第3話 二つの問題

 行定ゆきさだの告白に面食らった直人なおとをよそに、意外にも冬華とうかは冷静だった。


「でもさ。それって、なんか変じゃない?」


 冬華は、純粋な好奇心をそのまま丸めて凝縮したような碧い瞳を行定に向ける


「……と、言いますと? なにか、おかしなことを申しましたかな? あぁ、いえ、猫の分際で「自分は、人間だ」などと申しているのです。その時点で、変でありましたな」


「うん。もちろん、それは変なんだけど。そうじゃなくて……。えっと、ユッキーは、記憶喪失なんだよね? どうして、そのろう学校に通ってる人が、自分の孫だって分かるの? んっ? 逆かな? どうして、孫が聾学校に通ってるって分かるの? が正しい? あれ? 分からなくなっちゃった」


 入口こそ鋭く切り込んだ割に、冬華の質問は何とも締まりがない。


 その質問の中で、見た目の上では完全に猫である行定を「ユッキー」とそれっぽい愛称で呼ぶことにしたらしいことが判明する。ギョッと冬華を見た直人に対して、当の行定は動じることなく、それまでと変わらない様子でちょこんと座っていた。


 直人は、驚きこそしたものの、とりあえずのところは黙っている。


「あぁ……。いえいえ、記憶がないとは申しましても、なにもすべての記憶がないと申したわけではないのですよ。なぜ、この姿なのか? と問われましたゆえに、それに関する記憶がないと申しました。何があっても孫のことは忘れません。何よりも大切な孫ですから。それはもう、しっかり魂に刻まれておりますゆえ。ほっほっほっ」


 行定は、何が可笑しいのか上品に笑った。


「それじゃ、その姿になってる理由に心当たりは全くないの?」


「まったく、ありませんな。……と、安易に答えてしまっては、こうしてお話を聞いていただいている先生方に申し訳が立ちません。少し考える時間をいただけますかな?」


 直人と冬華の了解を得ると、行定は腕を器用に組んで、ぶつぶつとなにやら呪文のように独り言を呟き始めた。

 しばらくして何かを思い出したのか、伏せていた顔を上げる。


「そうじゃ!! 関係があるかは分かりませんが、第二の島セカンドアイランドに孫と一緒に行くのを楽しみにしていました。思い出してみると、なぜあんなにも楽しみにしていたことを忘れていたのか……。不思議でなりませんな」


第二の島セカンドアイランド?」


 脈絡なく出てきた言葉を、冬華がそのまま復唱する。


「お孫さんを第二の島セカンドアイランドに……ですか。何のために第二の島セカンドアイランドまで行くおつもりだったんですか?」


 冬華のあとを引き継ぐように直人が尋ねる。


 第二の島セカンドアイランドは、魔法特別区でありながら、バカンスで訪れる人も多い人気の観光島だ。

 しかし、いくら人気だとはいえ、聴覚障害を持つ孫を連れて、わざわざ国外に出るだろうか。第一シーズンオフだ。それに国内にだって、たくさん観光地はある。

 直人には、何かが引っかかった。


「それが、思い出せんのですよ。孫を連れて第二の島セカンドアイランドに行く、という強い想いだけがここに残っていると表現すれば伝わりますかな?」


 行定は、丸い手で自分の胸のあたりを軽く叩く。


「えぇ、なんとなくは分かります。それ以外には何か思い出せませんか?」


「う~ん……。そうですなぁ……。申し訳ないことですが、まったく……」


 行定は、しばらく悩んだのち、ゆっくりと首を振った。


「なになにぃ~? なんだか面白そうな話をしているじゃないのサ」


 話が行き詰まったところで、冬華以上の好奇心を持つメルが、ふわふわと上機嫌にやってくる。その口と手は、茶色く汚れていた。


「メルちゃん。手と口をしっかり拭いてから、お仕事しましょうね」


 黒い髪を靡かせながらメルの後を追いかけてきた春華はるかが、濡れた布巾でメルの口元と手を拭う。


「あぁ、ありがとう。春華。……それで? そこの野良猫がどうしたって?」


 行定から聴き取った元は人間だがどういうわけか猫の姿になっていることや、記憶が一部なくなっているらしいことをかいつまんでメルに伝える。

 それを聴いたメルは「なぁんだ。行定の魔法の話じゃないのか。遺言とかそういう依頼かと思ったヨ」と小さく呟おて、何かを見定めるように行定のことをジロジロと観察し始めた。

 そして、思いついたようにポンと手を鳴らす。


「うん。行定の記憶は、誰かに奪われているようだネ」


 それなりに重大なことのように思えるが、メルにとってはそうではないらしい。いつものとおり、あっけらかんとしている。どこか楽しそうですらあった。


「それって、どういうこと? 誰がなんのためにそんなことするの?」


「さぁ。そこまでは分からないヨ。ボクだって、なんでも分かるわけじゃないからネ」


 冬華の質問にもあっけらかんと答える。


「でも、誰かが東条さんの記憶を奪ったってことは確かなんだな?」


「うん。それは間違いないヨ。魔法で奪っているネ」


 重ねるように確認する直人に向かって、メルは指一本を杖に見立てて、魔法を使うジェスチャーをしてみせた。もっとも、そんな風に魔法を使う者はいない。人間が思い描く、古典的な魔法を揶揄してのことだ。


「記憶を奪う魔法か……。猫の姿になってることと何か関係があるのかな? 東条さんは、魔法で猫に変えられたと言ってるけど……」


 直人は一人つぶやいて考える。しかし、魔法そのものへの知識が豊富なわけではないため、答えは出そうにない。


「記憶を奪ったのは間違い無く魔法の仕業だけど、猫の方はボクにも分からないヨ。もっと別の理由があるのかもしれない。奪われた記憶の欠落が、猫の姿に関するものだけだっていうなら、無関係ではないだろうネ。どっちにしても、元々が人間だというのなら、その見苦しい姿から早いところ人間の姿に戻るべきだヨ」


 メルは私情を存分に交えて、忌々しげに言い放つ。


「つまり、ユッキーは今、二つの問題を抱えているってことだね? 記憶の一部が失われちゃってるってことと、猫の姿になっちゃってるってことの二つ。メルちゃんによれば、その二つはきっと関係がある。そういうこと?」


「そういうことっ!」


 メルは途中から参加したにも関わらず、あっという間にその場の主導権を握ってしまう。それに負けじと最初から話を聴いていた冬華が食い下がった。

 どちらも好奇心旺盛であることが共通している。


「それじゃあさ、猫になる前の一番最後の記憶は何なの? 気が付いたら猫になっちゃってた?」


 猫になってしまったことがすべての元凶であり、行定をもっとも困らせていることであると考えた冬華は、そこに的を絞ることにした。

 何も口を挟まないことで、直人も概ね冬華の考えに賛成している。


「一番最後、ですか……。そういえば、孫を聾学校まで迎えに行きましたな。そのときは、おそらく人間であったと思います。猫が孫を迎えに学校に行くなどしたら、大事件ですからなぁ。それが、わしが人間であったときの一番最後の記憶です。その次には、もう猫になっている記憶しかありませんな」


「う~ん……。なるほどねぇ〜。それじゃ、その孫の名前はなんて言うの? 年齢は? 孫のことはなんでも覚えてる感じ?」


 冬華は立て続けに質問をする。直人を始め、メルも春華もその成り行きを見守っている。


「もちろん、覚えておりますとも。先ほども申しましたが、なによりも大切ですゆえ。孫は東条巽とうじょうたつみと申します。今年九歳になる男の子ですな。これがもう可愛いのなんのって。目に入れても痛くないとは、このことです。孫のためなら、わしはなんでもできる。それなのにこんな姿になってしまいまして……」


「辛い思いをさせてごめんね。……とりあえず、一番最後の記憶でもあるみたいだし、その巽くんが通う聾学校に行ってみない?」


 一人、興奮し、落ち込む行定を宥めつつ、冬華が提案する。

 すかさずメルが親指を立ててオーケーの合図を出す。春華も特に異論なくうなずいた。

 直人ももちろん異論などない。人助けになるのなら、と冬華の提案に従うことにした。


 異論はないのだが、行定の相談が魔法相続とは何の関係もない相談だということに今更ながら気がついて、ひっそりと小さくため息をつくのだった。

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