第4話 聾学校の校長

 東条行定とうじょうゆきさだの言葉どおり、行定の孫であるたつみの通うろう学校は、島の外れの閑散としたエリアにポツンと建っていた。三人と二匹は、多くの子供たちが通っているとは思えないほど、静かな学校の敷地に足を踏み入れる。


「勢いで来てしまいましたけど、私たち不審者と思われないたりしないでしょうか……」


 真面目な春華はるかは、不安そうに長い黒髪を揺らした。


「大丈夫、大丈夫!! ハルは心配しすぎだよ! 別に完全な部外者ってわけじゃないんだからさ〜。それに、直人なおとは、この島じゃちょっとした有名人だよ? 仮にユッキーが、巽くんのおじいちゃんだって信じてもらえなかったとしても、なんとかなるって!」


 春華とは性格が正反対な冬華とうかは、春華の不安を微塵も共有していない。それどころか、あまり味わうことのない非日常にどこかワクワクしている。


 とはいえ、冬華の言うとおり、直人がいれば余程のことがない限り門前払いにあうようなことはない。

 島で唯一、高レベルの魔法相続を扱うことができる直人は、それなりに貴重な存在だ。それに加えて、どんな依頼であっても真摯に向き合い、依頼人のために誠実に尽くす執務姿勢が評価されてもいる。

 そんなわけで、島の人には概ね好意的に受け取られ、近頃その知名度は格段に上がっていた。

 島の外れまで、直人の名声が届いていても不思議ではない。


「いきなり、東条さんが出て行っても職員の不信を招くだけだと思うので、とりあえずは俺が行きます。それで、かまいませんか?」


 直人の問いかけに行定は首を縦に振る。


「メルも、最初は離れたところで見ててくれ。いきなり空飛ぶ動物が来て、おまけに言葉までしゃべりだしたら、巽くんに会わせてもらうどころじゃなくなっちゃうかもしれないからな」


 メルは少し不服そうだったが、春華の手に握られた銀の包みを目にするや、態度を改めて素直にうなずいた。


「それじゃ、冬華さんは俺について来てくれるかな? 春華さんはメルをお願い」


 双子は息ぴったりにうなずいて、それぞれの役目を果たすべく、片方は直人のそばに、片方はメルを抱えて少し離れた場所まで移動する。

 それを確認した直人は、冬華を伴って校舎の入り口へ向かう。途中『来客用玄関はこちら』と書かれた案内を見つけて、それに従った。

 案内のとおりに進むと、正面玄関よりもかなり小ぶりな入口にたどり着く。


「このインターホンを押せばいいのかな?」


 冬華が指し示す先には、一般家庭用のものと変わらないインターホンがある。その隣に『ご用の方は一度だけ押してください』と書かれていた。


「そうみたいだね。それじゃ押すよ」


 直人は冬華がうなずくのを律儀に待ってから、指示書きに従って一度だけインターホンを押した。


 ——ピンポーーン 

 という音に少し遅れて、小さなスピーカーから女の声がする。


「はい! どちらさまでしょうか」


「お忙しいところ、失礼いたします。私、ゆきみ通り魔法相続事務所の津雲つくもと申します。こちらに東条巽とうじょうたつみくんがいると伺いまして参りました」


 直人の言葉にインターホン越しの女が一瞬、考え込んだのが分かる。

 魔法相続士が学校を訪れることはあまりない。あるとすれば身内に不幸があった場合だが、その場合も魔法相続士単体ではなく、警察のような捜査機関を伴うことが多い。


「東条巽くんは、確かにうちでお預かりしていますが……。魔相士の先生ですか……。少々お待ちいただいてもよろしいですか?」


 直人の反応を待たずにインターホンはブツリと切れる。


「大丈夫かな?」


 先ほどまで自信満々だった冬華も、女の対応に一抹の不安を覚える。

 待てと言われた以上、待つ以外に選択肢はない。


 しばらく待っていると、奥から一組ひとくみの男女が歩いてくるのが見えた。

 ある程度近づいて来たところで、直人と冬華は丁寧にお辞儀をする。それに応えるように、向こうの二人も歩きながら頭を下げた。


「どうもこんにちは。津雲先生でしたかな? 私は、この学校の校長をしております、久道保次郎くどうやすじろうと申します。先生のお噂は伺っておりますよ」


 校長と名乗る口ひげを蓄えたダンディな男が、直人に握手を求める。直人は握手にしっかり応じて、そして答えた。


「はい。魔相士の津雲です。突然で申し訳ありません。実は、ちょっと困った事情から、私の事務所に巽くんのおじいさんがいらっしゃいまして。おじいさんお一人でこちらに来ても、おそらくは応対していただけないだろうと思い、まずは私が参りました」


 直人がかいつまんで事情を話すと、久道は「こちらにどうぞ」と校舎内に入るよう促した。

 言われるがままについて行くと、来客用の応接室に通される。あまり来客を想定していないのか、かなり狭い。


「それで、巽くんのおじいさんの事情というのは、どういったご事情なのですか?」


 久道は席に着くやいなや、本題に入る。アポなしで訪問しているため、あまり余計な時間をかけるわけにはいかない。


「はい。突拍子もないことを申しますが、巽くんのおじいさんは今、猫の姿になっています」


 直人の言葉に、久道は訝しむように目を細める。


「おそらくは何かしらの魔法が関係していると思うのですが……。いずれにしても、猫の姿では巽くんに会うことはできないでしょうし、そもそもずっと猫の姿のまま暮らす訳にもいきません。それで困った東条さんは、私の元を訪ねていらっしゃいました。お話を伺うと、どうもこちらの学校に巽くんを迎えに来た時を境に記憶が曖昧になっているようです。そういった事情で、東条さんが猫になってしまうまでの足取りを追っているところなのです」


「魔相士の先生は、そのようなことまでお仕事にされているのですか?」


 直人が話をする間中「うんうん」とうなずいていた久道の第一声がそれだった。


「あ、いや失敬。先生が魔法相続の手続き以外の相談事も手広く対応されているというのは存じ上げていたのですが、あまりにも突飛な話だったもので……」


「いえ、私自身、変わった魔法相続士だなと思っていますので。それで、久道校長にお伺いしたいのは、東条さんが最後に巽くんを迎えに来たのはいつなのか、ということと、その後の足取りが分かれば教えていただきたいのです。それから、差し支えなければ、東条さんと巽くんを会わせてあげてもらえませんか?」


「そういうことですか。まず、いつ東条さんがこちらにいらっしゃったか、ですが、私も記憶が定かではありませんので、スケジュール帳を確認して正確な日時をお答えいたします。その方がよろしいでしょう?」


 久道が手で合図をすると、隣に座っていた女が慌てて立ち上がる。


「すぐに持って来ます」


 女の声は、さっきインターホン越しに聞いた声だった。


永崎ながさきさん! ちょっと待って。ついでだから、巽くんもここに連れて来て上げなさい」


 永崎と呼ばれた女は、少し考えるそぶりを見せたがすぐに了解し、足早に応接室から出て行った。


「先生の方も、東条さんをお呼びいただいて結構ですよ。一緒にいらっしゃってるのでしょう?」


 久道に促されて、直人も冬華に行定たちを連れてくるように頼む。冬華は、「了解!!」と元気よく応じて、永崎を追うように応接室を出て行った。





 数分後。行定たちが応接に現れた。


「おぉっ!! 猫が……動物がしゃべっている!!」


 入室早々に行定とメルに挨拶をされて、久道は目を見開いた。話で聞くのと、実際に目の当たりにするのとでは、驚きの度合いが違うらしい。

 驚きの余韻に浸る間も無く、巽を伴って永崎が応接室に戻ってくる。


「校長。巽くんを連れて来ました。それから、こちらがスケジュール帳です……って、えっ!? 犬が空を飛んでいる?!」


 奇跡的に久道が触れなかったメルの逆鱗に、永崎がいともたやすく触れる。


「ちょっと、ちょっと、ちょっと!! どこに犬がいるっていうんだい!?」


 永崎に向かって行くメルの首根っこを、すかざず春華が捕まえる。そして、チョコレートを放り込むとそのまま口を塞いでしまった。春華はモゴモゴ言うメルを連れて、そそくさと応接室を出て行く。永崎は、訳も分からず目をパチクリさせながらそれを見送った。

 

 しばしの沈黙が訪れる。

 その中心に巽がいた。


「巽……。巽や……。元気か?」


 行定は巽に声をかけ、ゆっくりともったい付けるように近づいていく。すると、すぐに巽の表情に恐怖の色が浮かんだ。距離が縮まるごとにその色は濃くなっていく。

 その場の誰もが驚いて巽の様子を見つめる中、ようやく行定の手が巽に触れる、という瞬間、巽は頭を抱えて座り込んでしまった。


 そして、行定を指差して大きな口を開ける。


 一瞬の間のあと、応接室には


「あ”あ”あ”あ”ぁ”ぁ”あ”あ”……!!!!」


という巽の絶叫が鳴り響いた。

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