第13話 悪あがき

 メアリーベルの黒い毛が一斉に逆立った。全身を駆け巡る怒りと屈辱は、その小さな身体を小刻みに震わせ続けている。

 メアリーベルに呼応するかのように、朝比奈あさひなの身体も震えていた。


「メアリーベル様! あなた様は、いかなる場合にもご自身の信念を貫くべきです!! リッケンバック様ならば、きっと分かってくださいますよ」


 思わず声を上げた朝比奈に、メアリーベルは冷たい目を向ける。


「あなたのような下賤なものに指図される謂れはありません。それに、軽々しくリッケンバック様のお名前を口にしないでいただきたい。愚かなあなたに、一つだけ教えてあげます。リッケンバック様は、そんなに甘いお方ではありません。そのご意志に背いたとお知りになれば、私のことなど躊躇なく、跡形もなく消してしまわれることでしょう。……ですが、それは大した問題ではありません」


 よかれと思ってかけた言葉を完全に否定されて、朝比奈は少なからずショックを受けた。どのような言葉であれ反応があること、そして視界に映っていること自体がメアリーベルの関心を引いている証拠なのだが、朝比奈は知る由もない。

 メアリーベルは、朝比奈から視線を外すとメルに向き直った。そのガラス玉のような目に直人なおと冬華とうかは映らない。


「記憶消去の魔法をかけさせてもらいます。それが最低条件です」


 唐突に突き返した交換条件をメルは鼻で笑う。


「ふんっ! キミは何を言っているんだい? 魔女であるボクに、キミの魔法は効かないヨ。そんなことも忘れてしまうくらい動揺しているのかい?」


「それくらいのことは覚えていますよ。ですから、記憶消去をかけるのは、この場にいる人間に対してです」


 メアリーベルは、少しの躊躇もなく言ってのける。

 メアリーベルにとって、下等な存在である人間は、毛ほどにも気にかける対象ではない。その記憶をいじることをなんとも思っていない。それが言葉や態度の端々から感じられる。

 直人は、メアリーベルとの邂逅以来、実は魔女というものは自分が思うよりも、ずっと恐ろしい存在なのではないかと思い始めていた。


「勘違いしてもらったら困るなぁ。対等な交渉をしているんじゃないんだヨ。これはネ、命令……いや、脅迫と取ってもらったほうがいいと思うヨ。分からないカナ? ボクの言うことを聞けないなら、キミは死ぬことになるって言っているんだヨ? 楽に死ねるといいネ。リッケンバックのことは、誰よりもキミがよく知っているんだろう? くだらない悪あがきはやめたほうがいい」


 メルが発する冷ややかな声に、直人は背筋を凍らせる。とても同族に対するものとは思えない。

 メアリーベルがどうなっても構わないという趣旨の言葉自体に残酷さや苛烈さはない。しかし、あっさりと、無感情に発せられた「死」という言葉から、メルの情け容赦のない魔女としての一面を垣間見たような気がしていた。

 メルに対して抱く初めての感覚だった。今まで一度も見たことがないメルの姿ではあるが、怒っているのは分かる。


「それに、ずる賢いキミのことだ。色々と関係のない記憶までいじって、うやむやにする気なんだろう? 余計な記憶まで消されたらたまらないヨ。ボクには、キミが消す記憶を指定することまではできないもんネ。さすがのボクも、消されてしまったら元に戻せそうにない。だから、許可はできないヨ」


 メルは、メアリーベルの魂胆を見抜いている。二人の関係においては、メルの方が一枚上手だった。

 図星をつかれたメアリーベルは、爪を立て朝比奈の執務机に筋状の傷を作る。


「どうする? ボクの防御を破って記憶消去ができるか挑戦してみるかい? そのためには、ボクを殺さないといけないヨ。失敗すれば、よくてボクに……最悪は、リッケンバックに殺されることになるネ。もっとも、ボクを殺すことに成功したとしても、今度はラムジーに殺されることになると思うけどネ。ところで、キミが殺されたら、リッケンバックはキミのためにボクを殺すかい?」


 メアリーベルはもちろん、リッケンバックにも自分が殺されることはないと確信しているメルの言葉からは、焦りなど微塵も感じられない。


 リッケンバックがその気になれば、下位の存在であるメルなどは一瞬で殺されてしまう。しかし、肝心のになることが絶対にないとメルには断言できる。リッケンバックにとって、魔女は取るに足らない存在だ。

 それはメアリーベルにとっての人間と同じだった。だからこそ、メアリーベルにはそれがよく分かる。あるじが、メアリーベルのために行動を起こすことなど絶対にありえない。

 メアリーベルが殺されたところで、リッケンバックの感情は一ミリも動かない。最も近しい人間である朝比奈が殺されたところで、メアリーベルの感情が一ミリも動かないのと同じように。


「…………分かりました。貴女の言うことに従いましょう」


 メアリーベルは絞り出すように言った。


「賢明な判断だネ」


 対するメルは、腕を頭の後ろに回して飄々と応えた。直人の背筋を凍らせた、そこはかとなく漂う冷酷さは鳴りを潜め、いつもどおりのメルに戻っている。


「それじゃあ、グズグズする理由もないし、さっさとやってヨ。すぐにできるんだろう?」


 メルに促されて、メアリーベルは朝比奈に近寄った。


「では、そう……。やりますよ」


「……いいのですか?」


「やむを得ません。元はといえば、その御身のためとはいえ、リッケンバック様の崇高なお考えに背いたのがいけないのです。リッケンバック様のお考えに背くと、このような報いを受けることになるといういい教訓となりました。何より、リッケンバック様のお考えの偉大さを再確認できたのは収穫です」


「ですが……」


「いいから! さっさと、始めますよ」


「……か、かしこまりました」


 最後まで納得がいかない様子の朝比奈だったが、それ以上は何も言わずにメアリーベルがどこからともなく取り出した万年筆を受け取った。

 それを使って、直人がいつも作成している書類とは別の書類を作成する。

 正規の手続きである魔法相続の場合には、魔法庁に提出する書類を作成するのだが、魔法売買が非正規な手続きである以上、その書類を魔法庁に提出するわけにはいかない。

 見慣れない書類の提出先は不明だったが、非正規な手続きでもしっかりと書類を作成するんだな、と直人は思わず関心する。


 朝比奈は、それほど時間をかけずに書類を作成すると、万年筆とともにメアリーベルに差し出した。それを乱暴に、奪うように受け取ったメアリーベルは何も言わずにすぐさまその場から消えてしまった。


「少し時間がかかるかもネ」


 問題の山場は越えたとばかりに、メルが大欠伸おおあくびとともに伸びをする。そして、空中をふわふわと漂いながら、横になった。


「それにしても、ベルのやつ。めちゃくちゃ気持ち悪いことを言っていたネ」


「気持ち悪いこと……ですか?」


 たまたま一番近くにいた行定ゆきさだが代表して尋ねる。


「うん。「リッケンバック様のお考えの偉大さを再確認できたのは収穫です」だってサ。そのほかにも「リッケンバック様の崇高なお考えに背いたのがいけないのです」だっけ? 誰の考えだって、いいものはいいし悪いものは悪いのにネ。考える主体でその良し悪しは変わらないヨ」


 メルは楽しそうにメアリーベルの声真似をする。しかし、誰も笑わない。

 そんな中、芯の通った声でそれに異を唱える者がいた。


「……やめろ」


 朝比奈だ。


「ん? 何か言ったかい?」


「メアリーベル様を愚弄するのは、やめろと言っています。いくらあなたが魔女であっても、それ以上愚弄するのであれば、私の命を差し出す覚悟であなたを……」


「その続きを言うのはやめたほうがいい。嘘を吐くことになってしまうヨ。ボクは嘘が大嫌いなんだ」


 最初こそ消えそうなほど小さな声だったが、最終的には、はっきりと全員に聞こえる声で怒りを表す朝比奈にメルはストップをかける。


「嘘などでは……っ!!」


「いいからいいから。キミがメアリーベルに心酔しているのは、十分すぎるほどよく分かったヨ。それにしても、どうしてあんな野良猫を崇拝しているんだい?」


 ほんちょっとした好奇心から時間つぶしのつもりで尋ねる。


「……孤独な私を救ってくださったから。それだけです」


「救う!? 人間であるキミを? あのベルが? ありえないネ」


「なんと言ってもらっても構いません。けれど、私にとってメアリーベル様は救世主です。移民であり孤児である私は、この島に馴染むことができませんでした」


 朝比奈は、懐かしむように語り始める。誰もそれを止めようとはしなかった。

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