第11話 聖女の宿で
マリアの案内してくれたところは、小さな宿だった。食事処と言っていたのは本当のようで、ドアをくぐり建物に入るとカウンターのような設備がしっかりとあった。
「こちらです」
マリアに促されてついていく。カウンターの裏のドアを開ければ、幅の狭い、傾斜の急な階段があった。そこを上り、二階へとあがる。
廊下を進んで、一つのドアの前で立ち止まる。にこりと笑って振り返られた。
「この部屋を使ってください。2人でも十分広いと思いますよ」
「ありがとうございます」
リリィは宗介の後ろに隠れるようにしながら、そろそろと部屋に入った。いつも他人に遠慮のない彼女にしては珍しいなと少し気になったが、今は泊まる部屋に入ることを優先した。
開けられたドアの向こうには、簡素な部屋が待ち構えていた。ベッドは2つ。小さめだが、分かれている方がいい。昨夜リリィと一緒に使った際は、寝ているときに彼女を潰してしまいそうで怖かったのだ。
傍のサイドテーブルには小さな花瓶とランプが置かれている。花瓶には深い紫色の、ポンポンした花が飾ってあった。なんの花かはわからなかった。
一晩眠るには申し分のない宿だ。声をかけてくれたマリアに対して素直に感謝する。
「気に入っていただけたようで何よりです。食事は下で食べますか? 持ってくることもできますけど……」
ちらりとリリィを見れば、まだ少し縮こまっている。たくさん走ったし疲れているのかもしれないと思い、慌てて主張した。
「え、と。じゃあ持ってきてもらってもいいですか。部屋で食べます」
「わかりました。食べ終わった食器は、廊下のテーブルに置いておいてもらったらいいので」
「はい」
静かにドアを閉めてマリアは出て行った。宗介はぽすんとベッドに座ってみる。
リリィは俯いたままだ。何が原因かはわからない。
よくわからないが、気分が悪い、とかの体調不良ならば大変だ。この辺では病院に行くのも一苦労だ。というか、病院なんてあるのだろうか。俯くリリィに手を伸ばす。
「リリィ」
様子はおかしいが宗介の呼びかけには答えた。顔を上げ、宗介の目を見る。そのことに少し安堵する。
「……どこか痛い? 疲れた?」
「…………いたくない」
小さな声で返事をされる。しかし元気がないのは明らかなようだ。
少しだけ宗介の差し出した手を握り返して、小さな体は自分のベッドに倒れ込んだ。
「……でも、つかれたかも。リリィ、ちょっとねるね」
「わかった。おやすみ」
リリィのおやすみなさい、と言いたかったであろう声は、もにゃもにゃと聞き取れなかった。すぐに規則正しい寝息が聞こえてくる。布団をかけてやり、宗介は部屋を見渡した。
食事までどうしようと思えば、ベッドの頭側の壁に大きな地図が貼られていた。書かれている文字は読めないので、地名などはわからないが、現在地の町から海辺の町まではあともう二つ町を越えなくては行けないことが確かだとわかった。
内陸のほうに、湖が書かれている場所がある。恐らくあそこが、最初に宗介が月に飛び込んでやって来たところだろう。それならば、今はもう単純な地図上の距離感で半分くらいのところまで進んでいた。
明日明後日と予定通り次の町に着いて一晩明かし、また歩けば2日後の夕方までには港町に着くだろう。
ようやくきちんと視覚的に確認した目標がたった。これなら大丈夫だと、確信を持てた分安心感もある。なによりも今日、宿を見つけられたことによりこの世界の冒険に対して自信もうまれた。
きっと、リリィを家まで送り届けることができる。
いま、ベッドで寝ている不思議な女の子を、元いたところに返さなくては。
信介を知る唯一の少女を必ず平安の居場所にと、宗介はもう一度固く誓い直した。
リリィはかなり長い時間眠っていた。あまりに起きず困った宗介が、食事よりもさきにお湯を持ってきてもらって体を拭いているときにようやく目を覚ましたのだ。
起きた彼女はひどく空腹だったようで、すぐに食べ物を所望した。
マリアの持ってきてくれていたチーズの入ったパンを渡すと、嬉しそうに食べ出す。本当はソーセージやスープなんかも運んでくれていたが、リリィがいつ起きるかわからなかったのでパンだけ受け取っていたのだ。
「チーズおいしい!」
「……良かったね」
「うん!」
先ほどの大人しさはどこへやら。宗介の分のパンまで奪って食べている。一切れ確保できただけでもマシだと思うしかない。食べ物に関しては、リリィは災厄と同じなのだ。同じ食卓についてこちらが満腹になれることはまずない。早々に諦めるのが吉である。
食べ終わると、すぐに身支度を整えた。さすがに走り回ったし、慣れない場所だしで疲弊している。
時計なんてものはないので今が何時かはわからない。眠くなれば寝て、日が昇れば目を覚ます。
そういえば、町の広場に円盤と針のようなものが立っていたのを思い出した。あれは、日時計だったのではないだろうか。近くに鐘も吊るされていた。
スマホも時計もない。車もない。冷蔵庫だってない。それでも特に今、自分が困っていないことに驚いた。全てがガラリと変わっているのに。
それなら、今まで生活してきて、宗介が大事にしようと思ったものはなんだったのだろうか。
ベッドに入れば、即座に睡魔が襲ってくる。
重い思考に、瞼の閉じかけた頭では耐えられない。
そのまま硬めのベッドに身を預けた。
朝。高い鐘の音で目を覚ます。澄んだ音だ。体を起こせば、心地よいほどの疲労感がまだ残っていた。
隣のベッドを見るとリリィももそもそ動いていた。どうやら覚醒中らしい。とりあえず体を起こす。宗介の動いたその気配で、リリィも完全に起きたようだ。むくんと起き上がって、目の開いていない顔を宗介の方へと向けた。
「おはよ」
あくびを噛み殺しながら言う。
「おはよ〜」
こちらはあくびを隠しもせずに返した。
いつの間にか、鐘の音は止んでいる。すぐに着替えて、出立の準備をした。
しばらくすると小さくドアを叩く音が聞こえる。急いで返事をすると、マリアの声がドアの向こうからかけられた。
「おはようございます。お二人とも、起きていますか。朝食が用意できたので運んできました。召し上がりますよね」
「はい! ありがとうございます」
そう返事をすれば、一拍空いたあとにゆっくりとドアが開けられる。盆には、パンとソーセージ、それからゆでたまごが盛られた皿と、なにか飲み物のはいったカップが二つずつのっていた。
部屋の端のテーブルに、マリアはそっと盆を置く。くるりと振り向いて、二人に尋ねた。
「いつここを発つご予定ですか?」
「……食事を取った後、できるだけすぐに」
少し考えてから返答する。この世界に慣れていないのだ。早め早めの行動が大事だろう。昨日のようなトラブルがないとも限らない。たとえ道を逸れてしまっても、日が暮れるまでには次の町に着いていたい。
心得たように、マリアは頷いた。
「わかりました。準備が整えば、下の階に降りてきてください」
「はい」
にこりと微笑んで、彼女は部屋を出て行った。こちらに来てから、モンスターに襲われはしたが、出会う人々はいい人ばかりだ。きっと、この幸運には感謝しなくてはいけないのだろう。
そう思いつつ食事の用意された席に着く。リリィもマリアが出て行ってすぐに椅子に座っていた。昨日の夜のチーズパンとは違って、朝のパンは、ふかふかした白パンだった。ソーセージの塩気とよくあって美味しい。
薄い木でできた大きなカップに入っていた飲み物は、甘いカフェ・オ・レのようなものだった。
(コーヒー、ここにあるんだ……)
少し意外に思う。コーヒーがヨーロッパに入ってきたのは時代的にいつだったかと記憶を辿るが、よく考えずともヨーロッパにゴブリンはいない。そんなことは考えるだけ無駄だと思い直した。
二人分明確に分けて用意されていたために、今回は宗介の分をリリィに奪われずに全部食べることができた。朝からしっかり食べて、お腹も気力も満たされる。
横目でリリィを盗み見ると、彼女もそこそこお腹がいっぱいになったようだった。少なくとも、物足りない顔ではない。
食べ終わって、一息つく。甘いカフェ・オ・レのお陰で、糖分はしっかりと摂れただろう。
「よし。じゃあ出るか」
「うんっ!」
すっくと立ち上がり、部屋を見渡す。特に忘れ物なんかはない。きちんと金貨や携帯用の食料もカバンに入れた。一応使ったベッドの乱れなんかも整えてからドアへ向かった。
ドアを開けてすぐ、廊下を進んでいけば階段だ。登ったときにも思ったが、相当な急勾配。降りるのは少し腰が引けた。手すりもないので、不安定さがさらに恐怖心を煽る。
そろそろとゆっくり階段を降りると、昨日とは違ってカウンターには数人客がいた。各々食事を摂っている。
カフェで食べるモーニングのような扱いかなと思いながら見渡せば、宗介たちに気づいたマリアが接客を切り上げて近づいてきた。
「もう行かれるのですね」
「はい。お世話になりました。あのこれ、お代です」
昨日言われた通り、金貨10枚を差し出す。マリアはそれを、ポケットに入っていた小さな袋にしまった。
お礼も言えたし、お金も払った。
これで心残りなくこの宿を去れる。視線を店のドアの方へと向けた。しかし、宗介の前に立つマリアが動かなかった。
怪訝に思い顔を伺うと、彼女はただ静かな表情を湛えていた。真っ直ぐに、その赤紫の瞳が宗介に向けられる。
唐突な射抜く目に、ぎくりとした。
しかしすぐにその目は笑みに閉じた。困ったようなあいまいな顔で、笑っている。
「ありがとうございました。……短い旅でしょうがお気をつけて」
「……? はい、ありがとうございます」
マリアは店を出ようとする宗介とリリィに、ドアを開けてくれた。押さえてくれている間に少し足を早めてくぐり抜ける。
白いドアが閉まるその瞬間、宗介はマリアが小さく呟いたのを聞いた。
「どんな結末になろうが、あなたに非はありませんよ」
驚きすぐに振り向いたが、そのドアはもう完全に閉じてしまっていた。
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