第4話 泡沫の日常
為すすべもなく頷いた。その通りだが待ってほしい。
一旦落ち着こう。何だって、満月が映ったら門が開く? 送って行ってくれ? 冷静にならなくとも可笑しいのは分かっている。
「ごめん、ム」
「リリィ、一人で帰るの?」
「…………う……っ」
ムリと断ろうとした瞬間に被せて聞かれる。心を抉る悲しそうな顔に感じなくともいい罪悪感が芽生える。
泣くのは無しだろう。
尊敬する大叔父の知り合い、相手は小さな女の子、話の脈絡のなさ、自分は無関係といったものが、宗介の頭の中でぐるぐると巡る。
目の前の男が、自分に助力するか否か迷っていることが、この少女にも分かったのだろう。雲行きが怪しいと思ったのか、うりゅりゅと目に涙を浮かべた。
あまりにも露骨。
あまりにも計算尽くめ。
しかし、少女の涙の前に、宗介は無力であった。
「わ……わかった……」
力無く了承の意を呟けば、即座にリリィは顔を輝かせた。目の前で泣いてまで見せたのだから、もう少し演技でいいからしょんぼりしていてほしい。本当に露骨すぎる。
満足そうに笑っているリリィを横目に、宗介は、状況を疑問視している自分を納得させる言い訳を考えた。
これが現実だとしたら、頷いた以上この子の気が済むまで付き合ってやるしかない。人魚云々は説明が付かないが、もしかしたら宗介の知らない親戚かもしれないし、明日になれば誰か迎えに来るかもしれない。来なくても満月に飛び込んであげれば満足するだろう。身元がわからなかったら警察に連れて行こう。
そして、これが現実でないのならば。
恐らく信介の死で、宗介の頭はおかしくなっているに違いない。大叔父が、宗介の理解者であり、家族だと胸を張って言える唯一の存在だった。彼の急死が、宗介の精神状態に何かしら影響を与えていると考えることは十二分に出来る。
正直、しばらく落ち込むだろうとは思っていた。まさか幻覚を見るとは。
これが幻覚ならば、家に帰らずに大叔父の屋敷に留まっていた方が、宗介にとっても都合がいい。
ふうとため息をついて、リリィに向き合う。
「送っていくよ。でもその前に俺の質問に答えてほしい」
そう言えば、リリィは元気よく了解した。
「君の名前は?」
「リリィ!」
「年は?」
「わかんない」
「……っ君の親はどこかな?」
「親……?」
「家は?」
「ここじゃないところだよ。どこかって言うのは難しいけど、でも、向こうに行けばわかると思う」
質問を終えて脱力する。ソファの上でぷらぷらと足を振りながら、至極真剣な顔で答えてくれたリリィには申し訳ないが、何の役にも立たなかった。
リリィの言う、門が開くらしい満月はちょうど明日だ。
大叔父の死できっと頭がおかしくなっているのだ。
そうに決まっている。
えらく長いし設定の細かい妄想だが、それほどまでに自分が悲しんでいるのだろう。
そう言い聞かせて、"妄想"に向かって手招きした。素直についてきた"妄想"のために、客間に布団を敷いてあげる。今日はここで寝てねと言うとそれはすぐさま眠りだした。
疲れているのだ。そうに決まっている。
最低限身の回りのことを整えて、ふらふらと、自室として使っても良いと昔から大叔父に言われていた一室に入った。使い慣れたベッドに倒れ込む。葬式が終わり、この家に来た直後、部屋に投げ込んでいた鞄からスマホを取り出す。
事務的にメッセージアプリを開き、母親に今日はこのまま大叔父の家に泊まる旨を連絡する。
しばらくしてその画面には、やはり既読がついただけだった。
それを見て、スマホの電源を落とし、宗介もそのまま静かに目を閉じ眠りについた。
眠りに落ちる直前、髪に染み込んだ線香の匂いが仄かに立ちのぼった。
*
これは夢だ。眉をハの字に下げた信介が、宗介とともにテーブルについている。
信介は料理が得意だった。宗介が家で食べるものといえば、菓子パンや弁当、スーパーの惣菜だったために、大叔父の手作りの物は宗介にとってもなによりもご馳走だった。
いつも美味しかったのだが、たまに、ありえないくらい辛かったり、その逆に味が全くしなかったりすることがあった。そういった時、信介は宗介の反応を見て、失敗したごめんねと本当に申し訳なさそうにしていた。味見したらわかるだろうと、呆れていたのだが、その失敗は稀に起こっていた。
夢だと分かっている。
困った顔で謝る信介は何故かずっと宗介の前にいた。
*
ぱちりと目が覚める。夏の朝だ。じっとり汗をかいていて、不快な気分になった。そういえば昨夜は怠くて風呂に入らなかったことを思い出す。朝食の前にシャワーを浴びようと思い、視線を横に向けると。
「あのね」
「うわあっ?!」
唐突に子供の声がした。ぼんやりしていて気づかなかったが、宗介の腹あたりの位置のベッドの側面に、リリィが寄りかかって座っていた。
昨夜の出来事は妄想でも夢でもなかったと、少々落胆する。
「お腹すいた」
リリィがそういった途端、その証拠であると言わんばかりに彼女の腹が鳴る。訴えかける目で見られて、宗介はまたも彼女の目に負ける。
「……シャワー浴びてからコンビニ行ってくるから、ちょっと待ってて」
君が寝た部屋に戻っててと言うと、リリィは素直に部屋を出た。ベッドから起き上がり、着替えや下着を持って風呂場へと向かう。部屋を出る間際、ちらりとスマホを見たが、着信は何もなかった。
シャワーを浴びた後で、リリィに何が食べたいか聞くと、何でもいいよと返された。何でもいいが一番困ると思うが仕方がない。そのまま近所のコンビニに行き、適当にジュースやパン、おにぎりを買った。
何が好きかわからないし、そういえばアレルギーの有無も聞いていなかったため、食べれないかもしれないことを考えて幅広く購入した。
重いビニール袋を下げて帰ってきた宗介を、リリィは玄関まで出迎えた。
それが、何となくむず痒かった。
食卓に買ってきたものをのせ、好きなものをと選ばせると、リリィはチョココロネとピーチヨーグルトドリンクを選んだ。宗介が鮭おにぎりを食べている間に、さらにハンバーガーとカツサンド、オカカのおにぎりを食べていた。
遠慮が全くない。そしてその食べっぷりに、やはりこの女の子は普通の子じゃないんだなと、納得した。
「信介はね、ご飯上手だったよ」
フレンチトーストをかじりながらリリィが言う。そうかと相槌を打つと、そうだよと真剣な顔で返された。
「ご飯上手だったし、あと、たくさん食べるの。リリィより」
「それは凄いな」
正直な感想が口から溢れた。本心からの言葉だ。現に今、宗介が二つ目のおにぎりを食べている途中で、リリィはおにぎり3個にパン類5個を平らげている。それ以上とは恐れ入る。
宗介が確かにたくさん食べる方ではないとはいえ、この差だ。というか、信介はそんなに大食漢だったかと、少し疑問にも思う。しかしその疑問を考える前に、リリィがあれやこれや話始めたので、思考の向こうへと追いやられてしまった。
朝食を食べながら、リリィはずっと信介のことを話していた。
絵本を読んでくれたこと。
一緒に虫を捕まえに行ったこと。
庭の花木を一つずつ教えてくれたこと。
おやつやご飯を一緒に作って食べたこと。
自分の知らない信介の話が、宗介と彼の思い出も甦らせる。そうだ、自分も同じようなことを彼にしてもらった。
そのことが、つい、口を開かせる。
「簡単なものでよければ、俺も作れるよ」
ごはん、と言って思い至る。別にリリィは手作りのものが食べたいわけではない。ただ信介の思い出を話していただけだ。勘違い野郎だと思われたらどうしよう。
今のなし、と言おうとすると、リリィの表情に気づいた。
キラキラと、輝いている。
失敗したなと思ってももう遅い。
「食べたい! ゆびきりね!」
強引に手を結んでくる少女に、もう止めることなくされるがままになる。これは宗介が悪かった。
というか、まだ食べられるのか。リリィが食べるのを見ていただけの宗介がお腹いっぱいなのだが。
しかしリリィは信介が作ったもので一番美味しかった料理について説明している。まだ食べられるらしい。
とりあえず恐らく気に入っているのは、拙い説明的にオムライスだろうなとあたりをつけ、夕飯はそれを作ることにした。
*
夕方になるのは早かった。
リリィの服がやはりなく、宗介が買いに行ったり(このことだけは何をかわからないが絶対に許せなかった。泊まりに来た従姉妹の服が洗濯ミスで全滅したと言い訳をして、店員に必要なもののところまで案内してもらった。)、オムライスの材料を買ったり、信介に読んでもらったという絵本を蔵から探したりと大忙しだった。着替える際にリリィを風呂に入れたが、リリィが一人で入れたことは不幸中の幸だった。
ちなみに絵本は無かった。物持ちのいい大叔父のことだからあるかと思ったが見当たらなかった。
3時くらいにミカンゼリーをおやつに食べ、ご満悦のリリィは、今は宗介がオムライスを作るのを食卓で待っている。火や包丁を使うため危ないと言い含めた結果だった。
調理実習や信介のやり方を思い出して作る。ほぼレシピ通りだが、信介はちょっとだけウスターソースを足していた気がする。
何とか生でもなく、焦がしもせずに卵も焼き、チキンライスの上にのせた。
テーブルまで運ぶと、リリィは目を輝かせて待っていた。悪い気はしない。ケチャップを渡してあげると、卵に大きくハートを書いていたので、そこは見た目の年相応な態度だと意外に感じた。
「いただきまーす!」
「……いただきます」
スプーンですくって口に運ぶ。不味くはない。美味しいと思う。というか、焦げてない以上レシピ通りに作ったのだから美味しくできなくてはたまったものではない。
よく考えれば、調理実習以外で人に料理を作ったのは初めてだ。しかも宗介は手際のいいクラスメイトと同じ班だったから、授業中あまり何もしていなかった。
恐る恐る、リリィの反応を盗み見る。不味そうな顔をしていたら今後人に二度と料理を振る舞うことはできないだろう。今のところそんな予定はないが。
「おい、しい……」
「リリィ、」
「おいしいぃ〜……っ」
不味そうな顔は見たくないと思ったし、できれば高評価をいただきたいと思っていたが、まさか泣かれるとは。朝昼、コンビニ飯だったのが申し訳なくなる。
ひっくひっくと泣く少女の前で、やはり何もできなくなる。泣かれると敵わない。
「信介とおんなじあじ」
涙を溜めた目が宗介を見る。泣きながら笑う少女は、優しい顔をしていた。
「ほんとにおいしい。ありがとう」
「……こちらこそありがとう」
これ以上ない褒め言葉だった。
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