第12話 冬華の組成

 ニ人と一匹は、直人なおとの事務所に移動すると、すぐに魔法相続の手続きに取り掛かった。

 取り掛かるといっても、することはそう複雑ではない。


 まずはメルが魔法で隠している万年筆を使って、直人が書類を作成する。魔法庁とやりとりする書類には、必ず万年筆で書き込まなければならない。

 書類作成には、記載事項が多く、また様式が定まっているため、多少の時間がかかる。


 できあがった書類に、特殊な魔力で直人が印を押す。それに春華の自署と印を加えたものをメルが魔法庁に持っていくと、魔法庁の方で魔法所有者のデータを書き換えてくれる。


 そして、書き換わったデータを使って、春華はるか暗号情報クリプトグラフィを作れば、それで魔法相続の手続きは終了となる。


 事務的な手続きを終えると、最後に直人は春華の頭に手をかざし、祈るように目を閉じる。春華は少しずつ頭のてっぺんが温かくなるのを感じた。

 直人は、しばらくそのまま手をかざしたのちに、ゆっくりとその手のひらを春華の頭の上に乗せる。そして「はい、これでおしまい」と言って、指をパチリと一度鳴らした。


 ひととおりの手続きを終えても、春華に魔法を相続したという実感はなかった。

 頭に感じた温かさ以外に、これといって変わったところはなにもない。それに、春華自身はなにもしていない。


「あの……。これで本当に終わりなのでしょうか……?」


「終わりだよ。これで君はしっかりお父さんとお母さんの魔法を使えるようになってる」


「効力は、弱まってるけどネ」


 茶化すような声にいつもであれば怒り出すはずの直人だが、今回は怒らない。直人は、自分の能力の欠陥に初めて感謝していた。この欠陥がなければ、春華を救うことはできなかった。


「なんだか……実感がわかないのですが……」


「みんなそう言うよ。それじゃあさ、早速、冬華とうかさんを組成してみよう。俺たちも見てるから」


 直人の言葉に、春華は力強くうなずいた。うなずいたはいいものの、どうしていいか分からない。春華はうなずいたまま固まってしまった。


「あの……魔法を使うって、どうすればいいんでしょうか?」


 直人とメルを交互に見比べながら問う。


「うん。それじゃあ、ボクが教えてあげるヨ。……と、言っても、そんなに難しいことじゃないんだヨ。すご~く、簡単だから安心してネ」


 春華は居住まいを正すと、メルに向かって短く「はい」と返事をした。緊張からか、少し震えている。震えを止めるために両手で自分の身体をぎゅっと抱きしめた。


「魔法っていうのはネ、想いの結晶なんだヨ。なにも特別なことじゃないんだ。キミが念じたことを形にするだけのことなのサ。だから、春華が心の底から冬華に会いたいと願えば、それが自然と形になって現れるはずだヨ。ボクはその手助けをするだけ。重要なのは、春華自身の想いなんだってことを忘れちゃダメだヨ」


 春華はメルに言われたとおり、なるべく具体的に、なるべく強い想いで冬華の姿を思い浮かべる。そのために必要だったのだろう。自然と目を閉じていた。碧い瞳が瞼の裏に消える。

 春華は、心の底から冬華に会いたいと願った。


「うん。その調子だヨ。もう少し強く、もっともっと具体的に願うんだ」


 春華は目を閉じながら、意識を目の前の空間に集中させる。そこに冬華がいる世界を思い浮かべた。

 

 かつてあった世界。

 つい数日前まで、当たり前に春華を包んでいた世界。

 春華の呼びかけに笑顔で答える冬華。春華に叱られて、少し不貞腐れる冬華。飼っていた犬が亡くなって、一緒に大泣きしたこともあった。

 そのすべてが幸せな光景として目の前に映る。


「……うまくいきそうだな」


 直人のささやくような声が聞こえたが、春華は集中を切らすことなく冬華の姿を投影する。

 不思議なことに、今は自分の想像上の姿でしかないはずの冬華が、時間が経つにつれて実体をともなった確かなものに感じられる。

 そして、その感覚がゆるぎないものになったとき、春華の耳は聴き慣れた声を捉えた。


「ハル……? あれ? 私……どうしてこんなところに……?」


 その声に春華は瞼を開く。その碧い瞳に、春華そっくりの少女が映った。


 そこには、冬華がいた。


「ウカちゃん——!!」


 集中を解いて、勢い良く冬華に抱き着いた春華は、顔をくしゃくしゃにして泣いた。大粒の涙がとめどなくこぼれ落ちる。


「ちょっと、ハル。どうしたのよ。なんで泣いてるの?」


 春華は冬華の問いかけには答えず、ただただ声を上げて泣き続けた。


 状況を飲み込めないでいた冬華は、優しく春華の頭に手を置いて、大切なものを慈しむように撫でた。

 その手つきは慣れたもので、普段からそうしていたんだろうな、と思わせるには十分だった。


 ひとしきり泣き終えると、春華はゆっくりと冬華から離れた。


「……おかえりなさい」


 少しだけ震える声でそう言うと、涙の痕が残る頬を綻ばせる。そして、口角を上げてにっこりと笑った。


「ただいま……って、ここ家じゃないよね? ねぇ、ハル? 落ち着いたなら、何がどうなってるのか説明してくれる?」


 冬華は、春華にそっくりな碧い瞳をキョロキョロさせて、あたりを見回した。直人、メルの順番に視線が動く。


「俺の方から説明させてもらうよ」


 それまでメルと一緒に黙って二人の再会を見守っていた直人は、自ら説明をかってでた。しかし、冬華の視線は直人を素どおりして、メルにしっかり向けられる。


「ちょっと待って!! そこのカワイイわんちゃんは何!? 待って、待って!! 浮いてない!?」


 冬華は直人を無視して、メルに突撃する。メルは一瞬ひるんで逃げようとしたが、遅かった。冬華の腕に抱かれると、わしゃわしゃと撫でまわされ、すりすりと頬をこすりつけられる。


「ボクは……わんちゃんじゃなくて……サル……なの、に……」


 必死で抵抗するメルから抗議の声があがったが、当然のように無視される。

 途中からはあきらめたのか、されるがままとなっていた。

 死んだような目で直人を見るが、直人にはどうすることもできない。直人に助けてもらうのは無理だと悟ったメルは、春華に救いを求めた。


「ウカちゃんばっかりずるいです。私にも、もふもふさせてください」


 しかし、その春華も冬華と同じようにメルをもふもふするべく虎視眈々と狙っている。

 意を決したメルは一瞬のスキをついて、冬華の腕から逃れると、誰も届かない高い位置まで浮き上がって止まった。肩が上下に揺れ、息が上がっている。


 呼吸を整えると、腕を組んだ仁王立ちの姿勢で、地上の三人を見下ろした。

 春華と冬華は、それを物欲しそうに見上げている。


「いきなり何するのサ!! まったくもう!! まだ、やるべきことが残ってるんだヨ。特に春華!! キミはちゃんとそのへん、分かっているのかい?」


 ご立腹のその心情を反映するように、メルの尻尾が激しく揺れる。


「ちょっと、待って!! あのわんちゃん、しゃべれるの!?」


 メルのことなどお構いなしに冬華はさらに目を輝かせる。


「さっきから、ずっとしゃべってるヨ!! それに、それに、ボクはわんちゃんじゃなくて、サルなの!! 分かった!?」


「サルって……どう見ても、わんちゃんだよ。ねぇ? ハル」


 冬華に同意を求められた春華は、申し訳なさそうに、遠慮がちに肯定の意を示す。


「むむむむっ!! こんな風に二本脚で立つ犬がいる? いるわけないだろう? ちょっと考えれば分かることだと思うけどな。いいかい……」


「ちょっと待った。メルも二人もそこまで!!」


 メルの犬サル論争スイッチが入るのを察して、直人が慌てて止めに入る。本格的に論争を始めると、メルは一日中でも平気で語り続ける。そうなってしまっては、残りのやるべきことができなくなってしまう。


 一斉に注目を浴びて少しだけひるんだ直人は、気持ちを落ち着かせるためにゆっくり息を吐くと、続けて言った。


「……とにかく、みんな仲良くしよう」

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