第10話 マリア
のろのろと、二人は歩き続けた。しゃべる気力はない。ゴブリンからやみくもに走って逃げたために、今歩いているのが正しい道なのか、間違えている道なのかすらわからない。
モンスターから逃げおおせて、すぐに舗装された道に出たが、今がどのあたりなのかもわからなかった。
このまま進み続けてもいいのか。
しかし、周囲に何か街のようなものはまだ見えない。もし夜になっても次の街に入れなかったらと考えると、今はひたすら歩くしかなかった。
漠然とした不安が、じりじりと宗介の精神を磨耗する。また、あの化け物が襲ってきたらどうしよう。少し買った食料が足りなくなれば? このまま行っても街が見えなければ? まさかとは思うが、そもそもこの道が間違っていれば?
恐怖は人の余裕を無くす。
無言の時間が続く。
気まずさすら感じる余裕がないままに歩いていると、ついに道の脇に何かの立て札を見つけた。
まさに希望の看板だった。急いで駆け寄った。正面に立つと、道沿いに矢印が書いてある。矢印の上に書いてある文字は読めなかった。不思議なことに、この世界で言葉は通じるのだが、文字はこちらとあちらでは違ったのだ。初めて見た時は一瞬ローマ字かと思ったが、それとも少し違うようだった。直線の多い、不思議な文字が使われていた。
当然立て札の文字も読めない。しかし、とりあえず何かがこの先にあることは証明されたはずだ。このまま進んでも大丈夫だろう。
安堵から、自然と笑顔になった。緊張がほぐれたのか、リリィも少し宗介から離れて歩き始めた。
お互いに顔を見合わせてみると、強張った感じはしない。よかった。このまま、進み続けることができる。
そう思って道なりに歩いていると、今度は立て札ではなく、何か大きなバスケットが道ばたに落ちていた。
不審に思い近寄ってみる。リリィも興味を惹かれたようで、なにも声をかけなかったが近寄ってきた。
「……かご?」
「かごだな」
大きなウィロー製のカゴだ。ちょうど、ピクニックに行くのに食べ物を詰めるようなやつ、と言えばいいだろうか。
なんでこんなところに。そしていつからあるのかという疑問は尽きないが、それでもこれはいい発見である。人がいるにはいるのだ。このまま進んでいい。かなり綺麗な状態のものだから、風で遠くから飛んできた、というわけではないだろう。
看板を見つけて、次はカゴだ。ようやく風向きが良くなってきた。
すると、不意に二人に声がかかった。カゴに夢中になっていて、すぐそばの斜面から人が降りてきていたことに気づかなかった。
「あら、どうしました」
ぱっと顔を上げれば、宗介よりも少し上くらいの年齢の美少女が腕いっぱいに花を抱えて斜面を降りてきたところだった。彼女はそのまま抱えた花を、地面に置いてあったそのバスケットに詰める。
宗介がわかる表現で言い表せば、彼女は『美女と野獣』のヒロインのような服装だった。村娘、というのだろうか。くるぶしまでのスカートと、首の後ろで束ねられた黒髪が、大人しく利発そうな雰囲気を醸し出している。
人がいる、と思って喜んでいたが、まさか本当に人が来るとは。突然すぎて反応できなかった。
「す、すみません。あなたのものだとは知らなくて。そうだ道に迷ったんです! どっちにいけばいいのかわからなくて」
あたふたと言い訳を述べていると、少女は花を詰め終わりカゴを抱えた。
そしてそのまま宗介たちに向き直る。笑顔の晴れやかな少女だった。
「そうだったんですね。……町、ですか。わかりました。わたしももう帰るところでしたので、危ないですし町まで送りますよ」
願ってもない申し出だ。すぐにお礼を言って三人で一緒に歩き始めた。
彼女はさっきの立て札の指していた方に向かって歩き始めたので、ここでも少し安堵する。どうやら向かっていた方向は間違ってはいなかったようだ。
色とりどりの花を少女はバスケットに詰めている。宗介のいた世界と同じ種類なのかは定かではないが、その種類は多種多様だった。いったい、どこに咲いていたのだろうか。パンジーやスミレ。ばら。たんぽぽ。すずらん。チューリップ。クリスマスローズ。小ぶりのヒマワリ。1番目を引いたのは、大きな白いユリだった。種類も季節もいまいち統一感がない。そのことに少し違和感を抱いたが、そういえばこちらにきた時には、夜なのに蓮が満開だったことを思い出す。
異世界だし、あまり常識は通用しないのだろうと、一人で納得していると、少女は宗介に目線を向けた。不躾に見すぎたかと焦れば、彼女は気にした様子もなく、くすくすと笑った。
「気になりますか、この花」
「見過ぎましたね、すみません」
ゆるゆると首を横に振られる。気を悪くしたわけではないようだ。
「花を摘むんです。あの先にたくさん咲いているところがあるので。果実もたまに見つかりますね。ふふ、とってきて売るんですよ。町に店がありますから」
「……なるほど」
そのまま歩き続けていくと、ようやく門が見えてきた。周囲は少し暗くなってきている。紫がかった空が、寂しさを際立たせる。
門の前で、少女は突然立ち止まった。驚いて宗介もリリィも足を止める。彼女は、なんでもないように話し始めた。
「……ああ、うち、食事処なんです。旅の方が泊まるための部屋もある。泊まって行かれますか。部屋は空いているので、遠慮はいりませんよ」
二人で顔を見合わせる。引き続きお願いしたいところだが、そんなにすぐにホイホイ信じても大丈夫なのだろうか。
宗介たちが突然の申し出に、少し尻込みしているのが分かったのだろう。彼女は苦笑して続けた。
「もちろん、ただで、とは言いませんよ。お二人で金貨10枚。どうですか」
やはり対価は必要らしい。それならまだ信用できるか。
リリィの方を向けば、彼女は頷いたので宗介も頷く。
了解を心得たのだろう。少女は花の詰め込まれたバスケットを抱え直して微笑んだ。
「よかったです。お疲れでしょう。わたしはマリア。どうかゆっくりしていってくださいね」
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