第14話 対面と対価

 入り口をくぐると、その中は地上と同じようになっていた。中庭だろうか。百花が咲き乱れる、美しい庭だった。噴水から湧き上がる水はガラスのように透き通っている。

 上を見ると天井には穴が空いていた。ガラス窓でも無いのに、不思議なことに水が入ってくるようなことはなかった。キラキラと上から庭全体にが降り注いでいた。 

 幻想的な空間に呆然とした。

 

 世界の果てにこんなに美しい空間があるなんて。

 


「リリィはね、ここで生まれたの」

 冷たくこわばったリリィの声で現実へと引き戻される。目の前の光景のあまりの美しさに飲まれていた。少女に目を向けると、満月の瞳には千紫万紅が映り込んでいる。

「……ううん、分けられた、かも。食べるか食べられるかしないといけなくて、嫌で。逃げてね」

 金の目には薄く涙が張っている。もうとっくに理解してしまっていたことを具に確認するように、声に出して説明される。

「逃げたらね、しんすけに会ったの。………………楽しかったあ……」

 震えている小さな手を、力を込めて握る。別れを惜しむように少しだけ握り返された。

 

 どうあっても別れの言葉になってしまうが、何かを言おうとした。そうして宗介が口を開きかけた時、カツンと鋭い靴音が響いた。

 鏡面の道を、軍服のようなきっちりとした服を着た少女が、マリアが歩いてきた。

「帰ってきたのですね、やはり。50年の自由はどうでした?」

「…………」

 にこりと笑う顔は、初めの村で見た時と変わりない。しかし、ここにいるということはつまり。

「ずっとねてた。アザミ。信介を騙したの? あの村でもうまくあなたの顔は見えなかったし。あと何その変な服」

「いいえ、騙すなんて人聞きの悪い。彼との約束は違えず、あなたを喰わなかった。でも、魔王この私が何の見返りもなく自分のかけらあなたを見逃すはずないでしょう? 私は記憶を食らう魔王の断片。彼の甘い記憶を代償にあなたの逃亡には目を瞑りました。……まあ、人間が記憶を引っこ抜かれた際に、もしかしたら何かしらの障害が生じていてもおかしくはないですけど。せいぜい聴覚や視覚に影響が出る程度では?」

 それを聞いて、信介が味覚に異常をきたしていたことにようやく思い至った。信介は硬いものが好きだった。あれは、きっと食感しか楽しめなかったからだ。

 呆れたようにリリィを見て、アザミは綺麗な笑顔を作る。

「服に関してはサービスみたいなものです。人間って、と聞くとこういう服装を思い浮かべるんじゃなくて?」

 今度はにっこりと宗介に笑を向けられた。ギョッと目を剥く。突然話題を振られて、ぎこちない返事となってしまった。

「え、いや、どうだろう……」

「そうですか。残念」

 あまりそうは思っていない声で残念がると、彼女は自分の服を改めて見聞し直す。目の前のの緊張感のなさと、それに反する威圧感に、宗介は徐々に膝が笑いそうになっていた。何とか我慢して立っていると、アザミは急にリリィに対して憤慨する。

「そうです、あなたには苦情を入れたいと思っていたんですよ。初めに見た時は取るに足らない存在だと思って放置してあげたのに、あなた、モンスターを召喚しましたね」

 それにはリリィもびくりと反応を返す。目を逸らしたことから、アザミの言い分は図星なのだろう。

「全く。先代がモンスターで荒らした土地を、私がどれだけ苦労して平和にしたと思っているのですか! 記録再演のためだけにあんなの出さないでよ。おかげで私ももう寿命だとか、活動限界だとか言われてるんだから」

 追いかけられていた魔物は、リリィの仕業らしい。何となく、それも理解してしまった。リリィは、ずっと信介との旅を辿っていたのだ。細かく、足りない部分を自分で補いながら。

 いうだけ言うと満足したのか、アザミは静かに自分のかけらリリィを見据えた。何を言われるのかと宗介が身構える。


 何も、できることなんてないけれど。


 「もう一度、見逃してあげてもいいですよ? 今度はそちらの少年の何かを差し出して、あなたは逃げ出して、揺蕩う夢に微睡んでなさいな」

 その申し出には正直驚いた。とは本当らしい。アザミにとって、たかだか一匹逃すことなど造作もない。矜持として代償を要求するだけなのだ。

 中心にいるはずなのに蚊帳の外に置かれてしまったが、宗介自身特に何かを差し出すことに対して恐怖はなかった。もし。もし、リリィがそれを望むのならば


  自分は何かを差し出せるんだろうか?


「…………。ううん。もういい。だから帰ってきたの」

 これまで何度も振り解くことのできなかったその手から、力を抜かれる。宗介も力を緩めればこの手は解かれるだろう。そうする前に隣に立つ少女をもう一度見た。

「そーすけ、ありがとう。オムライス美味しかった」

 小さな女の子は、自分の還るはずだった存在をしっかりと見つめていた。未だ薄く涙の膜が張っているが、それは恐怖からではない。

 惜別、悲しみ。

 そして、後悔。


 不意に納得した。そうかと。

 宗介はきっと初めからこの子供を拒絶できるはずなかったのだ。

 この子を自分と重ねていた。叔父を亡くして、泣く少女を見て安堵していたのだ。

 彼を知る人は1人ではないと。彼を惜しむのは、自分だけではなかったと。


「リリィと一緒にいてくれてありがとう、そーすけ。しんすけにもね、ほんとうはそう言いたかっただけなの。あの時は、最後にお話しできなかったから」

 カツン、カツンと鏡の床に真珠が落ちる。暖かいはずの涙は、温度を確かめる前に月の雫となってしまう。

 ――いつか、この涙を拭える時がくるんだろうか。

 宗介の前では、全て宝石となってしまう涙を、普通に慰められる日が。

 それを夢想するだけで満足だなんて、馬鹿げている。しかしきっと半世紀前、信介も同じ気持ちだったのではないだろうか。

 いつか普通に笑ってくれること願って、自分の何かを目の前の圧倒的な存在に差し出したんだろう。

「いいよ」

 4つの目が宗介を向く。金の目と、赤い目。赤い目はピクリとも揺れないが、金の目は激しく振れていた。

「……リリィ、この旅は楽しかった?」

「うん、とっても、だから」

「だからいいんだよ。それなら50年かける意味はあるんだよ。おじさんだってそうだったんだ」

 涙の温度はなくともその頬は熱い。触れると、硬い粒が指を掠めた。

 アザミが大きなため息をつく。

「呆れたお馬鹿さんですね。コレが起きたとき、あなたはいないんですよ?」

「……それでいい。それだけで」

 すうと、紫がかった紅い瞳が、血をこぼしたような赤になる。心臓を鷲掴みにされたような、重い威圧感に宗介は怯みそうになるが、その変化に狼狽えたのは他でもないリリィだった。

「ダメ!!! ダメだよごめんなさい……っ! もう……もう逃げないから、早くリリィを食べちゃって! ここの月の光は特別だから、満月じゃなくても帰れるよ。だからそうすけはあの天井から家に帰って!」

 必死な声に、なぜだか笑いが込み上げてきた。

 誰も彼もが、宗介に無関心だった。こんなに名前を呼ばれたのはきっと初めてのことだ。

 両親は仕事ばかりで、最後に口を聞いたのはいつだったかも思い出せない。なぜ、あの2人が家族になったのかもわからないくらい、家にいない人たちだった。すでに不満を抱くようなこともなくなっている。一言も交わさない相手なのに、衣食住が保障されていて、学費まで出してもらっているのだからありがたいくらいだ。

 幼稚園の時、親へのプレゼントを折りましょうというイベントがあった。先生に指導されたのは折り紙をはった絵だった気がする。周囲の母親や父親は、イベント会場で掲げて喜んでいたのに。家に帰って渡したが、それはずっとリビングのテーブルに置かれたままだった。

 結局数日後自分で捨てた。

 その後は何かをすることも無くなったから、まあ、可愛げのない子供だと思われていても仕方がないかもしれない。親の気持ちを察する年齢になってしまった。

 周囲にうまく馴染めず、放課後に遊びに行くようなことはほとんどない。主張しないのだから当然だ。宗介だって、自分のようなクラスメイトとは極力つるみたく無いと思う。

 それでも信介は、信介だけはいつだって宗介と向き合ってくれていた。

 彼の思いやりを受け取りながら向き合うことが出来なかったのは、ひとえに宗介の未熟さゆえだ。

 甘えて、流して、ムキになっていたら、もう取り返しのつかないことになっていた。どれだけ感謝を伝えたくとも彼は死んでしまった。ありがとうの一言すら言わせてくれない。

 それなら、今度はせめて彼の願いを受け継ぎたい。

 たとえ信介への情景を重ねていたのだとしても、リリィは宗介の手を握り、名を呼び続けてくれた。

 これで、十分だ。

 この事実で、きっと、これからも前を向ける。

 誰も見つめたことがないのと、1人を見つめたことがあるのとでは、きっと天と地の差だ。

「忘れてしまっても?」

 アザミの目は射抜く目だ。裁定の視線。大きなものの瞳。

「たとえ、忘れてしまっても」

 これ以上の問答は不要と判断されたのか、何も返されることなく、目の前には白銀の光が溢れ宗介の体を包み込んだ。

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