「でも……。おじいちゃんが消えちゃったから……」


「行定を消したから、その元凶である猫が怖いんだネ? でも、キミは猫を一匹しか知らない。人間にだって、悪い人間もいればいい人間もいるだろう? だからって、人間全部が怖いかい? 猫だって同じだヨ。キミが初めて見た猫は、たまたま最悪の猫だったんだ。いい猫もきっといる。……まぁ、ボクにはそう思えないけど、キミはそう思ったほうがいい」


 最後の最後に何を言ってるんだよ、と思いつつも、直人は感心してメルの言動を見ていた。春華の言った「メルちゃんはユッキーさんを気に入っている」というのは、あながち間違いではないらしい。メルが誰かをここまで思いやることはあまりない。


「これからキミが対面する猫は、行定なんだ。でも、きっとキミにはそう思えないだろうネ。見えない何かに邪魔をされる。それは仕方のないことなんだヨ。でも、怖がるのだけはやめてあげてほしい。それだけで、キミもその猫も救われるはずだヨ。いいかい? キミが他人の声をようになったのは、誰のおかげだい? ボクだろう? 少しでも感謝の気持ちがあるのなら、ボクの忠告を素直に聴くべきだ」


 やや脅迫めいた言葉に巽は、ゆっくりとおそるおそるうなずいた。その動きから、必死で猫への恐怖心を打ち払おうとしているのが分かる。


「いい子だネ。心の準備ができたら教えておくれヨ。行定に出て来てもらうからサ」


 もう一度深々とうなずいた巽は、少しの間目を瞑った。

 誰も言葉を発さない。巽はまぶたの裏に大好きな祖父、行定の姿を思い浮かべていた。

 ゆっくり時間をかけて心の準備をしてから、メルに合図を送る。それを受け取ったメルは、行定に衝立から出てくるように告げた。


 ばつが悪そうに現れた行定を見て、巽は目を見開く。口元に手を当てて、必死で悲鳴を上げるのを我慢していた。


「巽や……。本当に、すまんかったな」


 行定の言葉に巽は首をぶんぶんと振るう。


「こんな姿になったわしを許してくれるか?」


 続く行定の言葉に巽は首を傾げる。


「猫……さん。おじいちゃんの真似をしているの?」


 自らの口から出た言葉に誰よりも行定が驚く。メルはやっぱりなという顔でその様子を見守っていた。


「真似じゃない。わしなんだよ……。わしがお前のじいさんなんだよ」


「そんなわけないよ。おじいちゃんが猫だなんて……。そんなわけない。でも……ありがとう。僕のためなんでしょ?」


 言葉を失った行定は曖昧にうなずく。


「うん。やっぱり世界のことわりが効いているみたいだネ」


「どういうこと?」


 何か確信を得た様子のメルに冬華が尋ねる。


「行定の二番目に大事なものを考えてごらんヨ」


「ユッキーの二番目に大事なもの……。一番大事なものは、孫の巽くんだよね? 二番目かぁ……」


 メルの問いかけに冬華は首をひねった。隣で直人も首をかしげている。一番目は分かりやすいが、二番目は難しい。


「巽くんのおじいさんでいられること……ですか?」


「そういうことだヨ」


 春華の言葉をメルは肯定した。


「行定が失ったのは、だヨ。たぶんネ。だから、いくら目の前の猫が行定だっていう証拠を積み上げても、巽は決して受け入れないヨ。残念だけどネ。それが代償だヨ」


「そんな……」


 冬華は思わず口をふさぐ。


「仕方がないヨ。世界の理を破ったのは事実なんだ。その責任は取らなければいけないヨ。ボクにもどうすることもできない」


 決まりきったことだとばかりに言うメルに、行定に対する同情の気配はない。行定を評価しているメルではあるが、自己の行動に伴う責任は取るべきであると考えている。したがって、仮にメルの力で世界の理を覆せたとしても、行定に力を貸すことはなかっただろう。


「あの……。つまり、どういうことでしょうか……?」


 途中から完全に置いてけぼりにされた久道くどうは、静かに遠慮がちに声をかける。


「あぁ。つまり、今までどおりキミのところで巽の面倒を見ておくれヨってことだネ。ペットの同伴を可にしてもらえるカナ?」


 メルは行定のことを簡単にペットと言ってのける。失礼であるし、無神経でもあるが、メルなりに精一杯二人の今後に配慮した結果の言葉だった。


「は、はぁ……。それはかまいませんが……」


「今までは筆談の必要があったけれど、この猫さえいれば、これからはその必要がないんだ。十分だろ?」


 久道はいまいち状況が飲み込めないながらも、そういうものかとうなずく。


 直人から再度丁寧に説明を受けて、しっかりと納得した久道と永崎は、日が暮れる前に巽と行定をともなって、学校へと戻って行った。




 行定たちがいなくなると、事務所は急に静かになった。


「なぁ、メル。お前はどの辺りからこうなることが分かってたんだ?」


「なにがだい?」


 直人の質問に、メルはもそもそとチョコレートを頬張りながら尋ね返す。


「だから、巽くんのお母さんの魔法とか、東条さんが売りつけられた魔法とか……。それを使って、巽くんと東条さんの問題を解決するとか。今回は、ずっとお前の言うとおりになってた気がするよ」


「なぁに言ってるんだヨ。いつだって物事はボクの予想から外れたりしないヨ。でも、そうだネ。あえて言うなら、ベルを最初に見たときから、カナ。あいつが絡んでいるとなると……もしかしてって……ネ。まぁ、でも実はボクも出来すぎてるとは思ったヨ。ナオたちほどじゃないけどネ」


「えっ!? メルちゃん。最初からあの猫ちゃんが魔女だって分かってたの?」


「そりゃもちろんっ!!」


「なんで言ってくれないのよ〜」


「言ったって信じないだろう?」


 そう言われると思い当たる節があるのか冬華は、「なるほど。たしかに」と呟く。


「なにはともあれ、最高の形ではないですけど、問題が解決してよかったですね」


 春華は冷静に一連の出来事を総括する。春華の言うとおり、最高の形ではない。しかし、考えうる中では一番マシな結果だと直人は思った。


「あ〜〜〜っっ!!!!」


 一件落着の空気が流れる中で、冬華が大声を上げる。


「ど、どうしたの!? 冬華さん」


 驚きながらも直人が尋ねると、冬華は興奮気味に言った。


「費用!! 報酬!! お金!! 今回の仕事分のお金。まったくもらってないよ!!」


 春の日差しに包まれた事務所内に冬華の絶叫がこだましていた。

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