第5話 観光地の噂

 発狂したたつみを応接室から連れ出した永崎ながさきは、しばらく経ってから一人で戻って来た。巽の姿はない。


 巽の発狂の原因が、行定ゆきさだにあるのは明らかだ。

 猫が言葉を話したから発狂したのだ、と直人なおとたちは思ったが、巽は耳が聞こえない。口の動きだけで察したと考えることもできるが、それよりも行定自身に恐怖したと考えるほうが自然だ。


「いや~、びっくりしたヨ!! 外まで聞こえてきたヨ!! 行定が近づいたら大声を上げたんだろう? あっ、もしかして、巽は猫が嫌いなのカナ? それなら、彼は将来有望だヨ」


 なぜか嬉しそうなメルとは対照的に、行定は誰が見ても分かるほどはっきりと狼狽していた。そんな行定を気遣うのと同時に、本当にこの猫は巽の祖父なのだろうか? という疑問がメルを除く全員の心に渦巻いた。

 そのため、メル以外に口を開く者はいない。


「なんだヨ。みんなして黙りこくっちゃってサ。どっちみち猫の姿のままじゃ感動の再会ぃ~ってわけにはいかなかっただろう? ちょっとばかし刺激的な再会になっちゃったけど、まずは行定の姿を戻すのが先決問題なんじゃないのかい?」


 メルが言うことは正しい。正しいのだが、簡単に受け入れることができないのが人間というものだ。その点、魔女であるメルはあっさりしている。むしろ直人たちが、もたもたしていることにじれったいものを感じていた。


「そう簡単に言うなよ。すぐさま心の整理をつけるなんて無理だ」


「いえ……。ご心配をおかけして申し訳ない。メル殿の言うとおりです。孫の反応は、ショックでしたし、心配でもありますが、まずはわしに起きている諸問題を解決するべきと理解しております。そのために、先生たちにはここまでしていただいているのですから」


 大きな瞳を潤ませ、小刻みに震えながら気丈に振舞う行定の姿は、猫の姿でありながら、その場の全員の心を揺さぶった。

 久道くどうと永崎は、目の前の言葉を話す猫がもともと人間であり、巽の祖父であるという話を心の底から信じてはいなかった。そして、巽の反応を見て、小さくない疑念を持った。しかし、その考えを行定の様子を見て幾分改める。


「私たちでお力になれることがあるかは分かりませんが、できる限りの協力をさせてください」


 久道は身を乗り出し、行定の手を取って揺する。行定は戸惑った様子を見せたが、すぐに「ありがとうございます」と丁寧に頭を下げ、礼を言った。


「それじゃあ!! 早速……」


「ちょっと、待て!」


 意気揚々と続けるメルを制して、直人は居住まいを正す。そして、深々と頭を下げた。


「突然訪問した上に、大事な生徒さんに少なからず刺激を与えるようなことになってしまい申し訳ありませんでした。東条さんも、大切なお孫さんとのせっかくの再会でしたのに……申し訳ありません。完全に私の判断ミスです。巽くんの反応は、十分予想できるものでしたし、この混乱は防げるものでした」


「そんな……。頭を上げてください。わしは先生に無理をお願いしております身ゆえ、そのような謝罪をされるいわれはありません」


「私からも、頭を上げるようお願いします。たしかに巽くんの反応には驚きましたが、私も津雲先生の責任とは思いません。誰の責任でもありませんよ。自然災害のようなものです」


 行定も久道も突然の直人の謝罪に面食らった。


 久道の言葉にあるとおり、巽の反応は誰の責任でもない。予期できるものではなかったし、予防できるものでもなかった。

 ただ、それはメルという魔女の存在がなければ、の話だ。


 メルはその魔法によって、時間を超えることができる。したがって、直人はメルに頼んで未来を見てきてもらうことで、巽の反応を事前に知ることができた。とはいえ、いちいち何か行動を起こすたびに未来を見てくるなど非現実であるし、そもそも肝心のメルが確実に嫌がり拒否をする。


 つまりは、結果論だ。


 しかし、直人は結果論だということを重々承知の上で、それでも謝罪をしておかなければ先に進むことができなかった。


 そんな直人の行動を見て、メルは両手を上に向けて呆れたポーズをとる。


 ゆっくりと頭を上げた直人は、一度咳ばらいをしてメガネの位置を直した。


「そう言っていただけるとありがたいです。特に、子どもが関与していることです。より一層慎重に進めていきますので、何卒、よろしくお願いいたします」


 直人の言葉に久道も行定も神妙にうなずく。


「はいはいは~い!! それじゃあ、いい加減そろそろ本題に戻ってもいいカナ?」


 水を差すようなメルの声を合図に、今度は直人も気持ちを切り替えて本題に戻る。


「それでは、改めて、久道校長にお伺いします。東条さんが最後にこちらにいらっしゃったのは、いつのことでしょう」


 訊かれた久道は、永崎の方を見やった。それを受けて、永崎は先ほど持参したスケジュール張に目を落として答える。


「ちょうど二週間前の金曜日です。旅行に行かれるということで、外泊許可をお取りになっています。記録によりますと、東条さんは午後三時十五分に巽くんをお迎えにいらしています」


「そうか。あれはもう二週間も前か。金曜日の夕方から日曜日の夜まで、旅行に行くと言っていましたね。それで予定どおり、日曜日に巽くんは帰って来た。でも、そのとき東条さんの姿はありませんでしたね」


 永崎の説明に久道が相槌を打ち、当時の情報を補足する。


「どこに行くとか言ってた?」


 俄然興味を持った冬華は、直人よりもいくらか早く反応して身を乗り出す。


「えぇっと……たしか、第二の島セカンドアイランドに行く、と言ってたっけね?」


「はい。そうおっしゃってました。巽くんも楽しみにしていたようで、嬉しそうに教えてくれたのを覚えています」


 久道に尋ねられて、今度は永崎が相槌を打ち、補足した。


第二の島セカンドアイランド……。ねぇねぇ、第二の島セカンドアイランドって、どういうところなの?」


 本筋とそれたことでも気になったことを放っておけないのが冬華だ。無遠慮に誰にともなく質問する。

 全く無関係の質問というわけではないので、直人は比較的丁寧に答えた。


「簡単に言うとリゾート地だよ。青い海に白い砂浜。様々なレジャー施設があって、各国のセレブから一般人までバカンスに利用する島だね。夏の時期なんかは、人でごった返すんじゃないかな? ……とはいっても、俺も行ったことがあるわけじゃないけど。それに、よくない噂を聴いたりもするかな」


「「よくない噂?」」


 と双子の声がそろう。お目付け役として、メルを胸に抱いた春華も興味を示す。


「どんな噂なんですか?」


「噂というか、もはや公然の秘密だヨ。噂はいくつかあるけど、その中でもドラッグが有名カナ。あとは人身売買とか……。あそこはサ、第三の島この島と違っていろんな人間が、ひっきりなしに往来するからネ。リゾート地としての光の顔とは別に、闇の顔も持っている。そういうところには、人種・種類を問わず、自然と珍しいものが集まるものなのサ。いいものも、悪いものも、ネ」


 春華の腕から逃れたメルは、直人に代わって得意げに説明をした。


「行定さんは、どうしてそんなところに行ったんでしょう。ただの旅行だったのでしょうか。なんだか腑に落ちませんね」


 春華の言葉につられて、全員が行定を見る。記憶のない行定は、申し訳なさそうに頭を掻いた。


「そういえば……」


 ふいに永崎が声を上げる。


「永崎さん、なにか思うことが?」


 上司である久道が尋ねると、永崎は少し恐縮した様子を見せた。しかし、意を決したように再び口を開く。


第二の島セカンドアイランドには、あらゆる病気・怪我・後遺症・障害に効く万能薬があると聞いたことがあります。私もこの学校の職員ですから興味がありましたので、よく覚えています。東条さんは、もしかしたらその万能薬を手に入れるために第二の島セカンドアイランドへ行かれたのでは……?」


「確かに……。第二の島セカンドアイランドなら、そういう怪しげな薬があっても不思議ではありませんし、その薬を東条さんが欲しがる理由もある」


 永崎の言葉に直人は少し考えてからうなずいてみせた。しかし、それはメルによって即座に否定される。


「そんな薬はないヨ」


 魔女であるメルの言葉には説得力がある。

 メルが言うのならそうなのだろう。しかし、薬の実在はあまり重要なことではない、と直人は考えた。

 重要なのは、行定が薬の存在を信じ、それを欲したかである。そして、その答えはおそらくイエスだ。


「東条さんは藁にも縋る思いだったんじゃないか? 巽くんの耳が治せるなら、なんにでも縋ると考えるのは不自然じゃない。そう考えれば、東条さんが第二の島セカンドアイランドに行ったというのもある程度は信憑性があると思う」


「うん。たしかにそうだネ。直人の言うとおりだヨ」


 他の全員も一様にうなずく。


「そんな怪しげな薬を求めて第二の島セカンドアイランドへ行ったんだ。普通の観光じゃないよな。普通の人が行かない場所や人と接触したんじゃないか? そして、そこで何かがあった……」


 続く直人の推理に再び全員がうなずいた。


「それなら、第二の島セカンドアイランドに行ってみるしかないネ!!」


 メルは親指を立てて、嬉しそうに一度宙返りをしてみせた。

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