第12話 世界の構造
異世界の旅なんて、もっと激しく危険なものだと思っていた。
宗介は赤い野いちごが宝石のように輝く原っぱを前に考えを改める。
幻想の少女の銀の髪は、自然のルビーによく映えていた。その甘い香りに誘われたであろう蝶が、ヒラヒラと青空を背負って舞う。蝶を追いかけて走っている彼女を待っていると、整備された道を、牛がのんびりと荷車を引いてやってきた。邪魔にならないように道の端によける。牛を引く老人は挨拶がわりに麦わら帽子をちょいとずらした。やけに様になるその動作に、自然と笑みが溢れる。
こんもりと藁が積まれた荷車がゆっくり遠ざかってくのを見て、この世界は
この穏やかな空気は虚飾ではない。
「リリィ、そろそろ行こう。次の町までどれくらいかわからないし」
「はーいっ!」
そう声をかけると、少女は元気な返事をして髪に黄色い花びらをつけたまま駆け寄ってきた。その背後に、大きな蜂の怪物が前脚をギラつかせているのも見える。空を切る翅の音は鋭利だ。花びらを払ってやろうとした手はそのままで、類似した場面を多く経験したからかもうあまり驚きはない。
のんびりとした空気は当然その鎌によって引き裂かれた。
どうしてこの子はこうもトラブルを引っ付けてくるのだろうか。
嘆息して走る準備をする。せめて道からは逸れないようにと願いながら、砂を跳ねさせて2人して駆け出した。
どでかい蜂に追いかけられた時は流石に肝を冷やしたが、道に迷うことなく進めたために日が落ちる前に次の村の門をくぐることができた。カラフルな石畳と煉瓦の家が特徴的な、可愛らしいおもちゃのような町だと、宗介は感想を抱く。
しかしそれに反して住人がいかつい。平気で人を食い殺しそうなワニやライオンなど、獰猛な動物の頭部を持ったヒトの集落だ。
スンスンと宗介とリリィの匂いを嗅ぎながら、1人(1匹?)のトラの頭部をもつ住人が話しかけてくる。口から覗く牙は鋭い。
「この辺の奴らじゃないな。旅の途中か?」
「は、はぃ……」
自分の声が情けなく小さい自覚はあれど、凶悪な顔が間近にあれば身もすくむ。目も合わせられない宗介の態度なんて気にしないように、トラ男は続けた。
「宿屋はあっちだ。泊まりだけなら金貨2枚、食事付きなら3枚だよ。それにしても野獣くせえな。変なものでも食ったんか?」
「変なもの……?」
トラ男のいうことがわからずに、宗介が返事に窮していると、その質問には変わりにリリィが答えた。彼女も首を捻りながらだったが、少しばかり
「途中でおっきいハチに追いかけられたから、そのせいかな?」
それを聞いて宗介も思い至る。獣とは違うだろうが、モンスターという括りならあれも該当するだろう。しかし宗介の納得とは裏腹に、トラ男はその
「大きなハチだと!? それはおかしいな。この辺は王宮に近いから、モンスターはそうでない。もう何十年も出てないんだが……」
「そう、なんですか?」
今度は宗介が驚く番だった。こっちの世界に来てから、怪物と遭遇しっぱなしだったのだから、珍しいものではないと思っていた。命の危険にこそ遭遇しなかかったが、村を出て道を歩けば追いかけられている。
「治世が長いからな。落ち着いてるんだ」
首を傾げる宗介に、トラ男が不審そうにする。「国の隅っこの、めちゃくちゃ田舎から出てきたんです」と、慌てて誤魔化せば、腑に落ちない顔をしながらもこの世界の
この世界の摂理、根幹ともなっているのは、1人の支配者であるらしい。住人は畏敬をこめてその存在を
魔王と呼ばれているが、圧政を敷いているわけではなく、ただ独裁ということだけが特徴である。人ではなく特別な力を持っているらしい。それらの能力を使い世を統べる。人々に崇拝を要求する代わりに平和を約束するのだ。実際宗介が感じたようにこの世界は現在平和そのものだった。
魔王といえどそれにも寿命は存在する。何百年かに一度、魔王はその存在を
「今代の魔王はアザミ。有能な方だよ。先代は魔物に執心してて荒れたらしいからな」
獰猛な見た目に反して優しい心を持っていたトラ男は、宿への案内がてら宗介たちに懇切丁寧に魔王制度について説明してくれた。
彼にとって教えるという行為はひどく珍しいようだった。上機嫌で2人を先導した。
宿についてからも、宗介の中でトラ男が教えてくれた内容は反芻を続ける。
――魔王が治世する世界。
――分身たちは喰らい合う。
蝋燭が消えると、部屋は完全な暗闇になる。
ふと、この数日濡れることがなかったから忘れていたが、初めて見た時はリリィの足は尾だったと思い出す。
――涙が宝石に変わる、女の子か。
逃げてきたんだけどねというセリフも、やけにはっきりと脳内で再生される。
目を閉じればなぜかマリアの赤紫の目が浮かんだ。その目に意識を向けると、背に刃物を当てられているような、嫌な気分になるのにそらすことができない。手が冷え切ってきた頃に聞こえ始めた、隣のベッドで眠るリリィの小さな呼吸だけが、迫る恐怖から守ってくれているようだと思った。
――この世界では、たくさんの分身が
その晩に見た夢は、海を泳ぐ小さな魚たちを、大きな魚が丸呑みにされる夢だった。牙を揃えた口が迫った瞬間、リリィの泣き声が聞こえた気がした。
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