第1話 この世界の理

 十時ととき家に移って以来、津雲直人つくもなおとの仕事はすこぶる順調だった。


 レベル4以上の高レベルの魔法相続に関する依頼こそなかったが、小さな依頼から多少手間のかかる依頼まで、仕事は途切れることなく舞い込んでいる。魔法相続とは直接関係のない相談が持ち込まれることさえあった。

 それまででは考えられない仕事量だ。


 もはや、相続にとどまらず、魔法に関する総合相談所のようになっている。


 忙しく過ごしているうちに、景色は白から桃色に変わる。季節は冬から春になろうとしていた。


「ねぇ〜、ナオォ〜。いくらなんでも、忙しすぎないぃ〜? ボクはもう、いい加減ヘトヘトだヨぉぉ」


 疲れとともに若干、体毛のツヤを失った犬……もといサルは、宙に浮かびながらぐったりとしていた。

 もっとも、元からこのサルの業務キャパシティは、お猪口程度しかない。したがって、一つ仕事をこなしてはぐったりするというのは、ルーティーンであり、十時家に移る前からお馴染みのことだ。


「お前なぁ……。お前は、大したことしてないだろ? 春華はるかさんや冬華とうかさんが手伝ってくれてるおかげで、お前の仕事といえば魔法庁との事務的なやりとりだけじゃないか」


 メルは、そんな呆れ気味の声にも姿勢を正すことなく、直人の周りをふわふわと漂っている。


 そんな様子を眺めていた十時冬華は、突然思い出したように疑問を口にした。好奇心旺盛な冬華が、直人やメルに質問を投げかけるというのは比較的よく見られる光景だ。


「そういえば!! 魔法っていうのは、相続でしか承継できないって言ってたけど、それって本当? 『魔法というを所有』しているって考えるんだよね? それなら、他のと同じように、売ったり買ったりもできるってことじゃないの?」


 最も魔法について詳しいはずのメルは、答えるのもめんどくさいとばかりに直人に視線を投げた。目だけで、「説明は任せた」と訴えている。

 その視線の意味をしっかり理解した直人は、冬華の前に歩み出て話し始める。


「冬華さんは、よく勉強しているね。実際に目に見えるものではないから分かりにくいけど、冬華さんの言うとおり、『概念を所有している』と考えると分かりやすい。魔法は、魔法所有者と不可分一体のもの、というわけではない。つまり、切り離せるものなんだよ」


 少し難しい直人の説明に、冬華は碧い瞳をキラキラさせながら「うんうん」と興味津々にうなずいている。自分を形作る元になった力である魔法に、強い興味をそそられるようだ。


「それで、質問にあった魔法を売ったり買ったりできないか? つまり魔法売買の可否だけど、結論から言うと、できる……らしい。ごめんね。らしいと言ったのは、俺も実際にやったことはないし、見聞きしたこともないからなんだ。魔法売買はどこの国のどの特別区でも法的に硬く禁止されているからね。ここで言うというのは、単純なこの国の法律という意味に限らない。この世界のことわりまで含むものだと思ってほしい」


「よく分からないなぁ……。どういうこと? 人を殺してはならないという法律があるからといって、必ずしも人を殺すことができないわけではないってこと?」


「う~ん……。できるにはできるけど、それ相応のリスクがある……ってことなんじゃないかなぁ? 殺人に刑事罰が科されるようにね」


 若干、説明に窮し、あくまでも予想でしか語れない直人は、助けを求めてメルを見る。直人は魔法相続の専門家ではあるが、魔法そのものについてそこまで詳しいわけではない。

 うつ伏せの状態で空中を漂っていたメルは、直人の視線を感じてやっと姿勢を正した。


「リスクがあるネ。リスクっていうのはネ、キミたち人間にとって、とんでもなく不都合で悲劇的なことだと考えていいヨ。なにしろ、この世界の理を破るんだ。それ相応の悲劇に見舞われるのは当然だろう? それでもチャレンジしたいって人は、少なからずいるかもしれないけどネ。人間というのは、どこまでも欲深いものだからネ」


「まだ、よく分からないんだけど……。その、とんでもない悲劇っていうのは、いったいなに?」


 好奇心旺盛な冬華は、納得のいく答えが出るまで食い下がるつもりだ。


「その人が二番目に大事なものを失うことになるヨ」


「二番目? ……なんですか? 一番目ではなく?」


 それまで静かに全員分のコーヒーを準備していた冬華の双子の妹、春華が、マグカップをメルに差し出しながら尋ねた。そのまま、直人、冬華の順にマグカップを配っていく。


「そう。二番目だヨ」


「どうして二番目なんですか? 一番目に大事なものを失ったほうが、悲劇的だと思いますけど……」


「一番目を失ったら、その人は悲しみのあまり自殺してしまうかもしれないじゃないか。死んじゃったら悲劇でもなんでもないだろう?」


「どういうことだ? 死ぬってのは、それがそのまま一番の悲劇だろ?」


 死こそが最大の悲劇だ、とメル以外の誰もが思ったが、魔女であるメルにとっては違うらしい。


「違うネ。一番大切なものがあれば、多くの人はそれを希望にして生きていくだろう? 安易に死を選べないんだ。二番目を失った苦しみを抱えながら、死に物狂いで生きるんだヨ。それって、死ぬことよりも苦しいことじゃないカナ? 死んだ方がマシっていう状態だヨ。まさに、悲劇だ。まぁ、言葉で説明しても分からないカナ? だからといって、実際に試してみる!! なんてのはおすすめしないヨ」


 メルの言葉に直人はゾッとした。

 口調一つ変えずに日常会話の如く、楽しそうに言ってのけるメルの感性に、自分たち人間との明確な違いを感じる。付き合いの長い直人だが、メルの死生観や悲劇に対する捉え方を知るのは初めてのことだった。


「その人の二番目に大事なものが、命だった場合は? その場合は、死んじゃうの?」


「うん。死んじゃうネ。でも、滅多にそんなことにはならないと思うヨ」


「どうして?」


 自信を持って断言するメルに冬華は、なおも疑問をぶつける。


「さっきも言ったけど、その人が二番目に大事だと《自覚している》必要があるからだヨ。大抵の人間は、命のありがたみに無自覚だろう? キミたちは、今自分が生きていることをしっかり自覚しているかい? それが大切で、尊いことだと自覚している?」


「言われてみると……。普段命のありがたみをそこまで考えることって、あまりないですね。自分や、誰か大切な人の死に直面した時には自覚しますけど……。平穏に暮らしていたらすぐに忘れてしまいそうです。それくらい、私たちにとって生きているってことは、当たり前のことになっている気がします」


 幼い頃に母親を、そして、つい最近、父親を亡くしている春華の言葉には説得力があった。


「そうだろう? そして、命が自分にとって大事なものだとしている人間は、命が大切なんだヨ。だから、この世の理を破っても死なない。まぁ、命の次に大切なものを失うわけだから、結局は、生きる希望をなくして死んじゃうかもネ。もしかしたら、この場合が一番ハッピーなのかもしれないヨ。あ、そうそう。ボクは魔女だから、ボクが仮にこの世界の理を破ったとしても問題ないヨ。ボクの存在は、この世界の外側にある。イレギュラーみたいなものだからネ」


 何がおかしいのか、メルは「クククッ」と笑う。

 メルの回答に納得したのか、冬華は「なるほど〜」と小さくつぶやいて、それ以上の質問をしなかった。

 

 来客用に置いた応接室のベルが、重たくなった空気を打ち破るようにチンチンッと鳴る。

 三人と一匹が慌てて応接室に入ると、どこから迷い込んだのか、一匹の猫が来客用の椅子にちょこんと座っていた。


「ね、猫ぉぉっっ!? なんでこんなとこに猫がいるんだい!? さっさと追い出しておくれヨ!!」


 取り乱し、右往左往に飛び回ったのは、さっきまで楽しそうに死生観を語っていたメルだった。


「おい、落ち着けよ。どうしたんだ? ただの猫じゃないか」


「ただの猫だって!? 忌々しい猫だヨ! ボクはネ、猫が大嫌いなんだ」


 メルの取り乱しぶりに三人は戸惑う。


「もし。こちらは、魔法相続士の先生の事務所で間違いないですかな?」


 老齢の男性の、やけにのんびりとした声が響く。その声にその場の全員が固まった。各々が、耳に全神経を集中する。


「こっちです、こっちです。そうそう、わしです。みなさんの目の前に座っとる猫です」


 メルの垂れ耳が、一度だけピクリと動く。

 三人と一匹の視線が一斉に集まると、灰色の体毛に覆われた猫は、ぺこりと丁寧に頭を下げた。

 

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