第2話 人の言葉を話す猫

「ね、猫が……しゃべった?!」


 直人なおとは、思わず驚嘆の声をあげた。


「先生。メルちゃんもおサルさんですが、しゃべってますよ」


 春華はるかの冷静な指摘に、すぐに「あぁ、そうか」とメルの特異性を思い出し、落ち着きを取り戻す。


「まさか、猫ちゃんっ!! 君もメルちゃんみたいに魔女ってわけじゃあ……ないよね?」


 メルという前例がある以上、冬華とうかの疑問は、当然の疑問だ。しかし、続く猫の言葉が間接的にそれを否定する。


「はて? 魔女……とは、なんですかな? 察するにそちらの犬が、その魔女というものなのですか?」


 猫のその言葉は、メルの逆鱗に触れた。


「むむっ!! むむむむっっ!!!! 誰が犬だって!? どこに犬がいるっていうんだい? まさか、このボクに向かって言ったわけじゃないよネ!? ボクは、どこからどう見てもサルなんだからサっ!! でもでも……まぁ、ないとは思うけど、もしそうなんだとしたら、とてつもない悲劇を味合わせちゃうけど、いいヨネ? 死にたがりの野良猫野郎には、それ相応の制裁を加えないと!! あぁ、死にたがっているなら、死よりも苦しい制裁じゃないとネっ!!」


 大嫌いな猫が相手だからか、メルはいつも以上に口が悪く攻撃的だ。そんなメルを前にしても、猫は落ち着き払っている。


 声のとおり、実年齢もそれなりに高齢なのだろう。

 猫は年をとると化け猫になるというが、もしかしたら目の前の猫もその類なのかもしれない。人の言葉も話すし。と、燃え上がるメルの怒りを沈めることなく、直人は勝手に分析していた。


 春華や冬華と暮らすようになってからというもの、メルのお目付役は二人に任せている。直人が積極的に任せているというよりは、二人が喜んで買って出ているといった方が正しい。

 その愛くるしい見た目から、やむを得ないのかもしれないが、二人はメルをペットのように思っている。


 とにかく、したがって、直人が慌ててメルを制止する必要は、今のところない。


「あ、いや。これは失敬。てっきり、犬かと思いましたが……。サルでしたか。気分を害されたのなら申し訳ない」


 猫は、人間のような動きで頭を下げて陳謝した。その佇まいは、まるで紳士だ。


 どうにも怒りが治まらないメルの目の前に、春華が無言で大きなチョコレートをぶら下げる。目の前のチョコレートを視認すると、メルは途端におとなしくなった。三人の中でメルの扱いが一番上手いのは春華だった。


 春華はそのままチョコレートでメルを釣って、猫から引き離す。

 そして、メルがおとなしくなったところを見計らって、ひょいとチョコレートを与えた。事情を知らない者が見れば、完全に犬の躾だ。


 直人はその様子をしっかりと見届けと、猫に向けて事務所の代表として挨拶をした。猫相手にそれが必要であるかは分からなかったが、言動、佇まいから普通の来客として扱うべきだと判断した。


「私は、この事務所の代表をしております、津雲直人つくもなおとと申します。隣におりますのは、助手の十時冬華とときとうかです」


 予期せず紹介をされて、冬華は慌てて頭を下げる。


「そして、あちらに騒がしいのを連れて行きましたのが、同じく助手の十時春華とときはるかです。それから、先ほど大変無礼なことを申しましたのが、メルティオラと申しまして……。まぁ、その……うちのマスコットみたいなものです」


「これはこれは、ご丁寧に。マスコットでしたか。そんなマスコット殿の気分を害するようなことを申したようで、誠に申し訳ないことをいたしました」


 猫は、再び丁寧に、深々と頭を下げる。


「こちらこそ、お越しいただいたのに気がつかず、お待たせしてしまった上に、大変に無礼な振る舞いをしました。本当に申し訳ありませんでした。えっと……」


東条行定とうじょうゆきさだと申します。先生。謝罪合戦は、この辺にしておきましょう」


 直人の言葉の先を察した猫は、うやうやしく名乗り、そして提案した。


「そうですね。東条さん。それでは、早速ですが、今日はどういったご用件でこちらにいらしたのですか? ご依頼……ですよね?」


 自分で応対を始めておきながら、恥ずかしくなる。なにしろ相対するのは、少なくとも見た目の上では完全に猫だ。大人の男が猫相手にかしこまって話す姿は、さぞかし滑稽に映ることだろう。


「よくぞ訊いてくださいましたな。先生もおそらくは、気持ちが悪いとお思いでしょうが、わしはこのとおり、猫のくせに人の言葉が話せます」


「いえ、気持ち悪いなんてそんな……。うちにもあのとおり、言葉を話す動物がおりますので。なんといいますか、慣れたものです」


「そうでしたな。わしも自分以外で人の言葉を話す動物を見たのは、さっきのメルティオラ殿が初めてです」


 頭を搔こうと肉球のついた丸い手を動かす。


「ねぇねぇ。猫ちゃんは、生まれた時からそんな風に人の言葉がしゃべれたの?」


 それまで黙って直人に応対を委ねていた冬華だったが、我慢ができなくなったのか横から率直な質問をぶつける。自分の疑問に忠実な冬華らしい行動だ。


「それが……。わしにもよく分からんのです。気がつくとこのような姿になっていたのですが、詳しい記憶がないのですよ」


「えぇっ!? それって、記憶喪失ってこと!?」


「そういうことになりますかな?」


 冬華は一瞬、認知症を疑った。猫でも認知症になるのだろうか? という疑問もさることながら、そうと決めつけるのはあまりにも失礼だと思い直し、浮かんだ疑念を慌てて振り払う。


「う〜ん……。じゃあ猫ちゃんは、どうしてうちの事務所に来たの?」


「冬華さん。『猫ちゃん』は、さすがに東条さんに失礼じゃないかな?」


「え〜? だって、猫ちゃんに『東条さん』って苗字で呼びかけるのって、なんか変なんだもん」


 気持ちは分からないでもないが、普通の来客として扱うと決めた以上、「猫ちゃん」などと呼ぶわけにもいかず、直人には「東条さん」と呼ぶ以外の選択肢はない。しかし、それも直人が勝手に決めたことで、冬華と自分の思考を共有をしたわけではない。


 あまりコミュニケーションを得意としていない直人は、言葉にせずとも他人と思考を共有できたらいいのに、と思うことがある。

 そんな魔法はないだろうかと真剣に考えたことさえあったが、その時は結局それを自分が所有することはないと思い至って、バカバカしくなり考えるのをやめた。


「わしは、なんと呼んでもらってもかまいませんよ。呼びやすいように呼んでください」


 二人のやりとりを見て、行定は優しく微笑んだ。見た目は完全に猫だというのに、表情から感情が分かるから不思議だ。


「えぇっと……。どうして、こちらの事務所に伺ったか? でしたな。それは、魔法のことなら魔法相続士の先生にご相談するのがいい、と小耳に挟んだことがあるからですな」


「ということは、何か魔法相続のことでお困り、ということですか?」


 直人は気持ちを切り替えて、そう尋ねつつ、人間以外の魔法相続など取り扱ったことがない、と少し不安に思った。


「そうなのです。記憶が定かではないのですが……。このような姿になってしまったのは、魔法が原因ではないかと思うのです」


「魔法が原因……ですか。何かそう思う根拠があるんですか?」


「いえ、全くありません。強いて言えば、勘ですかな。……あぁ、孫の存在がそれを証明しているかもしれませんな」


「お孫さんですか。そのお孫さんというのは?」


「町外れにある、ろう学校に入っております」


 それを聞いて冬華が驚く。


「えっ!? 猫ちゃんにも学校があるの? しかも、聾学校って、福祉まで充実してるじゃん!!」


「いえいえ。孫は人間ですよ。しっかり人間の聾学校に通っております」


 当然の回答だ。学校というのは、基本的には人間が通うところだ。動物自身が運営する学校があるとは思えない。


「猫の世界にも学校があるんですかねぇ? あったら面白そうですな。しかし、猫の姿でありながらお恥ずかしい話、猫の世界のことは何も存じないのです」


「えっと、すみません。話を総合すると……人間のお孫さんがいて、東条さんは何かの魔法によって、猫の姿になってしまったんじゃないかと考えてらっしゃる。つまり、それって……」


 呑気に猫の学校に思いを馳せる行定を制するように直人が核心部分に迫る。


「えぇ。わしは、おそらく元は人間なのです」


 行定は当たり前のことを言うようにサラリとそう告げた。

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