最終話 降臨

 カリンは、地上の全ての目が一斉に自分に向けられているのを感じていた。


(カリン、怖がることは無いよ。君に向けられた目を全て宇宙の深淵に連れて行くんだ。『純粋存在』の見ているものをこの世の全ての人々に見せてあげるんだ)


 天界に鳴り響く音の波紋をカリンの『目』ははっきりと捉え、同時に天界を見上げる人々の目が、自分という存在の中に統合されていくのをカリンは感じていた。



 エチカは、激しく舞い踊るユイの身体の動き全てを音の波紋として捉え、その『耳』で聞き取った旋律を天界に鳴り響く壮大な交響楽へと変換する。

 エチカの『耳』で捉えた音は、地上の全ての人々に共有され、やがて人々の耳そのものがエチカの存在の中に統合されていく。

 エチカの中で、天界に舞うユイの旋律とそれを地上で見上げる人々の歓声が、まるで一つの楽曲のように鳴り響いていた。



 ソーカーは、黄昏の中で舞い踊るユイの姿を飽きることなく眺めていた。


(もっと、もっと舞ってくれ、もっと激しく踊ってくれ荒屋敷ユイ。君の紡ぎ出す踊りが、ひと連なりの『真言』となって、現世の人々の無数の魂と繋がり『純粋存在』の大きな糧となるのだ)


 だが、あれほど激しく踊っていたにもかかわらず、ユイは突然踊ることをやめてしまった。


「どうしたユイ! なぜ、踊りをやめた!」


 ソーカーの問いかけにユイはゆっくりと向き直る。


「アゼル・ソーカー、お前は私に何をのぞむ?」

「それは『純粋存在』としての問いか?」

「『純粋存在』? 存在に純粋も不純も無い。私はただそこに『在るモノ』だ」

「お前が『純粋存在』と呼ばれるのは、ただ生命の根源的な力のみを希求する存在だからだ。お前の意志は、この世の存在の根源的な力を全てを自分の中に統合することにあるはず。私はその後押しをしているのだ」

「その統合される存在にお前自身はいるのか? アゼル・ソーカー」


 ユイの問いにソーカーは笑った。


「愚問だな。もちろんその中には私も含まれる。ただ、私という存在が統合されるときは、全ての世が終わる時だ」


 ソーカーがそう答えた直後、旧東京の汚染区域内のほとんどの場所に、軌道上の衛星から数十発ものタングステン弾頭、通称「神の杖」が降り注いだ。



「ユイっ! ユイっ!」


 ナギの呼びかける声に、ユイはうっすらと目を開けた。


「ユイ、良かった。ようやく見つけた」

「ナギ?」


 ユイは、その場でゆっくりと身体を起こした。


「そうだよ、私だよ!」


 そう言って、ナギはユイに抱きついてきた。


「すごく心配したんだよ。いきなりいなくなっちゃうんだもん」

「ご、ごめん……」


 しばらく二人は抱き合っていたが、次第にユイたちの周りは霞がかかったようになり、視界が効かなくなる。


「ユイ、動ける? ここ、あまり長居しない方がいい」


 そう言ってナギは肩を貸すとユイを立ち上がらせた。

 ユイは、あらためて周囲の荒廃した景色を見渡す。


「この辺りにも、さっきミサイルが落ちてきて、大変なことになってる。早く汚染区域の外に出た方が良いよ」


 ナギはユイの手を引っ張った。

 だが、ユイは動こうとしない。


「どうしたのユイ? こんなとこにこれ以上いちゃ危険だよ」

「エチカとカリンも連れてかなきゃ……」

「えっ、何言ってんの!?」

「二人を囚われ人にしてんのは私だ……彼女たちをカゴの中から出してあげなきゃ……」

「ちょっ、ユイっ! 待って!」


 ユイは、濃い靄のかかった方へと足を進める。

 やがてユイが向かった先の靄の中から、幽鬼のような表情の男が現れた。


「ソーカーさんって言いましたっけ、私をエチカとカリンのとこに連れてって下さい」


 ユイの言葉に、ソーカーはついてこいと言うふうに手招きする。

 ユイは躊躇うことなく、濃い靄の中へと足を踏み入れた。

 それを見て、ナギも慌てて後を追う。



 風が吹き、あたりの靄が晴れた時、ユイとソーカーは直径数十メートルものクレーターの淵に立っていた。

 二人の眼下に広がるそのクレーターは、軌道上の攻撃衛星から射出された『神の杖』によるものである。

 クレーターは大きく地面をえぐり取っていて、その底は思いの外深い。

 ナギはクレーターの淵に二人の姿を見つけ、よろめきながら近付いて行った。

 ところが、ユイとソーカーは、突然その巨大なクレーターの中へと入っていたのだ。


「ユイ、どうしたの? 戻ってきて!」


 クレーターの淵から叫ぶナギに、ユイが振り返って何かを言っている。

 おそらく大丈夫だと言っているのであろう。

 ユイとソーカーは、ナギを置いてどんどんクレーターの底へ向かって降りて行く。


 クレーターの底には、二人の人間が横たわっていた。

 カリンとエチカである。

 二人を見つけたユイは、慌ててそばに駆け寄る。

 幸いなことに、カリンもエチカも意識を失っているだけで、身体の方は全くの無傷のようである。


「覚醒した『純粋存在』には、神の杖をもってしても効かぬと言うことだ」


 カリンとエチカの無事を確認して、ソーカーはクレーターの底に響き渡るような笑い声をあげた。

 そこには、ソーカーが用意した指令施設が存在したはずなのだが、『神の杖』によって跡形もなく吹き飛ばされていた。


「遅いのだよ、貴様らは! だが、借りは返さねばな。これからお前らには、同じものを送り届けてやる」


 ソーカーは右手にはめたリストバンドに向かって何やら呟くと、その手を高く天に差し上げた。


「君たちの歌を邪魔する無粋な連中はこれで排除される。さあ、カリン、エチカ、起きるんだ! もう一度ここから君たちの歌を世界に届けるのだ!」


 ソーカーの言葉に促されたのか、カリンとエチカがフラフラとその場に立ち上がった。


「ソーカーさん、もう十分でしょう。エチカもカリンもここから解放してあげて」

「荒屋敷ユイ、何を言い出す。覚醒したお前は既に『純粋存在』と一体の存在のはず。それは『純粋存在』としての言葉か?」

「いいえ、これは私自身、荒屋敷ユイとしての言葉」

「荒屋敷ユイとしてだと!?」


 ソーカーが口の端を吊り上げる。


「なぜ『純粋存在』が荒屋敷ユイの意識をこうまで残しておくのか理解し難いが、やむを得まい」


 ソーカーはユイの手を捕まえると、いきなりユイの首の後ろに針状のものを突き刺した。

 やがて、ユイは身体の自由が効かなくなり、その場に崩れ落ちた。



「どうした!? なぜ次の弾頭が射出されないのだ! まだ対象地域にエネルギーの反応がある。完全に沈黙するまで攻撃を続けろ!」


 国連軍の地下指令室でツァオが珍しく声を荒げていた。


「そ、それが、衛星のコントロールが効かないのです! こちらの制御コマンドを全く受け付けません!」

「くそっ! これも奴の仕業か?」

「こっ、これは!……」


 管制官がモニターを見て青ざめる。


「どうした?」


 ツァオが問いかけた瞬間、国連軍の地下指令室は跡形もなく吹き飛んだ。



 クレーターの底でユイが倒れたのを目にしたナギは、慌ててクレーターの斜面を駆け下りていた。

 途中、何度か足がもつれ、身体ごと斜面を転がり落ちる。


「ユイっ!」


 身体中泥だらけの格好になりながら、ナギは息を切らして横たわるユイのもとに駆け寄った。


「おいっ! お前、何者だっ?」


 ソーカーがユイの身体に覆いかぶさったナギを無理やり引き剥がす。

 ソーカーと揉み合ううちにナギの懐から巾着袋が飛び出し、そこから天堂仁の遺体のそばにあった小さな欠片がユイの胸元に転がった。


「ユイ、目を覚ましてっ!」


 ナギの声が届いたのかわからぬが、ユイはゆっくり起き上がった。


「無駄だ。あれは荒屋敷ユイではない」


 起き上がったユイは、足元に落ちている小さな欠片を拾い上げた。

 ユイはその欠片を顔の上にかざして、じっと眺めている。


「エリカの欠片だ」


 ユイがそう呟くと、ナギの周囲に歌が流れ出した。

 いつの間にか、エチカとカリンが、ユイとともに周囲で軽やかに舞い踊っていた。

 流れ出したその歌は、やがて天を覆うように周りの景色全てを音で満たしていく。

 その有様に、ソーカーが歓喜の表情を見せた。


「そうだ、世界をその旋律で包み込んでくれ。これで、全世界の人々の意識下に『純粋存在』そのものが一つの欠片となって埋め込まれる!」



 久野原凛は、昏い海の底で断片となった音の欠片を拾い集めていた。


(凛! 凛!)


 昏く広大な海底を彷徨っていた凛を遥か頭上から呼ぶ声がする。


(エリカ!)


 凛はその声が呼ぶ方向に向かって泳ぎ、海中から水面に顔をだす。

 海上は満天の星明かりで満ちていて、その星空をエリカの懐かしい歌声が覆っていた。


(凛!)


 星空からエリカの優しく柔らかな手が伸びてきた。

 海中から浮き上がってきた凛は、その手をしっかりと掴む。


(もう離さないよエリカ……)


 お互いの身体を引き寄せ、エリカと凛は口付けを交わした。



「ユイっ! 私だよっ、気づいてっ!」


 ナギは、左手で『エリカの欠片』を握りしめながら、右手でユイの手をしっかりと掴んでいた。


「ナ、ギ……?」

「そうだよ、ナギだよっ!」


「なぜだ、なぜまた荒屋敷ユイの意識が現れる……そうか、その欠片か……」


 ソーカーが顔を歪めながら、ユイとナギの方に近づいてくる。

 その時、天上から雷鳴の数十倍にもなろうかという凄まじい轟音が鳴り響き、周囲の全てが塵も残さず爆散した。



 カリンは自分の身体が何か暖かなものに包まれているのを感じた。

 それはどこか懐かしいような感触である。


(お母さん? お母さんだよね?)


 カリンの目に映る女性は、優しく微笑みながら、ゆっくりとうなずく。


(カリン……元気でね……)


 カリンは最初で最後となる母親の身体の温もりに涙した。



(こっちだよ、エチカ)


 エチカは、第二次カタストロフで孤児となり収容された第三研究所で、誰とも馴染めずに一人でいた時、初めて手を差し出してくれた友達のことを思い出す。

 差し出された手をエチカはおずおずと握ると、向こうはしっかりと握り返してくれる。


(行こう、エチカ!)


 エチカの方を振り返り、ユイがにっこりと微笑む。

 エチカはうなずくと、ユイの手をしっかりと握って走り出した。



「ユイっ!?」

「気がついた?」


 ナギはいつの間にかユイの背中に背負われていた。


「あっ、私メガネが……」

「はい、これ。」


 ユイが、メガネを差し出した。


「これ、フレームだけでレンズが無いじゃん!」

「そうだね」


 そう言って、ユイとナギは二人で笑い合う。

 二人の前を、カリンとエチカも歩いていた。


 その二人が、同時にユイたちの方を振り返った。


「朝日が昇るよ。」


 ユイたちの顔を朝日が照らした。

 朝日の向こうに旧東京の街並みが姿を現した。

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常世の神子は天に舞う アマネシズカ @kashizu

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