第二章 人の言葉を話す猫

序二 第二の魔女

「どうして、貴女は私の邪魔ばかりするのです?」


 頭にはシルクハット。胸には、どういうわけか猫の模様をあしらった大きな蝶ネクタイ。そして、黒いタキシードを身にまとった女が、小さな獣に向かって大真面目に言葉を浴びせかける姿は、事情を知らぬ者が見たらなんとも異様な光景に映るだろう。


「まぁ、ラムズフィールド様の犬であるあなたのことです。大方、そのご命令にしたがってのこと……なのでしょう?」


 嫌味たっぷりに挑発されたメルティオラは、いつもの調子でふわふわと浮かびながら反論する。


「むむっ!! 別にキミの邪魔をするつもりなんかないヨ。キミになんか、これっぽっちも興味はないからネ。それにボクが、ラムジーの犬だって? ボクら魔女を犬と呼ぶ風潮があるけれど、ず〜っと気に食わなかったんだ。キミたちと違って、ラムジーとボクの間には、上下も主従もないヨ。キミの方こそ、何も考えずにリッキーの命令に従っているだけの犬じゃないか」


「リッケンバック様を妙な名で呼ぶんじゃないっ!! そもそも、貴女のようなものが、気安く名前を呼んでいいお方ではありません。それから、私はリッケンバック様の意志を誰よりも理解し、誰よりも忠実に遂行しています。例え、私個人の意見と違っていたとしても、です。よって、貴女とは根本的に違います」


 猫模様の蝶ネクタイを締めた女は、身を屈め、乗り出すようにしてメルティオラの顔に自らの顔を近づける。メルティオラはそれに怯むことなく、腕を組んで女を睨み返す。


「ふ~ん……。聞けば聞くほど、キミの方こそまさに犬だネ。結局それって、リッキーの意志には逆らえないってことなんじゃないの?」


「その呼び方をやめなさいと言うのに……。言葉が理解できませんか? 私がリッケンバック様の意志に背くことなどありえません。できないのではなく、しないのです。する必要がないのですよ。もちろん、リッケンバック様のために、どうしても必要があれば、苦心、リッケンバック様のお考えとは別の行動をとる……かもしれませんがね」


 メルティオラは猫が、とりわけこの女のトレードマークともいえる蝶ネクタイに描かれた猫が、大嫌いだった。メルティオラが持つこの女自身に向けられた負の感情を、猫が一身に引き受けているといっても過言ではない。

 メルティオラは、汚いものを遠ざけるように心底嫌そうな顔をしながら、顔に触れそうなところにぶら下がった猫を払った。実に迷惑そうである。その態度だけで、メルティオラがこの女に対して抱く感情をうかがい知ることができた。


「だいたいサ。リッキーとキミは、人間のことをどれくらい理解しているの? 机の上であれこれ考えるだけじゃ、本質は見えてこないヨ。その点、ボクは人間をこの目でしっかり見ているからネ。キミたちとは違うヨ」


「ふんっ。貴女もなら、直接見なくとも分かるはずです。それをわざわざ見に出向いているんですか? 愚かとしか言いようがありませんね」


 女は鼻を鳴らし、呆れたように掌を上に向ける。しかし、メルティオラは一歩も譲らない。


「じゃあ、キミは理屈だけ捏ねて、現実には目を向けないってわけだネ? ボクにとっては、それこそ愚かなことだヨ。どうしてその目で確かめないんだい? 言われたことをただそのとおりにこなすことだけが、リッキーの為になると本気でそう思っているのかい? そもそも好奇心は刺激されないのかい? まさかとは思うけど、リッキーが認めないから……じゃないだろうネ? 少しは自分の頭を使いなヨ」


「……たしかにリッケンバック様はよく思われないでしょうが、それよりも何よりも、無駄なことだからですよ。私は、これでも自分の見た目が気に入っているのです。無駄なことに犠牲をはらうつもりはありません。あなたのその姿……。まんま犬ではないですか。以前の方がいくらかマシでしたよ。犬が悪いとは言いません。猫ほどではありませんが、犬も好きですよ。犬は忠義があっていい。我々魔女が手本にすべき姿勢です。ただし、その忠義こそ見習うべきとは思いますが、私は犬そのものにはなりたくありません。犬は、あくまでも従えるべき存在です」


 女は、いくらか声を低くして凄むように言った。


「だから、犬じゃないって言ってるだろう? サルなんだヨ!! サ・ル!!」


「どちらでも構いませんよ。どちらにしても、獣ではありませんか。そばに置くのは構いませんが……。私にはあなたの考えが理解できません。もっとも、それは元からですがね」


「つまり、キミはビビっているんだネ? ボクは、ちっとも怖くなかったけどなぁ〜。うんうん。全く怖くない。獣になろうが、誰に怒られようが、そんなものはまるで怖くないヨ。そんなことより、この抑えられない知的好奇心をなんとかしなければならなかったからネ。あふれんばかりの知的好奇心の前では、あらゆることが瑣末さまつなことだヨ。まぁ、キミにはボクほどの知性がないようだから、ビビっちゃうのも無理からぬことだよネ」


 メルティオラは、目一杯の嫌味と皮肉を込めて、露骨に挑発する。目的は、特にない。ただ、いつも決まってタキシードとシルクハット、それから大きな蝶ネクタイを身につけている目の前の女のことが、どうしても気に食わないのだ。

 その姿から一挙手一投足まで、女のすべてに虫唾が走る。


「何を言うかと思えば……。この私が、貴女よりも知性で劣る? よくもそのようなことを……」


「そうだヨ。ボクの方が、キミよりずっと優れてるヨ。それはつまり、ラムジーの方が、リッキーよりも優れているということに他ならないネ」


「……っ!? なんと無礼で愚かな……。リッケンバック様が、誰かに劣るなど……」


「それを証明できるのかい? キミも実際にその目で確かめるのカナ? メアリーベル。ボクたち魔女は、いわば研究者だヨ。真実の探求者と言い換えてもいい。、自分のその目で確かめるべきサ。誰に何と言われようとネ」


 メルティオラは、先程の女の言葉を引用する。メアリーベルと呼ばれた女の目が、左右に泳いだ。


「ネ? キミの知性がボクより劣っていないのなら、自らの好奇心に勝てるわけがないんだヨ。そうだろ? ベル」


「親しげに愛称で呼ばないでください。……まぁ、検討だけは、しておきましょう。私は、貴女ほど暇ではないのでね」


 メアリーベルは、そう言い残して煙のように消えた。


「ふふんっ。ベルのやつ。逃げたネ」


 メアリーベルの答えに、一人残されたメルティオラは満足そうにうなずく。

 メルティオラは、メアリーベルが実際に行動に移すことはないと確信して——つまりは、自分の勝利を確信して、こっそり噛み殺すように「クククッ」とほくそ笑んだ。

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