湊さまは天使じゃない。

来栖もよもよ

おはなし。

 遠く遠く離れた別世界のお話。

 

 

 

 

 あるところに、18歳になるチカというとても働き者の女の子が住んでいました。

 

 母子家庭で家が驚くほど貧乏だったので、小さな頃から家事をこなし、13の時から年齢もごまかして牛乳配達やら本屋の裏仕事などでせっせと働いていたせいで、見た目も中身も大分大人びておりました。

 

 学校の友達が話しているような「心がときめく出逢いを」だの「目が合った瞬間一目惚れして」だのと言う恋バナは全く興味がないし、自分とは無関係だと思っていました。

 

「タイムイズマネー」

 

 が彼女のポリシーなので、さっさと義務教育を終えて、年をごまかさず朝から晩まで堂々と働ける夢のような日々を待ち焦がれていました。

 

(母さんと2人でフルで仕事すればそこそこの暮らしが出来るわよね。そしたら、年に1度位は一緒に旅行でもいって、美味しいモノでも食べて……母さんも私も甘いもの好きだからスイーツも月に1度は買って……) 


 などと呑気に考えていた卒業まであと数ヶ月といったところで、母親がポックリ亡くなってしまいました。

 今で言うところの心筋梗塞といったところでしょうか。

 

 

 火葬場で骨壺に入った母親を抱えてアパートに戻りながら、

 

(家賃もあるし、やっぱ学校中退して働くしかないかー……楽させる前にあの世に逝きおってバカ母め……)

 

 と頭を痛めていると、公園で子供がいじめられているのを目撃しました。

 

 まだ7、8歳ほどの小柄な可愛い少年でした。何人かの同世代の子に囲まれて泥団子を投げられています。


「こらあんたたち何してんの!親にいいつけるわよ!」

 

 大声を出してワルガキを追っ払うと、泥だらけの子に声をかけました。

 

「少年、大丈夫?」

 

「ケガはないけど、服がドロだらけになっちゃった……」

 

 

 聞くと、この町の中心部の華やかな商店街の外れに最近出来たバカでっかい屋敷の子でした。

 

 こっそり遊びに出て来たところを、近所の子たちに「気取ってる」「女みてえな顔しやがって」と絡まれたようです。

 

「もう外に出してもらえなくなっちゃうかな……」

 

 しょんぼりしている子を見て、チカはつい、

 

「うちにおいで。洗ってあげるから」

 

 と手を引いてしまったのでした。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 アパートに戻り、少年の服の泥をある程度落として、洗濯機に放り込むと、チカのトレーナーとジャージを渡しました。

 

「サイズは大きいと思うけど、今日天気がいいし、早目に乾くと思うから我慢してね」

 

「……ありがとうチカお姉ちゃん」

 

 大人しくダボダボの服を着て体育座りしている少年は、物珍しげに部屋を見回していました。

 

 ホットケーキを焼いて、リンゴのジュースと一緒に出すと、嬉しそうに食べ始めました。

 

「チカお姉ちゃんは食べないの?」

 

「それでちょうどおしまいだったからね。少年は育ち盛りだから沢山食べなさい」

 

「少年少年って、ボクは市川(いちかわ)湊(みなと)だって言ったでしょう?湊でいいよ」

 

 湊はにっこり笑うと、小さく切ったホットケーキをフォークに刺すと、あーん、とチカに差し出しました。

 

「…………何よ?」

 

「チカお姉ちゃん甘いの好きそうだから。半分こしよ。はい、あーん」

 

 何となくつられてあーんとしてしまったチカの口にに、フワフワのホットケーキが入り、メープルシロップの柔らかい甘さが口に広がりました。

 

 満面の笑みになっていたのでしょう。チカを見ていた湊が頬を赤らめて、

 

「チカお姉ちゃん可愛いね」

 

 とくすぐったそうに笑いました。

 

「おっと、お恥ずかしいところを。でも甘いものには弱いのよねぇ。……まあこれからはこんな呑気にもしてられないんだけど」

 

 母親が亡くなって、学校を辞めて働かないといけないのだよ少年、とチカは食べ物を分け合った気安さから言うつもりもなかった事を話していました。

 

「湊だってば。そうなんだ……ボクもお母さん5歳の時に死んじゃったんだ。だからお父さんと2人。あとメイドさんとか庭師のおじさんとかもいるけど……」

 

 パッと顔を上げた湊が、

 

「そうだ!チカお姉ちゃん家で働かない?

 ちょうどね、メイドさんが結婚で辞めるから!

 住み込みだから家賃とかかからないよ?」

 

 あーん、とチカは再びホットケーキを貰いながら、

 

「え?いやいや、恩を売るつもりで服を洗った訳じゃないから」 

 

 と慌てて断りましたが、湊はせっかく仲良しになったんだから、といい、暫くして乾いた服に着替えると、遠慮するチカを連れて自分の家に連れてきました。

 

 間近で見ると、思った以上の豪邸でチカは足がすくみました。

 

 

 湊の父親も在宅しており、湊から今日の顛末を聞くと、

 

「それはそれは、大変お世話になりました」

 

 と深々と頭を下げた。

 

「いえ、ホントに大したことしてませんので」

 

 恐縮したチカが慌てて居間のふっかふかのソファーから立ち上がりお辞儀をすると、

 

「チカさん、差し支えなければだが、学校は卒業しておいた方がいいと思いますし、学費は援助しますので、卒業後に暫く家で働きませんか?部屋もご用意しますし、そんなに悪い条件でもないですよ。週に2日は休みもありますし」

 

 と40絡みの渋い父親が微笑むと、湊も

 

「ほら!ね?だから家においでよ!」

 

 と笑顔でポンポンと腕を叩いた。

 

「援助が気になるようなら、働いた中から少しずつ返して下さってもいいですよ」

 

 チカは暫く考えたが、正直学校は先々も考えて卒業しておきたかったし、少しずつ返済でもいいと言うのはいい話だと思いました。

 

「えと、すみませんが、それでは宜しくお願いします」

 

「良かった!それでは卒業したらよろしくお願いしますね。出来ればそれまで週に1度でいいので湊に会いがてら、どんな仕事をするのか見に来て下さると嬉しいんですが」

 

「はい、分かりました」

 

 チカは、学校も通えて3ヶ月後からの就職も決まり、心底ほっとしました。

 

 少年は天使だったのかも知れない。

 チカは帰り道をてくてく歩きながら、神様に感謝していました。

 

 

 

 ※ ※ ※ ※ ※

 

 

 

「…………あの、湊さま」

 

「なあに?」

 

「もう高校に入られたのですから、こういうはどうかと思います」

 

 

 チカが卒業して市川の家のメイドとして働くようになって早6年。

 

 ふくふくとした50歳ぐらいの穏やかなメイド長に指導を受けて、仕事もそつなくこなせるようになり、学費もとうに返済出来ました。

 

 旦那様は優しいし、他の使用人も親切だし、とても働きやすい職場だと思っているのですが、唯一困っているのが少年……湊さまの扱いでした。

 

 週末の休みは学校から戻って来た湊さまがずっと周囲をうろちょろしており、たまには外に洋服でも見に行こうと出かけようとすると必ず付いてきます。

 

「チカは可愛いからナンパとかされないようにね。ねえ、デートみたいじゃない?」

 

 と嬉しそうにしながら、チカがビビるような金額のワンピースなどを買い与えようとするので、断るのに苦労します。

 

(お金持ちの道楽は分からんなー。大体私はどっからどう見ても平凡だしなぁ。メイドに始終くっついて回る息子を止めない旦那様もどうかと思うぞ)

 

 とチカの頭には?が飛び交うばかりです。

 

 湊さまは背も伸び、160㎝のチカも中学生で軽く追い越してしまい、170を越えてもまだ伸びている上に、小さな頃の天使のような可愛らしさが少しずつ大人びたモノに変わり、学校でバレンタインデーなど山のようにチョコレートを抱えて帰るので、モテモテではないかと思うのですが、

 

「ケーキとかクッキーの材料にでも使って」

 

 と雑に厨房に置いていく始末。

 

「お気に入りの女子とかいらっしゃらないんですか?」

 

 とチカが尋ねても、

 

「え?チカがいるのに?」

 

 と訳の分からない返しをして誤魔化すのです。

 

 大体8つも上の女をからかって何が楽しいのかチカには分かりませんでした。

 


  そして、パティシエになる、と言い出して始終厨房に籠っては、チーズケーキだ、ムースだ、と作ってはチカに味見をさせるのですが、必ず湊さまが、「あーん」と食べさせるのです。

 


 湊さまが小さな頃は、母親がいないせいで甘える相手が欲しいのかな、とチカは特に気にもしてませんでしたが、流石に16になる湊さまにそれをされると、ほぼ大人の男性に近いので、24で恋愛経験のないチカには刺激が強すぎるのです。

 

「今日のはね、上手く出来たと思うんだ。ラズベリーパイ、チカ好きでしょ?はい、あーーん」

 

「いえ、自分で食べられますから」

 

「ダメ。チカは食べた時の一瞬の表情で美味しかったかイマイチだったか分かるんだから、よく見ないと。はい、あーん」

 

 チカは諦めて口を開けました。

 

 入って来たラズベリーパイは、甘酸っぱくて、パイ生地がサクサクで、間に挟まれたカスタードクリームのバニラビーンズの香りが鼻をくすぐり、最高に美味でした。

 

「んんんー!」

 

 余りの感動に身を震わせて湊さまを見ると、コクコク頷きました。

 

「美味しかった?そう、良かった。じゃ、僕も」

 

 同じフォークでカットしたパイを口に運ぶ湊さまに、別の意味で

 

「んー!んっ!!」

 

 とモグモグしながら声をあげました。

 

「え?なに?」

 

 やっと食べ終えたチカは、

 

「使用人と同じフォークを使ってはいけません!」

 

 と湊さまに注意しました。

 

「えー?だってチカと僕の仲じゃん。他の奴とか絶対無理だけどチカならいい」

 

「いえ、幾ら幼い頃から顔を合わせてるとはいえ、良家の御子息がそのようなはしたない事をしてはなりません」

 

 チカは、ずっと気になっていた事をこれ幸いと聞いてみる事にしました。

 

「湊さま、ずっと気になって仕方がない事があるのですが」

 

「何なに?」

 

「──私を旦那様の後添えにしたいとお考えですか?」

 

 一瞬棒立ちになった湊さまが、

 

「はぁぁぁ~?!」

 

 と険悪な表情で問い返しました。

 

「……何故その考えに至ったのか簡潔に述べよ」

 

 抑揚のない声で明らかに怒っている気配にチカは動揺しました。

 

「い、1、やたらと私が男性と接点を持つのを嫌がる。2、家庭の味、っていうのが分からないんだよねぇ、チカの家庭の味ってなに?と質問された。3、パーティーを開くと湊さまが近くにおられない時は必ず旦那様の側にいるように言われた。

 ───以上の点から旦那様と私をくっつけたがっているのかと推測致しましたが、旦那様は亡くなった奥様しかご興味ございませんし、私も申し訳ありませんが旦那様とどうこうなる気もござ───」

 

「どうこうなったら父さん死んでるよ?」

 

 グイっ、とチカは引き寄せられ、気がついたら湊さまの腕の中でした。

 

「あのっ、早とちりでしたら申し訳ございませんでした!」

 

 近い近いと離れようとすると、余計力を入れられ身動きが取れません。

 

「湊さま、あのちょっと苦し──」

 

「1、好きな女に虫がついたら困るから嫌にきまってる。2、チカと家庭を持ちたいっていう含みだったのに全く伝わってない。3、パーティーで挨拶して離れている間に粉かけてくる男がいたら困るから安全な父さんのところに置いた。以上」

 

 チカは首を捻った。

 

「すみません湊さま。あの、今の発言だとまるで私の事が好きなように聞こえるのですが」

 

「ずーーーっとずーーーっと好きだけど?」

 

「………………は?」

 

「…………いや、まさかとは思ってたけど、本当に気づいてなかったの?」

 

「はあ。いや、でも普通考えもしないですよね?8つも下の勤め先の上司の息子が自分に好意を持つとか?!せいぜいお姉さん的な感じですよね?!」

 

「年下だから本気にされないと思って、アピールしてたじゃん何度も!デートみたいだとか、大好き!とか、ずっと一緒に居たいとか!」

 

「分かるわけないでしょうが!恋愛経験もない干物女には子供がなついてる位にしか思えないってーのよ!」

 

 思わず素が出てしまったチカが、慌てて

 

「し、失礼致しました」

 

 と離れようとしましたが、

 

「本気ならいいんでしょ?───チカ、僕が成人したら結婚して」

 

 ぎゅうぎゅう抱き締められて、チカは酸欠になりそうでした。

 

「私は8つも上なんですよ湊さま!」

 

「別にトシは関係ないでしょ?好きなモノは好きだし。え?チカは僕が年下だから嫌いなの?」

 

 途端に目を潤ませる湊さまを(卑怯だな~イケメンの目うるとか)と直視しないよう半目になりながら、

 

「嫌いじゃないですけども、恋愛とかそういう目線で見たことがなくてですね」

 

「嫌いじゃないなら、これから見ればいいよ。もう父さんには許可貰ってるし、後はチカが飛び込んでくれたらオッケーだから」

 

「何勝手に外堀埋めてるんですか!」

 

「え?まだ指輪は一緒に選びに行きたいから買ってないよ」

 

 すりすりと頬を寄せてくる湊さまにチカは呆れて、

 

「私に選択肢はないんですか?」

 

 と尋ねました。

 

「勿論あるよ!今すぐ事実婚コース、僕が18になってすぐのコース、同世代がいいなら頑張って20歳を待ってのコースもある!それに式は洋風か和風か好きな方を選んで!どっちもチカなら可愛いから」

 

「何ですか16で事実婚て!ノー犯罪者!!というかゴールが結婚確定コースしかないじゃないですか」

 

「………あ、お付き合いからだよね。ゴメン。じゃあこれから恋人同士として週末は必ずデートね。平日は仕事で疲れてるだろうから1、2回夜ご飯食べに行くとか映画を見るとか」

 

 いや謝るとこはそこじゃないだろ。

 

 どんどん自由度が狭まって行くので思わず湊さまの口を手で押さえてしまいました。

 手のひらをペロリと舐められてひょぇっ、と手を降ろすと、

 

「チカを初めて舐めた記念日だね」

 

 とうっとりした顔で言い出した湊さまを見て、

 

(やばい、これは相当拗らせてしまってる。

 私が更正させねば。

 きっと時間が経てば気も変わるだろう。

 多分勘違いの熱病みたいなもんだわ、うん)

 

 とチカは心に強い決意を固めた。

 

「湊さま。それでは最後の20歳コースでお願いいたします」

 

「えええー?」

 

「その時までに、お互いに他に運命の出会いがあったら、この話はなかった事に致しましょう」

 

「……お互いに?───チカ、僕以外の人とデートとか許さないよ」

 

「いえ、私は面倒なのでいいのですが、湊さまがこれからの学生生活で、どのような出会いがあるかも分かりませんし」

 

「そんなの運命の出会いがチカなのに………じゃあ、婚約だけはしてくれる?結婚20歳まで待つから」

 


 

 話せば話すほど泥沼化していく展開に、チカは頷くしかありませんでした。

 

 

 

 

 4年後。

 

 益々愛情アピール束縛過多な湊さまに何度か新たな出会い作戦を目論むものの、ことごとく失敗したチカは、最後の手段として、結婚式が済んだ晩に、正座をして

 

「まだ若いのですから湊さまは。これからいつでも好きな方が出来たら別れますのでお持ち下さい」

 

 と離婚届(チカ記入済み)をすすす、と差し出し湊さまに渡したところ、秒でライターで火を点けて灰にされました。

 

「一生離さないし。いい加減諦めて。

 それに、好きでしょ僕のこと?」

 

「…………まぁ、それは、あの」

 

 チカも当然嫌いではないのですが、いやむしろかなり好きなのですが、大人として年上の自分が束縛をしてはいけないと律しているのです。

 

「自由意思でチカのところに居ればいいんでしょ?」

 

 きらきらと眩しい笑みでチカを見つめる湊さまはやはり天使のようでした。

 

 

 

 5年経っても10年経っても離婚届を秒で燃やされるのが変わらないので、ようやく離婚届を渡さなくなったチカが、『湊さん』から『湊』と呼び捨てにするようになったのは、3人目の子供が産まれた11年目の事でした。

 

 

 湊の喜びようが尋常じゃなかったので、驚いて『湊さん』に戻したら泣かれてしまったので、仕方なく『湊』に呼び直してご機嫌を取る羽目になったりもしましたし、湊の愛情の重たさと束縛にチカがキレそうになったりしていましたが、何だかんだと一生仲良く暮らしたそうです。

 

 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

湊さまは天使じゃない。 来栖もよもよ @moyozou777

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ