第12話 魔女と魔女

 直人なおとたちの視線は、突然現れた一匹の黒猫にくぎ付けになった。

 黒猫は、集まる視線などどこ吹く風とばかりに朝比奈あさひなの机の上で、音もなく優雅に腰を落とす。


そう。どうしたというのです? 下品な笑い声をあげて……。あなたらしくありませんよ」


 朝比奈を気安くファーストネームで呼んだ黒猫は、朝比奈と同じようにシルクハットを頭に被り、タキシードを身に纏っていた。首には鈴の代わりに大きな蝶ネクタイが結ばれている。

 一目見てすぐに朝比奈と深い結びつきのある猫だということが分かる。


「申し訳ありません。メアリーベル様」


 朝比奈は、素早く立ち上がると奇妙な黒猫に向かってうやうやしく頭を下げた。対してメアリーベルと呼ばれた黒猫は、大きな反応を示さない。

 お互いが醸し出す雰囲気が、朝比奈とメアリーベルの関係性を如実に物語っていた。


「それで……。揃いも揃って何の用です? メルティオラ。貴女が直々に現れるということは、それなりの用件なのでしょう?」


 目玉だけを動かして朝比奈を一瞥したメアリーベルは、座ったまま長い尻尾をくねらせる。それ以外は、微動だにしない。ガラス玉のような目も相まって、まるで置物のようだ。

 メアリーベルの挑発的で見下したような物言いは、初対面の直人たちに嫌悪感を抱かせる。


「ふんっ。キミの方こそ。人間には、興味がなかったんじゃないのかい?」


「興味がないなど、とんでもない。人間は、実に興味深い観察対象ですよ?」


「ふ~ん……。わざわざ見に出向くほどの価値はないんじゃなかったっけ? ……まぁ、いいけど。それより、随分と余裕じゃないか。ボクがここに来た理由は、言わなくても分かっているんだろう?」


「さぁてね。あのチョコレートという食べ物を取り返しに来た……というわけではなさそうです。まさかとは思いますが、私が恋しくなりましたか?」


「そんなわけないだろう? できることなら、キミの顔なんか見たくもないヨ。だいたい、なんだい? その姿は。まぁ、キミにはお似合いの姿だけどネ」


「……まったく。減らず口は、相変わらずですね」


「それはボクのセリフだネ。だいたいキミがこっちに降りて来てるなんて、びっくりだヨ。心配にすらなる。大丈夫? その姿でリッキーには会えているのかい?」


「気安く、その名前を口にするんじゃないっ!!」


 二人の舌戦はメアリーベルの大声で、ようやく途切れる。しかし、どうやら終わりではないらしい。


「呼ぶなら、リッケンバック様と呼びなさいと何度も言っているではありませんか。貴女は、やはり記憶力が乏しいと見える。犬のくせに脳みそは鳥並みですか? それとも……」


 すぐに落ち着きを取り戻したメアリーベルは、挑発的に自分の頭をトントンと小突くと、たっぷりと間をとった。そして、おもむろに口を開く。


「そこの猫のように、ましたか?」


 ゆっくりと時間をかけたメアリーベルの言葉が、静まり返った中、まるで頭の中に直接語りかけるように強く響いた。その言葉から、メアリーベルが直人たちの目的を理解しているのは明らかだ。


「まさか、それって……?」


 驚く直人にメルが答える。


「そうだヨ。行定ゆきさだの記憶を奪ったのはこいつだ。間違いなくネ」


 それを聞いて再び全員の視線がメアリーベルに集まる。


「そうなんだろう? キミは、主に精神操作系の魔法を回収しているヨネ? 記憶の奪取は、精神操作の一種だ。ついでに言うと、魔法売買にもキミが関係しているんだろう? 全部キミの仕業というのなら辻褄が合うヨ。唯一、腑に落ちないのは、キミが特定の人間とパートナーを組んでいるってところカナ」


「パートナーなどとは、畏れ多い。私はメアリーベル様の忠実なしもべ。パートナーなどではありません」


 朝比奈が慌ててメルの言葉を訂正する。異常なまでにメアリーベルを慕っている。その姿は、もはや、狂信者だ。

 しかし、そんな朝比奈をメルは気にも留めない。


「そんなことはどうでもいいヨ。キミがメアリーベルをどう思っていようとボクには関係ないからネ。で、どうなんだい? メアリーベル。全部キミの仕業で間違いないヨネ?」


 全員の視線を集めたメアリーベルは、余裕たっぷりに尻尾を揺らすだけで何も答えない。時間が進む音だけが聞こえた。

 やがて、しびれを切らしたのはメルの方だった。


「……まぁ、いいや。初めからキミが素直に認めるとは思っていないし、黙っていても同じことサ。キミが行定から奪った記憶と魔法は、元に戻してもらうヨ」


「元に戻してもらうって……。メルちゃん。そんなことできるの?」


 雰囲気にのまれて消え入りそうな冬華とうかの声にメルはあっさりと答える。


「できるヨ。だって、魔女だもん。そうだろう? ベル」


「ふふふふふ……。気安く愛称で呼ばないでいただきたい」


 ようやく言葉を発したメアリーベルは不気味に笑ったあと、不快そうに顔をゆがめた。


「元に戻す、ですって? なぜ私がそのようなことを?」


「なぜ? ボクが希望するからサ」


「馬鹿なことを……。なぜ私が貴女のために。断ったらどうしますか? まさか、力ずくで奪うとでも?」


「そんな野蛮なことはしないヨ」


「そうでしょうね。では、どうするというのです? あなたのような愚か者に何ができるというのですか?」


 メアリーベルは、相変わらずの挑発的な態度を崩さない。


「リッケンバックは、このことを知っているんだよね?」


 脈絡のないメルの言葉にメアリーベルの長い尻尾がピクリと揺れて、動きを止めた。


「……リッケンバック様は、関係ありませんよ」


「その様子だと、リッケンバックは、このことを知らないネ?」


 余裕を含んだ表情はそのままに、メアリーベルは沈黙をもって答える。黒い毛がサワリとなびいた。


「キミが人間とどういう風に関わろうと、ボクの知ったことではないヨ。だけど、リッケンバックは……キミのご主人は、どう思うのカナ? たしか、魔女が積極的に人間と関わることを嫌うんじゃなかったかい? キミの行動を許すのカナ? まさかとは思うけれど、あれほどリッケンバックに心酔するキミともあろうものが、独断でこんなことをしているわけではないヨネ? いや、でもリッケンバックが許すわけがないから独断なのカナ? 本当に大丈夫なのかい? リッケンバックに知られたらまずいんじゃないのかい?」


「貴女ごときが、どうやってリッケンバック様に伝えると言うのです? 私でも滅多にお目にかかることができないお方なのに。ラムズフィールド様の使いである貴女が、どうやって?」


 メアリーベルは、目に見えて動揺していた。長い尻尾をしきりに動かして、なんとか平静を保とうとしている。


 メアリーベルが動揺したのは、自らの行いがリッケンバックに露見することを恐れたからではない。初めからメルを通じて自分の独断がリッケンバックの耳に入ることはないと決めつけている。なぜなら、過去にメルがリッケンバックに接触したことなど一度もないからだ。

 メアリーベルが動揺したのは、自らの独断による背信を指摘されることで、崇拝するリッケンバックに泥を塗っているように感じたからだ。


「キミの言うとおりだヨ。ボクはリッケンバックには会えない。でも、キミのところと違って、ラムジーとならいつでも会えるヨ。ここに呼び出すこともできるんじゃないカナ? ……たぶん」


 メルの言葉にメアリーベルの表情が消える。

 呼び出すことができるというのはメルのはったりだったが、メアリーベルに衝撃を与えるには十分だった。


 メルとラムズフィールドの関係とメアリーベルとリッケンバックの関係は、理屈の上では同じものだ。しかし、その中身は大きく違っていた。

 メアリーベルの目論見に致命的な欠陥があるとすれば、それは自分と主人の関係をメルとラムズフィールドの関係にそのまま当てはめてしまったことにある。


「どうせ、ボクからリッケンバックに伝わることはないと高を括っていたんだろう? 甘かったネ。リッケンバックには直接会えなくても、ラムジーを通じて伝えることはできるヨ。リッケンバックは、キミの言葉なんて気にもかけないかい? だから、ラムジーもボクの言葉になんて耳を傾けるわけがない? キミには信じられないだろうけど、ラムジーは例え人間の言葉であっても、きっと耳を傾けるヨ」


 畳みかけるようなメルの言葉に、初めてメアリーベルの身体が動いた。震える身体をどうにか落ち着かせるのに精一杯で、返す言葉を完全に失ったメアリーベルに、メルは決断を迫る。


「さぁ、どうするんだい? 素直にボクの言うことに従うというのなら、もちろん、ラムジーには何も言わない。ボクは嘘を言わないヨ。今はネ」


 どちらが優勢にことを運んでいるかは明白だった。

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