第38話 天界の音

 ナギはこれまで一度も足を踏み入れたことのない、汚染区域の中を歩いていた。

 ほんの微弱なものではあるが、ユイの身体に塗布されたナノコートから発せられる信号が、確かに汚染区域の中から発せられていて、ナギのチューニングユニットがそれを捉えたのだ。


「ユイはグラウンド・ゼロの方向に向かってる?」


 その時、ナギの頭上を轟音を立てて超高速の物体が通り過ぎた。

 やがて、グラウンド・ゼロの方向から眩い閃光が広がり、時を置いて凄まじい爆発音と衝撃波がナギを襲った。

 ナギは廃ビルの影に身を屈めて、その衝撃をやり過ごす。


(一体、何!?)


 グラウンド・ゼロの方向からは、巨大なキノコ雲が立ち上っているのが見える。


(まさか、核兵器!? なんでこんなところで?)


 ナギは慌ててチューニングユニットを確認する。


(良かった……ユイからの信号は途絶えてない)


 ナギは再びユイの足取りを追ったが、突然ある地点からユイの信号を検知できなくなった。

 ナギは、廃墟の中をつまずき転びながら、信号が途絶えてしまった地点へと向かって急ぐ。


(ユイ、そこにいて!)


 ナギは、そこが汚染区域であることも忘れ、密封された水槽の中で失われゆく酸素を求める魚のように口をパクパクさせながら、死に物狂いで走る。

 やがて、ユイからの信号を最後に検知したと思われる地点にまで到達した。

 そこは、廃ビル群のなかにポッカリと空いた広間のような場所で、地面は黒々とした土に覆われていた。

 広間の中央には、真っ白なテントがポツンと一つだけ立っている。


(たぶん、あそこだ……)


 ナギは、ユイからの信号を最後に検知したと思われる場所に向かって歩く。

 ナギは白いテントの前まで来ると、思い切ってその入り口をめくった。


「仁さん!」


 テントの中では、血溜まりの中に天堂仁が仰向けに倒れていた。

 天堂仁は額を拳銃で撃ち抜かれていて、ナギが触ったその身体はすでに冷たくなっていた。


「仁さん、あなた、なんでこんなとこで死んでるのよ……」


 最後は喧嘩別れのような形になったとはいえ、天堂仁がいなければユイとナギの二人だけであそこまでのパフォーマンスはできなかっただろう。

 そんな複雑な思いを抱きながら、ナギが天堂仁の亡骸に手を合わせていると、遺体のすぐそばに何か光るものを見つけた。


(何だろう?)


 それは何かの破片のようで、光を受けると虹色に反射する。

 そばには小さな巾着袋のようなものも落ちていて、どうやらその欠片は、そこから飛び出したもののようである。


(仁さんのお守りみたいなもの?)


 ナギはその虹色に光る小さな欠片を拾い上げると、巾着袋にしまって自分の懐に入れる。


(あなたの肩身にしとくわ、天堂仁さん)


 ナギは、改めてテントの中を見渡すが、天堂仁の死体がある以外は、ユイのいた痕跡は何も見つけられない。


(ユイ、ここで一体何があったの? あなたは無事なの?)


 不安に苛まれるナギの耳に、テントの外から不思議な旋律が響いてきた。

 同時にナギのチューニングユニットが反応する。

 ナギは慌ててテントの外に飛び出した。

 外では、まるで空を覆うように様々な音色が鳴り響いていた。


(これは、ユイの奏でる音だ!)



 カリンは宇宙空間を漂っていた。

 カリンの眼下には、青い地球の姿が広がっている。


(どうだいカリン、『常世神様』いや『純粋存在』の『目』は?)


 カリンの耳に、ソーカーの言葉が聞こえる。


(カリン、今度は私を『見て』ごらん)


 ソーカーの言葉のまま、カリンは目を凝らす。

 するとカリンの目は、旧東京の汚染区域内に立つソーカーの姿をはっきりと捉えた。

 ソーカーは頭上を見上げると、カリンに向かって満足げに微笑みかける。


(これから君の見るものは、すべて『純粋存在』の見るものとなる。君は文字通り『純粋存在』の『目』となるのだ)


 カリンの身体そのものは地上にあるのに、この『目』は、天界から全てを見渡しているような感覚があった。

 だが、肉体から分離してしまっているようなその視覚がもたらす感覚は、カリンにとって決して不快なものでは無い。

 むしろ、自分という存在が何かに包まれているような、懐かしさすら覚える不思議な感覚なのである。


(ずっと、こうしててもいいかも……)


 やがて、カリンの眼下に虹色に光る、花火のような光の輪が次々に広がり始めた。

 その無数の光の輪は、カリンの「視覚」を通じてカリンという存在そのものを一つの楽器とみなすが如く、ある旋律を響かせていく。


(これ、私聞いたことがある!)


 カリンは自分の中に鳴り響くその旋律に合わせて、歌い始めた。



 エチカは海の中を漂っていた。

 自分の身体、その細胞の一つ一つ、自分という存在そのものすら広大な海の中に溶け出して、エチカは無限に広がる「音」という海の中に身を委ねていた。

 今のエチカにとって、この世にある数多あまたの存在が一つの波のようなものである。

 海の中で無数の波が混じり合い、ぶつかり合うたびに、また新たな波が生まれ広がっていく。

 エチカは、その波の全てと同期シンクロし、これまでとは比べ物にならないほどの桁外れの数の新たな旋律を生み出していくのだ。

 音の波を漂いながら、エチカは歓喜に震えた。


(エチカ、エチカ、君は『純粋存在』の『耳』となった。これから、君の感じ取るもの全てが『純粋存在』の聞くものとなる)


 エチカに向けて投げかけられたソーカーの言葉すら、エチカには無数の波の一つとして感じられた。

 そんな海の中で、エチカは真っ直ぐに自分に向かってくる、巨大な波の塊を感じた。

 巨大な波は、信じられないような無数の波濤から形成されていて、周りの全てを巻き込みながら、どんどん大きくなっていく。


(ユイ、あなたはユイね!)


 エチカはその巨大な波濤にもまれながら、いつしか自らもその波と一体になり、共に広大な海の中に華麗な旋律を響き渡らせる。

 やがて海の中に広がる全ての波が、その旋律と共鳴し響きあって、一つの交響楽を奏でた。



 黄昏の廃墟の中、ユイはただ無心に踊り続けていた。

 ユイを迎えにきたというアゼル・ソーカーという男は、ただ一言こう言った。


「エチカが君の音を待っている」


 その言葉を聞いて、ユイは思い出した。

 あの後夜祭の時に二人で奏でた旋律、あれはまだ前奏曲プレリュードに過ぎなかったのだ。


(私たちの中には、まだまだ奏でていない音色がある)


 それを探すために、ユイは再び踊り始めた。



 その日、旧東京の汚染区域の各所で、地中から巨大なパラボラアンテナが現れた。

 その位置は、あの新興宗教、真明智会が汚染区域内を移動しながら彼らの御神体を祀る『幕屋』を設置した位置と正確に重なっていた。

 時を同じくして、旧東京中のいや世界中の無線通信がハッキングされた。



「汚染区域内の各所で、異常なエネルギー反応が急速に拡大しています! あと10%でカタストロフ発生のしきい値に達します!」


 その報告に国連軍のパーマー少佐は歯噛みし、隣のツァオ理事を睨み付ける。


「核ミサイルは役に立ちませんでしたな。彼らはその前に自らの手で施設を破壊していた」


 ツァオ理事は、まるで他人事のように解説してみせた。


「少佐!」

「なんだ!」

「こっ、これを……」


 ツァオの態度に苛立ちを隠せない様子のパーマーに、通信兵がヘッドフォンを差し出す。

 パーマーがヘッドフォンに片耳を当てると、これまで聞いたこともないような不思議な音色が聞こえてくる。


「これは混信か!?」

「いえ、全ての通信がこの状態でして……ただの混信とは考えられません」

「少佐! 汚染区域内のエネルギー反応がしきい値に達しました!」


 切迫した表情の部下の報告と同時に、指令室内の全てのモニターが突如暗転する。

 やがて、暗転したモニターに一人の女性の顔が映し出された。


現世うつしよの全ての民に、天界から私の歌を捧げます」


 モニターの中から女性が呼びかけたのと同時に、パーマーの耳に、先ほどヘッドフォンで聞いていたものと同じ音色が響き始めた。


(幻聴!?)


 パーマーは部下に指示を出そうとするのだが、なぜか声が出せず、身体も思うように動かない。

 そのうちに、段々と目の前がかすみ、自分の身体がふわりと浮いて、宇宙の中を漂っているような錯覚に陥った。


(これは、なんだ!? 一体何が起こってる?)


「しっかりしなさい、少佐!」


 全身に電撃が走るような衝撃の後、ツァオ理事に激しく肩を揺さぶられて、パーマーはようやく正気に戻った。


「ソーカーめ、これが狙いですか……」


 普段滅多に表情を崩さないツァオが、珍しく顔を歪めていた。


「であれば、こちらも容赦する必要はありませんな」


 ツァオは気を失っている通信兵の身体を乱暴に押しのけると、ニューヨークの国連本部との暗号通信の回線を開いた。


「こちら旧東京信託統治理事ツァオです。旧東京地区にて安全保障上の重大な脅威となる緊急事案が発生しました。安保理決議3365号に基づき、オペレーションGの発動を要請します」


 ツァオの言葉に、パーマーの顔色が変わった。


「あちらが神の真似事をしようと言うのなら、こちらも神の杖で応酬しなければなりませんからね」


 そう言うと、ツァオは気味の悪い笑い声を上げた。

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