二〇年目の再会

深町桂介

オープニング~エンディング

 壮二はいま、神奈川県N町に在する、企業・官公庁向けの引っ越し業者である〝東亜梱包〟で働いている。仕事は鞅掌であり、壮二は有能だったから速やかとは云えなかったもののそれなりに着実に昇進していた。社長の金沢は中卒で現場ばりばりのたたき上げだったから、最初は〝上智大学外国語学部卒〟という立派な肩書きを提げたこの男のことが何となく信頼できず、忌むべき憎み疎んじるべきもののごとく映じていたような扱いだったのだが、壮二の篤実な質を知るにつれて打ち解けてゆき、同時に引き立ててもくれたので、いまでは本社事業部長、というのが壮二の肩書きだ。

 扨、いま壮二は非道く悩んでいた―――、どうということはない、引き続いての昇進昇格の打診があったのだ。「今年で創業二〇周年を迎える東亜梱包は、これまで神奈川県西部で主に業務を行っており、いまでは角逐するもののないほどの規模にまで膨張してきた。翻って県東部をみると、ここはまだまだ未開の荒蕪地といってよい。手つかずだ。今回、かなり廣い土地が取得できる目途が立ったのだが、これを機に横浜・川崎方面へも手を伸ばしていきたい。その土地というのは川崎市麻生区にあるのだが、甘利くんは慥か多摩区の出身だと云っていたから、きみに初代神奈川東部支社長の職階をお願いしたい」―――、というのが金沢の意向だった。これを初めて耳にした時、壮二は悸慄して己が耳を疑った。そして次の瞬間には、どうして神奈川県を離れなかったのか、と、自分の不明を己に問うていた。だが、泣き言は云っても詮方ないものだ。壮二は、それは受けられぬ、と金沢社長に意志を傳えた。社長はなぜか、と問うた。壮二は項垂れて答えられなかった。三日猶予をやろう、と金沢は申し出た。その間に考えを決めてくれ、と。金沢はワンマン社長によくある、腕一本でものごとを運ぶタイプであった。要するに強引なのだ。壮二はこれまで偸んできた苟安が脆くも崩れ去るのを感じていた。

 壮二は多摩区であろうが麻生区であろうが、川崎市の西部地区には戻りたくなかった。と云うのも、彼の地には自分に危害を加えるかも知れぬ人物が跋扈しているかも知れず、又更に悪いことに、自分を恩知らずと呼ぶ者がいるかも知れなかったからだ。

 壮二は多摩区で産まれ、青年期までをそこで過ごした。両親はいたが、儚い存在で、世話は隣人の中島家に頼むことになった。尚悪いことに、甘利家の財を付け目にして、福森雄一という不良が絡んできており、事態は紛糾した。中島家の家長たる左千夫氏はその様子をよくみてくれ、壮二と兄の健介の世話を一手に引き受け、二人を大学まで進学させてくれただけではなく、家業の翻訳業に就けるよう、二人を指導訓育してくれたのだった。その甲斐あって、二人はそれぞれ学力に見合った大学に進み、医薬分野の翻訳業として独り立ちできるまでの能力を身に付けた。翻訳業といっても多々あるが、医薬分野のものとなると、各種の医学論文(一般には〝文献〟と呼ばれていた)や、臨床治験の報告書から、薬事関聯、製薬会社間の契約書にまで及ぶが、左千夫はこれを基本から手取り足取り指導してくれたのだった。しかのみならず、壮二は中島左千夫の一人娘・けい子と婚約することとなった。

 だが、ことが巧く運んだのはここまでだった。健介は逆恨みした福森の一味によって抹殺され、壮二の身にも危害が及ぶかに思われた。そこを身を挺して危機を救ったのが中島けい子だった。けい子は壮二との婚約を解消すると福森雄一の愛人となり、これを説いて甘利家の方面に就いて関心を喪失させ、これによって壮二は無事に危地を脱することが能うのだった。けれども壮二は最早生育の地で暮らすことはできぬ。従って壮二は二五年間住み慣れた土地を離れ、身を窶し、異郷に向かったのだった。後ろ髪引かれる思いはもちろんあったが、詮方なかった。壮二は左千夫の恩を裏切りたくなかった。が、やむを得なかった。

 かくして壮二はN町に居を移した。都落ち、の心境だった。二度と帰れぬのだな、ということを壮二の全末梢神経が情報として大脳に傳えて来た。そう、二度と故地を踏むことは赦されぬのだ。その覚悟で壮二は寓居に引き移り、求人誌を手に新しい職を求めた。就職が決まるまでに数週間を要し、貯金を喰い潰しそうになってヒヤリとしたこともあった。実に二〇社もの試験を受けた末、最終的に新会社を立ち上げたばかりの金沢が取ってくれることになって、それからは運が開けてきたかに思えた。が、その脳裡には常に左千夫の影が色濃く落ちていた。懐かしさと、感謝と、後ろめたい思い……。

 そうして早二〇年の歳月が流れた。その間に壮二は相変わらず独り身で、不惑を迎えていた。壮二の希望としては、やはり本社に居残りたかった。それが一番気楽で、丸く収まる可能性の高い撰択肢だった。三日間の賜暇を、壮二は町営温水プールに泳ぎに行ったり、自家用車で箱根の温泉へ出かけたりして過ごした。無為に過ごした。時間を浪費した。その間は何も考えられず、仕事のこと以外は一切頭に泛ばなかった。そして四日目の朝を迎えた。壮二は重たい気分で出社した。午前中は地元の空調機器製造工場で新社屋の新築に伴う異動があって、現地へ赴かねばならなかったが、午後からは内勤だった。軈て、社内では別懇にしている吉崎がやって来て、社長がお呼びだ、と云うた。

 壮二が行ってみると、金沢は社長室の革張りチェアに座り、洋酒の瓶を出していた。グレンモーレンジの21年だった。「さあ」と社長は壮二に水割りを勧めた。摘みはサラミ・ソーセージだった。「気楽にやってくれ」だが、壮二には気楽になどやれる筈がなかった。蛇に睨まれた蛙のような心地で、壮二はウイスキーを口にした。気持ちは決まったかね、と社長は問うた。はあ、と壮二は返辞をした。

「で、どうするね?」

 壮二は息を呑んで、

「折角ですが」と息を漏らした。「わたしには、お受けできません」

 社長の眉間に面白くなさそうな皺が寄った。どうしてだね、と社長は問うた。

「待遇はできうる限り優遇するし、あちらへ行ってからは支社長というポストなので、きつい外勤は実質的になくなる。昇給もするし、各種手当ても出せる。きみもそろそろ身を固めたい年だろう。だと云うのに、わたしがこんなに気を配っているのだが、肝心のきみがそんな態度では困る」

「申し訳ありません」

「何かね」金沢は苛々したように卓子の上を指で叩いた。「きみはその…、いま流行りの、人格障害か何かかね。回避性人格障害とか、そんなものかね」

 金沢の口調には打ち付けに貶損のいろが現れていた。

「―――いえ、そうではないですが」

「じゃあ何だね、何が理由なのかね」

 社長は、自分はきみのことを今では股肱とも恃んでいる、欠かせない人材だ、と云って頻りと引き留めにかかったが、壮二は眼を伏せた儘で何も答えられなかった。

「どういうことなのかね」

 金沢はすっかり困じ果せたような顔で云った。では何が希望なのか。

「わたしの希望は」壮二は小声で云うた。「従前通り、この本社でこの職に就いて働きたい、ということです」

「併し、それでは社にも損だし、きみにとっても得ではないだろう。――きみは大卒だし、折角の学歴が活かせないというものだ。きみは語学の才もあるようだが、その能力もあちらで活かせることもあるだろう」

 ―――いや、それはないでしょう。

 と壮二は云いたかったが、できなかった。

「なら、いいではないか」

 その先、壮二には何も云い出せなかった。押し切られて了ったのだ。壮二はどん底に突き落とされたような気分だった。けれども、どこにも捌け口はなかった。社長の言葉に反駁することも能わなかった。なす術はないのだ。

 かくて、壮二の人事異動は決まった。壮二は十月二〇日付で神奈川県東部支社長の職を拝命した。移転はごく簡単だった。壮二のアパートには、以前の仕事では必須だったPCもなければTV受像器もなく、ごく簡素な暮らしぶりだったので、荷造りするのに時間は掛からなかった。移転先は会社が探してくれ、2LDKという廣さのマンションを撰んでくれた―――、壮二の小体な暮らしからすると分不相応とも云えるものだ。が、壮二には元より不満異存はなかったので、屠所に引かれる羊の心境で黙然と手続きを遂行した。

 壮二の住まいは柿生駅から徒歩で十分ほど、会社は住まいから徒で五分ほど、交通至便の立地である。壮二は暇な時間は秋の日を散策することを好んだが、麻生区へ引き移ってからはなかなかそういう心がけにはならなかった。人目に付くのを懼れたのだ。縦し知った顔に見咎められれば、裏切り者、と礫打ちにされるに相違ない、と懼れたのだ。それでも、小春日をみつけては、二〇分か三〇分ほど、多摩丘陵の裾野をそぞろ歩きすることはあった。それで壮二の心はだんだん安寧を取り戻していった。昔日の知己の姿は悉皆みえなかったから、少しずつ安心して暮らせるようになった。

 そんなある日、壮二の会社は一件の大規模な仕事を引き受けることになった。多摩区に所在する専修大学が学部を移転するに伴い、その案件を東亜梱包に依頼して来たのであるが、壮二の営業所にとって、纏まった仕事としては初めて取り扱うものだった。大学の担当者が壮二の社を訪れて何回か打ち合わせを行った。本来なら東亜梱包のほうが出向くべきところだが、大学の担当者は、今は学内も試験期間とのことで学生や教員で大分混み合っているし、移転先の校舎は普請中だし、落ち着いて折衝のできる空間もなかなかみつからないので、とのことだった。壮二はいきおいその場に立ち会うことになり、大学側の担当者を出迎えて応接した。壮二は支社長職であるから、いてもいなくとも構わないようなものだったが、形式上挨拶程度はする要があった。

「……どうも、大変お世話になっております。支社の責任者の甘利と申します」

 壮二がそう控え目に辞儀をすると、大学側の担当者は、

「こちらこそ。専修大学学事部の側嶋と申します」

 壮二の神経はこの名前にぴりっと反応した―――、側嶋。あまり聞かぬ名前だが、昔日の近所に慥か………。

 そんなことを考えていると、用談が終わって帰り際、側嶋は小声で、

「若しや、あなた、甘利壮二さんではありませんか?」

 と痛所を突いて来た。壮二はびくりとした。だが、否む訳にはいかない。

「―――いかにも、そうですが」

 すると相手はほっとしたように、

「やはりそうでしたか。中島さん、中島左千夫さん、覚えておいででしょうね」

「……――はあ」

「あの方、大分あなたことをお探しでしたよ。かなり熱心だったようです」

「そうですか」

 ふたりは瞬息、眼と眼で見交わした。壮二はその沈黙に堪えられなくなって、

「――で、左千夫さんはいま?」

 と問うた。すると側嶋は、

「いま、あの方は、病院に這入られています」

「病院?」

「ええ。――ALSという病気で」

「あ、筋萎縮性側索硬化症」

「そう。よくご存知ですね」

「いや、昔……」その後は言葉を呑み込んだ。「―――で、病院に?」

「ええ。聖マリアンナ医大の付属病院に」

「そうですか。お悪いのですか?」

「もうずっと生命維持装置がついた儘だ、と伺っています」

 壮二は伏し目になった。

「―――そうですか……」

「何か合併症があるそうで、意識ももうずっとお戻りになられてないとか」

「ああ………――」

 壮二は、思わず大きな声で、

「屹度、みなさぞかしぼくのことは恩知らずだとお考えのことでしょうね?」

 と詰め寄るように問うて了った。が、側嶋は穏やかな声で、

「いいえ。そんなことはありませんよ」

 側嶋はすぐ仕事人の顔に戻り、では、と云い置いて去って行った。あとに残された壮二は急に切なさがこみ上げて来て、思わずしゃくりを立てそうになったが、そこをぐっと堪えた。もう子供ではない。分別盛りだ。―――併し、先刻の側嶋の登場は出し抜けだった。角を曲がったらいきなりアッパーカットを喰らわされたようなものだ。あれは効いたな、ちくしょう。

 壮二はずっと自分のことを〝忘恩の徒〟だと考えていた。より精確に云えば、半ば強迫観念のように思い込んでいた。先ほどはその思いを自然に相手へぶっつけることになって了ったのだが、あの側嶋の返辞は何か。「ああそうだおれたちはみんなみんなしておまえのことはおんしらずだとおもっているさ、だがそれはおまえにはむかんけいだよ、なぜならおまえはもうおれたちといっしょにくらせるようなやからではないからな、とっととこのとちからでていってくれこのおんしらずめ」とでも云われた―――、尠なくとも仄めかされたかのような気にはなった。あの態度は嘘誕だ。そうに違いない。

 壮二が眠れなくなったのは、それからのことだった。寝入ったとしても、必ず厭夢をみるのだ。例えば意識を恢復せず寝ている左千夫の枕辺に座り込んでいたり、佇立していたりする夢。或いは北海道の原野か泥炭地かとも思われる、どことも知れぬ沼地に填って行き泥んでいる夢。或いは劫火のために生きたまま焼かれる夢。そして壮二には眠りが訪れなくなった。眠ろうとすると眠気が失せて眼が冴える。それでは全く眠くならないのかというと、それがそうでもない。白昼のふとした時に眠気が落ちてくることがあった。

 そんなことを繰り返すうち、壮二はこれは病院へ行った方がいいのではないか、と思い出した。―――だが、壮二の心は、直ぐと正解を考え出した。

「そうだ。左千夫さんを見舞いに、医大病院へ行けばいいのだ」

 壮二は早速実行に移すことにした。何より、もう日中でも眠くて辛く、堪らない時間があったからだ。藁にも縋る思いで壮二は病院に向かった。仕事を早めに切り上げて夕刻のバスに乗った。病院の受付係はもう今日の面会時間は終わりだ、と云ったが、壮二は親類の者なので、と云って無理に頼み込み、承服させた。病室を聞き出し、エレヴェーターに乗ると、五階までずっとひとりだった。

 左千夫の病室は五階病棟の片隅にある小暗い小部屋だった。壮二は戸口で念のためノックをしたが、中から返辞はなかった。戸を排して中に這入ると、カーテンは引かれ、薄暗がりの中に人体が横臥していた。人工呼吸器を付けているのだろうか、鼻からパイプが伸びている。

「左千夫さん―――」壮二は潜めた声で囁いた。「どうしてこんな―――」

 その声は顫えを帯びていた。壮二の眼のまえの左千夫は、もはや生者の範疇には這入らなかった。冷たい骸も同然だった。壮二は息を呑み、我知らず左右の手を握り締めて拳をつくっていた。その拳は微かに顫えていた。

 壮二は室の中を見回した。生命維持装置だか人工呼吸器だか知らないが、何かの機器の制御装置があり、蓋し左千夫の脈拍に合わせてのものなのだろう、ピッ、ピッ、と微かに音が鳴っている。壮二は息を詰めてその装置を見つめた―――、と、その時壮二は自分でも俄には信じられぬほどに激しく自分が立腹していることに気づいた。その発した怒りは何に因するものなのか、咄嗟に定かではなかったが、壮二の怒りだけは慥かだった。動かし難かった。確りしていた、と云ってもよい。壮二はその内攻する怒りに衝き動かされて行動することに決められた。

 そして、次の瞬間、壮二はその装置に近寄ると、マスター・スイッチを「OFF」の位置に動かしていた。

 その自身の行為を目の当たりにした壮二だが、悔悟悔恨の情は泛んで来なかった。そこにあったのは、深い強い憤りが慰撫されて消えたときに月面の痘痕のように残る焼け跡だけだった。

 ―――そうだ、これは二〇年分の怒りなのだ。

 壮二はそう思い、それで納得した。得心がゆくと、この場所に居残る理由はなにもない。早速室を後にした。自分の跫音すら耳障りに聞こえるほどに静かな院内を足早に歩き、人気のないナース・ステーションを尻目に、エレヴェーターにたどり着き、釦を押して筺を呼び、その儘大学病院を後にした。

 自分のこの二〇年、それがあのスイッチを動かした元因なのだ。壮二は堅く信じて疑わなかった。それは終章まで読んだ推理小説同様、疑いを差し挟む余地はどこにもなかった。

 自分のこの二〇年……。その時間は、嘗ての恩人に対し届かぬことが分かり切っている謝意を送り続けながら、陋巷で送った時間であった。その時間の中に、左千夫にみせたいと思った涙がどれほどあったろうか。左千夫の耳に届けたいと思った哀切の言葉がいかほどあったろうか。壮二は今その瓦解した言辞と落涙の山の下敷きになっていたのだった。

 壮二は翌日からも平生と同じように出勤した―――、前の晩は復た眠れるようになっていたのだった。厭な夢もみなかった。すっきりした気分で壮二は起き出し、朝食も確り摂って仕事に出た。

 専修大学の仕事は、幸いうまく進捗し、大学側からは謝辞が届いた。これはその儘、壮二の洋々たる前途への餞になるものでもあった―――、支社にはその後も引き続いて大口の仕事の声が掛かり、壮二は間もなく昇給が認められた。

 こうして暫くの間、壮二は多忙を絵に描いたような生活を過ごした。最早多摩区の出身であることを隠すような心がけにはならず、そればかりかN町にある戸籍を復たこちらに移して恢復しようか、とさえ考えるまでになっていた。左千夫のことも余り考えなかった。又、壮二はあの後左千夫の死はどう処理されたのか、ということに就いても余り考えを巡らさなかった。左千夫は死んだろう、とは漠然と思っていたが、刑事事件になった可能性とか、自身に捜査の手が伸びるような仕儀に至ることなどは全くの意想外であった。壮二は生き返ったように健康で、幸福で、自分の生命をいま初めて謳歌していた。自分の周りの生きとし生けるもの全てに祝福を送りたいような日々を送っていたのだ。

 だが、その日々も長続きはしなかった。

 ある午後、壮二が仕出し屋の弁当で昼食を済ませた後、「支社長室」のデスクに向かって新聞を拡げていると、戸を敲く音がした。返辞をすると、

「甘利さん、お客様です」

 と女の職員が云うた。たれか、と問うと、弥永さんと仰有っています、とのことだった。

 ―――弥永。弥永。

 出て来るような、出てこないような。兎も角会うことにして、その辺をとり片付け、客を通させた。

 弥永という男は、年格好は五〇年輩、頭は余程禿げ上がって鼻下に髭をたくわえており、壮二の知った顔ではなかった。

「し」

 失礼、と云おうとした時、客が口を開いた。

「甘利壮二さんで、いらっしゃいますね」

 点頭すると、

「わたしは弥永巌夫と申しまして、横浜市都筑区で弁護士を開業している者です」

 と云う。話の先を促すと、

「実は先頃、中島左千夫さんが永眠なされまして」

 と云い、値踏みでもするように壮二の顔をじろじろみた。

「ほう」

 壮二はその時はまだ、余裕を以て応対できた。

「わたしは、その遺言の信託管理を云い遣っているのです」

 壮二はチェアの上で少し姿勢を変え、腹の上で手を組んだ。

「ははあ」

「いや、何しろ、あなたを探し出すのにはかなり骨が折れましたよ、実際」弥永と名乗る男はそう云うと、顎を撫でながら、今一度念を押すように、「あなたは甘利壮二さまで、本当に間違いありませんね?」

 壮二は少し腹が立ち、

「間違いありません」と云うた。「わたしの運転免許でも出しますか? それとも健康保険証でも? お好きなように穿鑿して下さって結構ですが、ぼくは甘利壮二本人に間違いありません」

 すると弁護士は、やや蒼惶として、

「いや、いや、それなら結構。大変、大いに結構」

「―――して、どういったご用向きなのです? ご覧の通り、ぼくは会社勤めの身です。午後も仕事が待っているのですが」

「そうですな」弁護士は椅子の上でやや身を乗り出し、「実は、亡くなられた中島左千夫さんは、生前あなたのことを大変気に懸けておいででした」

 壮二の心中に黒雲の端がみえたのはその時のことだった。

「ほう」

「あなたのことは、散々探しましたよ。北は旭川から、南は奄美大島まで。中島さんは、あなたのことが本当にご心配だったのでしょうなあ。あなたがきちんと生きているのか、ちゃんと喰って行けているのか、所帯は持ったのか、真っ当に生きているのか、とね。―――それで、生前に遺言を作成なさって、そこには、あなたを探し出して、これだけの金額を残すから是非渡して欲しい、と云っておられました」

「金?」

 弁護士は首肯した。

「そうです」と云って隠しから電卓を取り出し、ディスプレイに金額を並べた。「これだけの額なんですがね」

 壮二は顔から血の気が引くのがわかった。その金額は、贅沢さえしなければ、かつかつ一生喰って行けるだけのものだったからだ。

「―――で」急に渇きを覚えた壮二は咳一咳して云った。「左千夫……さんは、最期はどうだったのですか?」

 弁護士はかぶりを振った。

「非道いものでした。最期は、殺人でした、殺されたのです。たれかにね…」微かに俯く。そして言葉を継いだ。「周りのひとは、あのひとに怨みを抱く人間がいるなんて信じられぬ、と云うばかりだそうです。まあ、それは兎も角殺されて了ったのです。けれど、これはわたしもこの耳で聞いたお言葉ですが、生前には、〝人工呼吸器を取り付けたり延命措置を施すような必要がある場合には、いっそのこと殺して欲しい〟と仰有っていたくらいですから。だから、それを知っていたたれかが故意に電源を切ったのかも知れません」

「人工呼吸器を……」

 弁護士は頷いた。

「そう、たれかが生命維持装置の電源を切ったので、左千夫さんは呼吸ができなくなり、死に至ったのです。―――、そう、我われもそう解釈することにしています。左千夫さんの遺志を知っていた何者かが態と装置の電源を切ったのだ、とね。一つ救いがあるのですが、望み通りの最期だった所為か、実にいい死に顔だったそうですけどね」

 間もなく弁護士は立ち上がり、その場を立ち去った。壮二はこの後に何か待っているのではないか、刑事か巡査による審問か、或いは起訴状の到来かあるのではないか、と勘繰った。が、どれも杞憂だった。壮二の身辺では何も起こらず、ただゆったりと〝有り触れた日常の時間〟が流れているだけだった………。

 壮二は会社に辞表を出そうと再三思い悩んだが、結句書類はブリーフ・フォルダに抛り込んだ儘になっている。

 併し、壮二は一つ決意した。この人生の残りの時間はだれとも共有せず、活ける屍として孤独に過ごして行こう、と。

 あの日、弁護士の渡して寄越した小切手は自宅の金庫で保管している。何にも遣わずに、自分の死後は慈善団体に寄付してくれる旨、近々遺言状を作成する胸積もりでいる。

 季節はその想いとは拘わりなく移ろってゆき、壮二は復た歳を重ねたが、自分の行く手に待つ者が何であるのか、既に見通しがついたような気がする今日この頃なのである。

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二〇年目の再会 深町桂介 @Allen_Lanier

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