第9話 モンスター再び

 白い花がいくつも咲いている、のどかな草原を横切って宗介とリリィは歩いていく。市場を出て次の町に行く道も、おじいさんの言った通り険しい道ではないようだ。

 リリィは子供らしく、何か長い草をぶんぶんと振り回している。ネコジャラシのような草だと、ぼんやりと思う。

 その様子を眺めてると、飽きたのか投げ捨てて茂みに入っていった。別の草でも摘みたいらしい。

 ──あの草、指切れると痛いんだよな。

 宗介は、いつからか無邪気に触りに行くことのなくなった雑草に想いを馳せた。小さい頃は意味もなく草をちぎって遊んでいたことを思い出す。ネコジャラシやススキなんかは、葉っぱが鋭いから危ないのだ。

「いたっ」

 突然、小さな声が茂みの中から聞こえてくる。涙目になったリリィがこっちに走ってきた。理由は聞かなくともわかる。どうせ草で指を切ったのだ。

「……指、切ったの?」

 こくんとうなずくリリィに、先程の市場でとりあえず買った水を取り出した。手を出させると、確かに指の先が切れて少し血が出ていた。その指の先に水をかけて洗ってやる。

 皮袋に水を入れて携帯するなんて最初は驚いたが、ペットボトルがない状況では意外と便利なものだと知った。

「ありがと」

 たいして深くなかったようで、血はもう止まっていた。すぐにリリィは顔をあげて、また茂みに向かっていった。

 もうやめとけばいいのに、とは言わない。だいぶんリリィの性格はわかってきた。遠くにいかなければそれでいいのだ。

 宗介も早足でない程度に道を歩いていれば、二人が逸れることはない。このままゆっくり道なりに歩いていけば、雑草遊びに飽きたリリィもすぐに道を歩くようになるだろう。

 そう思って真っ直ぐに歩むべき道の向こうを見据えたとき、絶叫が響き渡った。

 さっきの悲鳴とは比較にならない。驚いてあたりを見渡す。少し茂みの奥に行ってしまったようで、目視できる範囲にリリィはいなかった。

「ーーリリ、」

 大声で呼ぼうとする。すると、すぐそばの茂みが大きく揺れた。

「リリィ」

 ホッとして目線をそちらに向ければ、リリィがものすごいスピードで走って茂みを抜けくる。あっけに取られるが、その宗介の腕を彼女は掴んで走り出した。

「は、なに」

 状況が掴めないが、掴まれた腕に引かれて宗介はリリィの走っている方向に足を動かした。リリィの顔は見えない。

「ごめんなさーい!」

 リリィは走りながらそう絶叫する。

 当然、意味がわからないがしかし。

 足を止めることなく振り返って後方を確認すると、リリィが出てきたその茂みからはモンスターの群れが勢いよく後に続いて出てきた。

 灰色の、みるからに邪悪そうな風貌に背筋が粟立つ。何体いるのだろうか。わからない。先程の犬などとは比べ物にならない。映画でよくみるゴブリンのような化け物が、まさしく鬼の形相で追いかけてくる。しかもあれらは棍棒のようなものを手に持っている。

 今度はもう全力疾走だった。

 リリィの手を、容赦なく引いて走る。自然と彼女を引きずるような格好になるが、気にしてはいられなかった。

「なにあれ?!」

「わかんないよお! 急に出てきたの!」

「お、お、俺、戦えないよ!? どうしたらいい!?」

 リリィもおぉと半べそで返されるが、宗介だって泣きたかった。あの化け物たちは、明らかに敵意を持っている。おじいさんはこんな危険があるなんてチラリとも言っていなかった。

 全く無責任な老人だと、見当違いな悪態を心の中でついたが、どうしようもできない。

 何か現状を打開できるものと、走りながら周囲を見渡すが期待できそうなものはなかった。しかも、あのゴブリン。相当足が速い。背が高いために一歩が宗介よりも大きく、一気に距離を詰めてきていた。

 絶体絶命。確実に追いつかれる。

 もうどうにでもなれと、投げやりな気持ちでズボンのポケットを探れば、何かが手に当たった。とにかく行動を起こさなくてはいけない。なにもしなくても、絶対に追いつかれるのだ。悪あがきだろうともう構わない。

 ポケットに残っていたリリィの真珠を一握り、振り向きざまにモンスターに向かって投げつける。

 豆まきの要領だ。実際節分なんかよりも命の危機に瀕しているが、幼少期からの訓練が実を結んだ。白く輝く豆は、先頭を走っていた鬼の顔面に直撃した。まさに、鬼の目にも“涙“。

 流石に小さな真珠だ。痛がるような素振りは見せなかった。しかし、ゴブリンたちは突如、目の色を変えて真珠を拾い始めた。

 虚を衝かれて一瞬戸惑ったが、これに便乗しない手はない。そのまま足を止めることなく、走ってその場を離れる。

 闇雲に走り続ける。リリィもなにも言わなかった。ただひたすら、あの怪物たちから距離を取ることだけを考えて足を動かした。

 肺と筋肉が悲鳴を上げて、吐く息が血の味がしてきたとき、ようやく走るのをやめた。

 恐る恐る振り向くと、二人の後ろを化け物たちが追いかけてきている気配はなかった。

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