幕間劇

45.おもんない話。

 こんにちは。ソロリです。

 ここまで読んでもらって、ホンマありがとうございます。めっちゃ嬉しいです。


 この回の話は【幕間劇】ちゅうやつらしいです。ドラマの古畑任三郎で、よくやる手法らしいです。


 でもこの幕間劇、幕間劇やのにめっちゃ長いらしいです。

 理由は、「第6回カクヨムWeb小説コンテストの【どんでん返し部門】にエントリーしてもうたから」らしいです。おかげで、幕間劇がめっちゃながなったらしいです。


 わたしは今、この回の【注意書き】を言うために、皆さんと話しているらしいです。

 重要なことなんで、絶対説明せんとダメらしいです。それじゃあ、説明しますね?


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       【注意書き】



この回を読むのはいたします。


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 なんでも、この回を読むと、この物語の視点が、わたしから別の人に変わるらしいです。主人公が変わるらしいです。

 このまま、わたしが主役の話を読みたい人は、この回は読み飛ばして欲しいらしいです。

 わたしも、なんや知らん人に主人公を奪われるのイヤなんで、読み飛ばして欲しいです。


 ちなみにわたしは、この回のお話を読んでません。こんなめっちゃ長い話、わたしはよう読みません。しかも、題名に「おもんない話。」って書いてあります。わたしは、おもんない話は読めません。文字ばっかりのおもんない話は、とてもやないけど読めません。


 ・・・以上で、【注意書き】はおしまいです。


 わたしはおくにさんとのダンスレッスンで忙しいんで、そろそろ失礼します。


 そんなわけなんで、こっから先は、読みたい人だけ、おもんない話を読んでください。



こっから始まります。


 ↓↓↓

 ↓ ↓

 ↓べ↓

 ↓つ↓

 ↓に↓

 ↓読↓

 ↓ま↓

 ↓ん↓

 ↓で↓

 ↓も↓

 ↓え↓

 ↓え↓

 ↓で↓

 ↓す↓

 ↓よ↓

 ↓ ↓

 ↓↓↓


 私は屋敷に戻ると、足もとから崩れ落ちた。慌てて女中が駆け寄ってくる。

 私は屋敷に戻るなり、女中に食欲がないこと、そして、すぐに眠りにつきたいことを伝えた。なので今、私は床についている。


 御伽噺おとぎばなしが、ここまで恐ろしい代物だったとは・・・私は、策伝さくでん和尚と山名やまな殿、そして何より、ソロリちゃんに戦慄した。あの人たちは、化け物だ。


 御伽噺おとぎばなしは、文福茶釜ぶんぶくちゃがまの狸も逃げ出す、地獄のような空間だった。綱渡りならぬ橋渡り。しかもバナナの皮が敷き詰められた橋を、すべることなく渡りきらなければならない、地獄のようなうたげだった。しかもその地獄は、ようやく道半ばだときた。


 自己紹介が遅くなった。床の中より自己紹介をする無礼を、どうかお許しいただきたい。

 私の名前は小早川こばやかわ景隆たかかげ。毛利元就の三男、今は豊臣政権の大老を努めさせてもらっている。

 恥を忍んで、運だけで今日まで生きながらえてきた私などには、もったいない大役だ。


 白状をしてしまうと、今回の御伽噺おどぎばなし『秀吉豊臣のすべらない話』を企画したのはこの私だ。とはいえ、私は企画を出しただけで、一切を取り仕切ったのは三成みつなり殿なのだが。


 御伽噺おどぎばなし『秀吉豊臣のすべらない話』を企画したのは、二十日ほど前のことだ。

 そして、そのきっかけとなった出来事は、今からちょうど四十九日前にさかのぼる。


 その日、私はたこの糸が途切れて、宙に放たれたことを知った。たこは、豊臣秀吉・・・つまりは関白かんぱく殿だ。そして途切れた糸はその弟、豊臣 秀長ひでなが殿だ。


 関白かんぱく殿が、ここまで高く、高く、天高く登られたのは、秀長ひでなが殿の力添えに他ならない。風を読み、たこの紐を巧みに操り、関白かんぱく殿を、高く、高く、天高く、天下一までお導きになられた。


 そして、今からちょうど四十九日前、たこを操る名手が死んだ。たこの糸が切れたのだ。


 糸切れたたこ何処いずこに舞う?


 朝鮮だ。そして明王朝みんおうちょうだ。糸切れたたこは日の本だけでは飽き足らず、大閤たいこうとなり海を渡ろうとしている。水隔みずへだたりし、無謀ないくさへと挑もうとしている。


「はぁあああ・・・」


 私は、床についたまま、目頭をおさえた。


 ・

 ・

 ・


 少しだけ、私の思い出話に付き合っていただけないだろうか。床の中より思い出話をする無礼を、どうかお許しいただきたい。今から九年前、備中高松びっちゅうたかまつ城の戦いの思い出話だ。


 私が、豊臣・・・いや、羽柴秀吉はしばひでよし秀長ひでなが兄弟と初めて対面したのが、備中高松びっちゅうたかまつ城の戦いであった。


 忘れもしない。


 かつえゴロシにて、因幡鳥取いなばとっとり城が落ちた時、我ら一日一力一心ひゃくまんいっしんの国衆の結束の最初の一枚が「パタリ」と倒れた。


 安芸あき吉田郡山よしだこうりやま城の増築改修のおり、人柱ひとばしらの代わりに埋めた、一日一力一心ひゃくまんいっしんの石碑のごとく、誰一人、犠牲にする事なく、誰一人、人柱ひとばしらにすることなく中国を治めていた一日一力一心ひゃくまんいっしんの国衆の結束。その最初の一枚が「パタリ」と倒れた。


 そして倒れた一日一力一心ひゃくまんいっしんは、備中高松びっちゅうたかまつ城にぶつかった。


 黒田くろだ官兵衛かんべえ殿の計略により、高松たかまつ城は一夜にして水城となり、補給が立ち行かなくなった。また、ひとつ、一日一力一心ひゃくまんいっしんが倒れることは明白だった。


 そして、そのまま、将棋倒しのごとく一日一力一心ひゃくまんいっしんの国衆は全て倒し尽くされることは明白だった。


 そんな折だ。秀吉ひでよし殿より、和議の申し立てがあったのは。


 聞けば、備中高松びっちゅうたかまつ城と、周辺五国で手打ちにすると言う。明らかに釣り合わない。秀吉殿は、一日一力一心ひゃくまんいっしんの将棋倒しを、自らと言ってきたのだ。


 しかし程なく、その和議が、信長しんちょう公が討死した為だと知った。


 そう、私は知っていたのだ。秀吉殿との、和議の席に座る前に知っていたのだ。信長しんちょう公の死を、とある友人から教えてもらっていたのだ。


 ヤジロウの交易船で、共に日の本に入った、肌黒き弥助ヤスケから教えてもらっていたのだ。

 はるか西からマラッカを経由して、東の果ての日の本に受け流された、肌、墨のごとき男、マトゥンダ・ヤ・クワンザから教えてもらっていたのだ。


 聞けば私が、交易船の中で貴重な食料を分け与えたことの礼だと言う。自分に、日の本で生きるための名前を考えたくれた礼だと言う。

 なんてことはない、甘くもないし、モサモサしてて口の中の水分とられて最悪なバナナを、それが好物だとせがむ幼子おさなごにくれてやり、呼びにくくて仕方がないマトゥンダ・ヤ・クワンザと言う名のわかりに、弥助ヤスケとあだ名を付けただけだったのに。

 たらとバナナがきなったいな幼子に、気まぐれに「弥助ヤスケ」と、あだ名を付けただけだったのに。


 弥助ヤスケは、そんな私の気まぐれを、仁義と勘違いして、私への恩返しへと、信長しんちょう公が討死した事を教えてくれたのだ。

 墨のごとき肌で、闇夜にまぎれ、織田信長が討死した事を教えてくれたのだ。


 私は、織田信長の討死を知ったまま、秀吉ひでよし殿との和議に応じた。


 私の前には、秀吉ひでよし殿と秀長ひでなが殿が立っていた。

 秀吉ひでよし殿が向かって右、秀長ひでなが殿が向かって左に立っていた。

 そう立つのが、さも当然のように、何かがそうさせているのように、もう何十年も、そう立つのが当たり前だと言うように、秀吉ひでよし殿が向かって右、秀長ひでなが殿が向かって左に立っていた。


 程なく、和議が進むなか、私は秀吉殿に聞いてみた。


「和議となりますと、信長しんちょう公に御目通りをせねばなりますまい。伺うのは四十九日で良いですか?」


 私の質問に、それまで我ら毛利もうり方に対し、高飛車を振り続けていた秀吉ひでよし殿がピタリと止まった。


 私は、あの時の秀吉ひでよし殿の表情を生涯忘れない。すべらない話の最中、権兵衛ごんべえ殿に向けられた時と寸分違わぬあの表情が、私に向かって放たれた事を生涯忘れない。


 そして、その、ひりついた空気を変えたのが、弟の秀長ひでなが殿であった。


 私は、あの時の秀吉ひでよし殿の表情を生涯忘れない。秀吉ひでよし殿の向かって左に立っている弟の秀長ひでなが殿が、おもむろに、兄の耳元でソロリとささやいた後「ニカっ」と笑った、向かって右に立っている、兄、秀吉ひでよし殿の表情を、生涯忘れない。


 秀吉ひでよし殿は「ニカっ」と笑ったあと、思い切り秀長ひでなが殿の頭を引っ叩いた。「スパーン」と良い音をさせて引っ叩いた。


 私は、あの時の秀長ひでなが殿の表情を生涯忘れない。無表情で、兄に頭を差し出した秀長ひでなが殿の表情を生涯忘れない。

 「スパーン」と頭を叩かれて、小首をかしげた秀長ひでなが殿の表情を生涯忘れない。


 そして、その後、秀吉ひでよし殿より放たれた言葉を、生涯忘れない。


「すまん! 詳細は追って連絡する!

 正直、今はそれどころやない。近畿がキンキンに冷え込んどる!」


 そしてそして、秀吉ひでよし殿の向かって左で、大笑いをしていた秀長ひでなが殿を、私は生涯忘れない。ケラケラ笑った秀長ひでなが殿を生涯忘れない。


  ・

  ・

  ・


 私は目が覚めた。ずいぶん寝た気がするが外はまだ暗い・・・なんだか夢を見ていた気がする。

 夜更ならば眠らなければ。明日は御伽噺ひでながどのの とむらいの続きだ。地獄のうたげの続きだ。バナナの橋渡りの続きだ。少しでも眠って英気を養わねば。


「はぁあああ・・・」


 私は、床についたまま、目頭をおさえた。


  ・

  ・

  ・


 申し訳ないが、もう少しだけ、私の思い出話に付き合っていただけないだろうか。床の中よりもう少しだけ思い出話をする無礼を、どうかお許しいただきたい。


 今から二十日ほど前の事、策伝さくでん和尚、そして、珍妙な女子おなごと出会った思い出ばなしだ。


 私が、三成みつなり殿と、秀長ひでなが殿の四十九日の法要を押し進めている時、策伝さくでん和尚は、突然ふらりと私の屋敷に訪れた。


 私は、策伝さくでん和尚のことは知っていた。備前びぜん国に大雲寺だいうんじを建立しているお方だ。だが、なぜ私に用があるのだろう。

 備前びぜん国は、とっくの昔にわれら毛利もうり方の息かからぬ国となっている。とっくに奪われてしまっている。私に媚びうる道理がない。


 とはいえ、せっかく訪れてくださった客人を無碍むげに追い返す訳には行かない。私は、策伝さくでん和尚と会うことにした。


 客間にお通しするため、並んで歩いた策伝さくでん和尚は、とても背が高かった。私の父、毛利元就もうりもとなりも背が高かったが、それに迫る勢いだ。私は内心驚いたが、そんなことは些細なことだった。


 心底驚いた時、人はその人物を直視できなくなる。


 干支かんし七度廻る未来より来たと言う、その女子おなごは、その狂言きょうげんが信頼に足るくらい、珍妙ないでたちをしていた。


 上には南蛮なんばんがごとき服をしっかりと着込んでいるのに、しもはほとんど丸裸だった。短い布で、辛うじて本当に見えてはならぬ箇所のみを隠し、あとは太股むき出しの丸裸だった。


 私は、その太股を直視できなかった。干支かんし七度廻る未来では、しも丸裸でも平気なのだろうか?

 その女子おなごは、終始笑いを絶やさなかった。しも丸裸で、恥ずかしげもなく、終始笑いを絶やさなかった。


 私は、策伝さくでん和尚と、しも丸裸の女子おなごを客間にお通した。策伝さくでん和尚は、私の向かって右。しも丸裸の女子おなごは、向かって左に座った。


 策伝さくでん和尚は、挨拶もそこそこに、いきなり本題を切り出した。


「豊臣政権の危機でございます」


 策伝さくでん和尚は、流れるように説明を続けた。


干支かんし七度廻る未来より来られたこのお方いわく、真の天下を握るのは、豊臣家ではないご様子。ご説明していただけますか?」


 そう言って、策伝さくでん和尚は女子おなごを見た。


 珍妙なしも丸裸の女子おなごは、手を高々とあげると、


「はい!」


と返事をした。


 珍妙な姿の女子おなごは、行動も珍妙だった。なぜ、手を上げたのだ? 目の前にいるのに、今から話すとわざわざ策伝さくでん殿が申したのに、なぜ、手をあげたのだ? 珍妙な姿の女子おなごは、そのまま元気よく答えた。トンデモナイ事を答えた。


「江戸時代が来ます! 徳川家康とくがわいえやすさんが作った江戸時代が二百年以上続きます!」


 驚いたのは、「江戸時代」と言う聞き慣れない言葉ではない。謀反むほんの噂絶えない「徳川家康」と言う大大名が天下を奪い獲るからではない。天下が「二百年以上」続くと言う事だ。


 素晴らしい! 素晴らしい! 家康いえやす殿はなんて素晴らしいお方なのだ。世を平かに、二百年以上も治めたのだ! そんな快挙、今まで誰が成し遂げたであろう。


 ・・・だが・・・看過はできない。私は今は豊臣政権の、関白かんぱく殿の家臣なのだ。そして今の世は、豊臣家が天下を治めているのだ。つまりは、徳川家康とくがわいえやす謀反むほんの噂は、本当だったと言う事だ。


 策伝さくでん殿は、私に決断を迫った。


小早川こばやかわはん、どないされます? この事実、関白かんぱくはんに申告した方がええですか?」


 困った。本当に困った。私は、徳川家康とくがわいえやす造反ぞうはんの事実を知ったのだ。とはいえ、そのまま話をして信じてもらえるだろうか? 今しがた、珍妙な女子おなごから聞いた話を、「ホンマでっか!?」と信じてくださるものだろうか。


「しばし、お待ちくだされ・・・」


 私は、目をおさえ、考えた。最適でなくてもいい。何か、適当な、妥当な策はないものか。良い落とし所はないものか・・・何も思い浮かばない。


「はぁあああ」


 私は、大きくため息をつくと、策伝さくでん和尚の耳元で、珍妙な女子おなごがささやいていた。しも丸裸の女子おなごがソロリと何かをささやいていた。

 女子おなごにソロリとささやかれた策伝さくでん和尚は、大笑いした。そしてこう言った。


豊臣秀吉とよとみひでよし公は、大閤たいこうおまへん。関白かんぱくはんですわ」


 私は閃いた。


 直接、話してもらえば良いのだ。


 秀長ひでなが殿のように、関白かんぱく殿の耳元で、徳川とくがわ家が天下を二百年以上も平かに治める事実を、直接、ソロリとささやいてもらえば良いのだ。


 私は、すぐに三成みつなり殿に遣いを出した。遣いに「至急来られたし」とふみをわたして、三成みつなり殿使いを出した。


 そして私は、女子おなごに、今更の質問をした。


「名をお聞かせいただきたい」


 女子おなごは、首をかしげると、ニコニコしながらこう言った。


「それが、覚えてないんです。何かいい芸名はないですか?」


  ・

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  ・


 私はまた目が覚めた。ずいぶん寝た気がするが外はまだ暗い・・・なんだかまた夢を見ていた気がする。

 夜更ならば眠らなければ。明日は御伽噺すべらないはなしの続きだ。地獄のうたげの続きだ。バナナの橋渡りの続きだ。少しでも眠って英気を養わねば。


「はぁあああ・・・」


 私は、床についたまま、目頭をおさえた。


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  ・

  ・


 本当に申し訳ないが、もう少しだけ、私の身内の話に付き合っていただけないだろうか。床の中より身内の話をする無礼を、どうかお許しいただきたい。


 私の長兄、毛利もうり隆元たかもとと、次兄、吉川きっかわ元春もとはるの話をお聞きいただきたい。


 天下一の知恵ものは誰か? 諸説ある事だろう。大佐おうさの才持つ、豊臣 秀長ひでなが殿、妙案百出みょうあんひゃくしゅつ黒田官兵衛くろだかんべえ殿、他にも私が預かり知らぬ数多あまたの知恵ものがいる事だろう。


 だが私は、身内びいきと言われるかもしれないが、わが長兄、毛利もうり隆元たかもとこそが、天下一の知恵ものと考えている。


 王佐おうさの才の豊臣 秀長ひでなが殿、妙案百出みょうあんひゃくしゅつ黒田官兵衛くろだかんべえ殿にも比肩ひけんする、乾坤一擲こんてんいってきの奸計を放った、知恵ものだったと考えている。


 わが長兄、隆元たかもとは、何事においても慎重な人物だった。私の生来の心配性が可愛く思えてしまうくらいの、百万よろず全てに注意を図る、慎重な人物だった。


 そんな長兄、隆元たかもとは、幼少より体が弱かった。四十を超えて体はみるみる衰えた。そんな兄が最後に見せた奸計は、ほころびを見せていた国衆のつながりを、一日一力一心ひゃくまんいっしんのごとく強固に結びつけた。


 長兄、隆元たかもとは、かねてより、謀反むほんの疑いがあった備後びんご国人こくじんである和智わち誠春まさはる殿の饗宴に呼ばれ、そのまま変死をしたのだ。

 わが長兄、隆元たかもとは、誠春まさはる殿との饗宴の直前、家臣に「私は今宵こよい死ぬ。死んだら、すぐさま荼毘だびせと」と伝えたと言う。


 長兄、隆元たかもとの訃報を耳にした際の父の元就もとなりの悲嘆は尋常なものではなかった。息子の亡骸なきがらをすぐさま荼毘だびせたのは、息子を暗殺したためだと、謀反むほんの嫌疑をかけ、和智わち誠春まさはる他、毛利もうりになびかぬ全ての国衆くにしゅう誅伐ちゅうばつ、もしくは切腹に追い込んだ。


 長兄、隆元たかもとが、乾坤一擲こんてんいってきの人柱となり、一日一力一心ひゃくまんいっしんの強固に結びつけたのだ。



 長兄、隆元たかもとの死んだあと、乾坤一擲こんてんいってきの知恵は、次兄、元春もとはるに引き継がれた。長兄、隆元たかもとの死後、次兄、元春もとはるは、太平記たいへいき四十巻の写本を始めた。


 そして、死の間際、その写本を私に託した。乾坤一擲こんてんいってきの写本を託した。「ここによろず真実が書かれてある」と言い残して。


 次兄、元春もとはるの言葉は正しかった。歴史は繰り返すのだ。世を平らかにするのは、正しき権威南朝ではなく、正しき政権北朝だと。岩山のごとく高くそびえるつちのえの伝統ではなく、雨粒の如く臨機応変に姿を変える、みずのとなる先見の明だと。


 私が今、豊臣政権の大老などと、過ぎた任をまかされているのは、全ては、毛利もうりに伝わる乾坤一擲こんてんいってきのごとき知恵のおかげなのだ。


 私の長兄、毛利もうり隆元たかもとと次兄、吉川きっかわ元春もとはる乾坤一擲こんてんいってきのごとき知恵の賜物たまものなのだ。


  ・

  ・

  ・


 私は目が覚めた。ずいぶん寝た気がする。空は白み、スズメが鳴いている。

 私は起きなければならない。今日は御伽噺こんてんいってきの続きだ。地獄のうたげの続きだ。バナナの橋渡りの続きだ。


 そしてその前に、私のもう一人の主君、私の甥の毛利もうり家の十四代当主であられる毛利輝元もうりてるもとと、大大名、徳川家康とくがわいえやす殿との茶会に参加しなければならない。


「はぁあああ・・・」


 私は、むっくりと、床から起き上がった。重い体に鞭打って、なんとか起き上がった。


  ・

  ・

  ・


 御伽噺おとぎばなしも化け物揃いだが、茶会の席も化け物揃いだ。

 私は今、化け物の徳川家康とくがわいえやすと、その家臣、徳川とくがわ四天王との茶会の席に座っている。


「おおぉ! これは、利休七種茶碗りきゅうななしゅちゃわんがひとつ、鉢開はちびらき!」


 私のもう一人の主君、私の甥の毛利もうり家の十四代当主であられる毛利輝元もうりてるもとは、大名物に大層喜んでおられる。


 輝元てるもと様は、長兄、隆元たかもと、そして父、元就もとなりの面影をかろうじて残していた。長身痩躯ちょうしんそうくの姿格好は、毛利もうり家代々の血筋が色濃く残っている。


 しかし・・・いや、やめよう。これ以上、無意味な話をしても致し方ない。


 私は、輝元てるもと様より、大名物を受け取ると、輝元てるもと様のみよう見真似で茶をおしいただいた・・・苦い。


 私は、苦い苦い茶を飲んで、顔をしかめた。苦いものは嫌いなのだ。私は、甘いものが好きなのだ。


  ・

  ・

  ・


 ん? これは、もしや?


  ・

  ・

  ・


 私は、目の前にある、大きなバナナを手にとった。家康いえやす殿の土産の大きなバナナを手にとった。ちょっと硬い黄色い皮をむいたら、ちょうどいい感じに熟した果実があらわに丸裸になった。


 私はバナナを頬張って、よく噛んで味わい、そして飲み込んだ。バナナの味は、昨日、ソロリちゃんが言った通りだった。


「・・・めっちゃ美味しい」

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