1-1 あなたほんとに女神さま?
「おかしいだろおおおおっ⁉」
思わず発したツッコミが、眼下に広がる森と広大な青空に吸い込まれる。
森の一角、切り立った崖の上の小さな花畑。
そこに不自然に存在するでかい立ち鏡。
俺はその前で頭を抱えた。
「うっるさいわねー」
すぐ横に佇む美少女が、鬱陶しそうに顔をしかめた。
どう見ても日本人じゃない整いまくった顔立ち。ウェーブのかかった薄紫色の髪は腰より長く、きりっとして知性溢れる瞳は薄い赤色。背が高く、抜群のスタイルを包むのは、青紫を基調に白と黄色で装飾したドレス。ロングスカートは右側に切れ込みが入っていて、美脚がモロ見えセクシースタイル。でもハイヒールサンダルは歩きにくそう。堂々とした佇まいと顔つきの、見るからに気の強そうなクール系美人である。見た感じの年齢は十代後半くらいだが、絶対に当たってはいない。
なにせ彼女は、自称女神。
「なんでだよ⁉ なんでこんな……⁉」
俺の問いかけに、彼女は両手を腰に当てて、とてもつまらなそうに言う。
「なんでって……言ったじゃない。
――あなたは死んだの。不注意で自宅の階段から転げ落ちて、ぽっくり」
その言葉が嘘でも冗談でもないことは、今の自分の体が、二十年間見続けてきたものではないことからわかる。
鏡に映る俺の姿は、異様だった。
ひとことで言えば、あらいぐまっぽい着ぐるみ。
推定全長は二メートルで、薄茶色のふわふわもこもこ。丸っこい頭に三角の小さい耳。頭よりはやや小さいが、異様にでかい楕円形のしっぽ。両手足に指はなく、代わりにぺらぺらの肉球が張り付いている。腹には白い縦長の楕円形があるが、タヌキらしい出ベソがついてたりはしない。
ここまでなら、遊園地とかご当地ゆるキャラとかに相応しい感じがするのだが。
今の俺は絶対に相応しくない。
なぜなら――
謎すぎることに、顔が怖い。不気味という意味で怖い。
あらいぐまっぽい模様もでっぱりもない丸っこい顔にあるのは、縦長楕円の大きな黒い右目と、それを上半分切り取った(ジト目のつもりかもしれない)左目。そして、横に長く細い半月型の赤い口。
正直、目がいってて怪しい薄ら笑いを浮かべているヤバイ奴にしか見えない。子どもが見たら泣き出すだろうし、これを可愛がる女性は稀だと思う。声はなぜか、慣れ親しんだ自分の男声だし。
問題は、これが脱着可能の着ぐるみではないことだ。
「そうじゃなくて! なんでぬいぐるみなんだよ⁉」
信じがたいことなのだが、俺が転生したのは――無生物のはずのぬいぐるみだった。無論、中には綿しか詰まっていない。自称女神が俺専用にわざわざ創造した、出来立てほやほやの新品だという。
「決まってるでしょ。かわいいからよ。肉体なんて不便なだけだし」
呆れた口調で答える自称女神。宙から鏡を現したところをこの目で見たので、普通の人間ではないというのには納得している。ただ女神かどうかまでは審議中だ。
俺はもこもこ右腕を自称女神に向けてぶんぶん振り、
「不便⁉ 確かにそうかもしれないけど!
あんた言ったよな⁉ 魔王を倒すのを手伝えって!」
「えぇ。このわたしの手伝いが出来るのよ、光栄に思いなさい」
「じゃなんでぬいぐるみにした⁉ 魔王ってあれだろ⁉ モンスターやら怪物やら化け物やらを従えて、世界征服しようとしてるヤバイ奴だろ⁉ それらと戦えってことだろ⁉」
「あら、わかってるじゃない。話が省けていいわ」
「聞けよ! そこじゃないんだよ!
見ろよこのフォルム! このもふもふ感!」
「我ながら良い出来ね。さすがわたし」
「頭にいちごジャムでも詰まってんの⁉ こんなぬいぐるみでどう戦えってんだよ⁉ こちとら今まで殴り合いのケンカだってしたことないんですけど⁉
なのにいきなりこれぇ⁉ 体の違和感半端なさ過ぎて、未だにうまく動かせないのに⁉ これでいきなり魔王と戦え⁉ アホかぁっ!
体がおかしすぎて異世界転生したってことに驚く暇もないんですけど⁉
まばたき出来ない方が驚きなんですけど⁉
首なんてほっとんど回らないんですけど⁉
手足動かしても動かしてる感じぜんぜんしないんですけど⁉
しっぽでかすぎて邪魔なんですけど⁉
匂いも風も気温もまったく感じないんですけど⁉
多分これ痛覚とかもまったく無いよね⁉」
「痛覚なんてあるわけないじゃない。ぬいぐるみなんだから。あとうるさいわ」
「『なに当たり前のこと言ってるの?』みたいな顔してんだよ!
痛覚はいいとして、触覚がなかったら武器もなんも持てないだろ⁉ 握力無いみたいなもんだろ⁉ このもっふり感でパンチしろってか⁉ もふもふで癒して倒すんかぁ⁉」
「うるさいと言ったでしょう」
「あだだだだだだだだだだだだっ!」
自称女神がこちらに右手をかざした瞬間、強烈な頭痛に襲われる!
プロレスラーにヘッドロックされているかのような激痛に耐えられず、頭を抱えて花畑を潰しながら転げまわる。
揺れる視界の端で、自称女神は腕を組み、ため息を漏らした。
「何を勘違いしているのかは知らないけれど、あなたはわたしの下僕。主人であるわたしの命に従い、尽くすために生まれたのよ。
わたしがうるさいと言ったら黙りなさい。逆らうなんて許さないわ」
「あだっあだだだとととととりあえずいだだだこれっこれやめていだだだっ」
◇ ◇ ◇
「理解出来たかしら?」
「……はい。すみませんでした」
潰れた花たちを座布団にして、土下座をかます情けない俺。
この美しい女神様がすこーし意識するだけで、下僕であるこの俺に〝痛み〟を与えることが出来るらしい。非人道的とはいえ、しつけにはうってつけな技である。
この外道女!
故に心の中で悪態をつく。
要は、このクソアマに従わなければマジ勘弁な激痛に襲われる、ということだ。
異世界転生した場合、普通は自分が主役であり、今までなかった才能を芽生えさせるか誰かに与えられ、勇者とか大魔法使いとかになり、すげーやつが来たぞやったー、と現地の人たちに喜ばれ、信頼出来る仲間を作り、大冒険をして最終的にボスを倒してハッピーエンド。これが定番だ。
だが俺は――
勇者どころか人間扱いすらされていない。というかペット以下だろこれ。
正直心折れて今にも泣き出したいところだが、悲しいかな我が身は綿の塊だ。目は開きっぱなしだし涙なんて出やしない。出せるのはせいぜいほこりくらいか。
がんばれ俺。まけるな俺。
俺は自称女神を見上げて、恐る恐る聞いてみた。
「あのー……あつかましいとは思うんですが……いくつかですね……聞きたいことがあるんですけど……」
「何よ? はっきり言いなさい」
「じ、じゃあ……まずその……俺の声ってどこから出てるんですか?」
「魂よ」
「…………あ、えーと……つまり、この大きなぬいぐるみに、俺の魂が入っているということですよね?」
くだらないことを聞くな、と言わんばかりに肩をすくめる自称女神。
今だけ、ぬいぐるみで良かったと思おう。表情が変わらない――というか変えられないから、怒りが表に出ない。声とか言い方に気を付ければ、あの凄まじいお仕置きをされることはないのだ。
美人だからってお高くとまりやがって、という罵倒をなんとか飲み込み、
「次なんですが……あなたの目的とか、俺が選ばれた理由とか、経緯てきなものを教えてくれませんか?」
「えーめんどくさーい」
このクソアマ。
「うーん……まぁいいわ。それで駄々こねられても鬱陶しいし、出来れば素直に従ってほしいもの」
クソアマは一分ほど悩んで、そう結論を出した。
「そうね、まずわたしのことから話すわ。
一度言ったけれど、わたしは人間担当の女神。それも最強最高のね。
そしてわたしたちの仕事は、世界を滅ぼそうと魔界から移ってきたモンスターを排除すること。人間の手には負えないから、わたしたちが片付けに来てあげるの。大抵は親玉を潰せば雑魚は勝手に魔界に戻るから、親玉を潰すのが最大の目的ね」
「はい、質問です。貴方様はそんなにお強いのですか? お強いのでしたら、ボクのような戦闘経験ゼロの足手まといなんて必要ないのではないですか?」
「そうね。わたしにかかればどんなモンスターが来ようと敵じゃないわ。
けど、わたしそういうの嫌いなの。武器を操って駆け引きして、汗水たらしてボロボロになって戦うだなんて美しくないわ」
はいみなさん見てください。これが悪い女の見本です。外見に騙されてはいけません。大事なのは中身です。性格です。
「だから、わたしの代わりに戦う駒が欲しかったのよ。
それで下僕として相応しい魂を探しに地球に行って、丁度その時に死んだ者の中で一番従順そうなあなたを連れてきたの。最高神には許可を頂いたし、覚えていないかもしれないけれど、あなたにもちゃんと了承を得ているのよ」
「え、うそ⁉ そんなの覚えてないぞ⁉」
「よく思い出しなさい。死ぬ間際のことを」
思い出せる気はしないが、一応ふーむと考えてみる。
そういえば、階段から落ちた直後、意識が朦朧としている中で誰かの声を聞いたような……
「『力が欲しいか?』という問いに、あなたは『はい』と答え――」
「詐欺だぁぁぁぁぁっ! まともな思考してない時にそれはないわぁぁぁぁっ!」
畏まるのも忘れて叫ぶ。立ち上がって頭を振るう。
詐欺女はぱちんと指を鳴らし、不思議な力で鏡を消すと長い髪をふぁさっと払う。
「じゃあ聞くけど。あのまま素直に冥界に行って、記憶も人格もなにもかも消して、別の人間として転生した方がよかったの? その場合〝あなた〟という個は消え去るのだけれど」
「…………」
どこか勝ち誇った様子の彼女に、俺はジト目(のつもりだけど表情は変えらない)を向け。
「いや……違くて。そうじゃなくて。
死んだら別世界に転生したとか、魔王を倒しに行くとかは別にいいんだよ。むしろ大歓迎だよ。万々歳だよ。若者の最大の夢だよ」
「じゃあ、一体何が不満なわけ?」
「ぬいぐるみなとこだよ! ぬ! い! ぐ! る! み!
どう考えてもこれで戦闘とか無理だって! 転生特典で魔法が使えるとか、超強くなったとかならまだわかるけど、魔法もなんも使えないんだろ⁉」
正直こんな偉そうな人の下僕ってだけでもかーなーりー嫌なんだけど。それはとりあえず伏せておく。言っても無駄っぽいし。
またしても声を荒げる俺を、呆れ全開の眼で見てくる彼女。
「当たり前じゃない。ただの人間が、いきなり分不相応な力に目覚めるわけがないわ」
「はいそうですねちくしょう! でもそれならわかるはずだろ⁉ ぬいぐるみな時点で勝ち目ないって! 攻撃力はゼロだし、火にも水にも刃物にも弱いし! こんな丸っこい手じゃ武器も持てない! 俊敏性も無いだろ多分!」
「ふむ……」
彼女は顎に手を当て、なにやら考え始めた。
をを? もしや、やっと納得してくれたか?
人間に戻ることを期待して、大人しく待つことしばし。
やがて彼女は俺の腹を指差し、
「〝ロウルィスティンサー〟」
すげー良い発音で謎のことばを発すると、俺を中心に光る八芒星がいくつも現れる。腹辺りに浮き出たそれは、右に左に回転して、突然すっと消えた。
「…………ん?」
俺は自分の両手足をきょろきょろ見回し、
「え? 今の何? 何か変わった? 変わったように見えないんだけど……」
彼女が今度は地面を指差す。するとそこに光の粒が集まり、抜き身の剣が地に突き立った。
「取りなさい」
命令口調にはちょーっと腹立つが、もしやと思って剣の柄に手を伸ばす。
あー……触れてる感触ほとんどなーい。例えるなら分厚いタオル十枚重ねを手に括り付けてそっと壁を触った感じ。そして手先(指はないので)が若干内側に反った程度なので、多分これ持てないですねー。
と、諦めたのだが。
「あれ?」
何故か柄はぴたりと手にくっついて、すぽっと剣が地面から抜ける。見た目は不安定、というよりマジックレベルで宙に浮いてるのに、まるでちゃんと掴んでいるかのように操れた。なにこれ不思議。
「マジシャンになった気分だ……」
呟いて、まったく重みを感じない剣を片手でぶんぶん振り回す。
これならまぁ、なんとか戦えるようにはなっただろう。勝てるかどうかは別として。
だが彼女ははしゃぐ俺を不満そうに見やり、
「やっぱり武器は無粋ね。かわいくないわ」
「いやかわいさとかいらないから――っておい! 消すなって!」
討論する間も無く、剣が粒子となって消える。
俺のことなど完全に無視して、彼女は顎に指を当て。
「あ、そういえばあなたの名前を決めていなかったわ。何にしようかしら……」
「いや武器を――」
「武器は不要よ」
きっぱり跳ねのけ、腕を組んで考え始める。
「おーい……無視しないでー……武器よこせ武器ー……」
などと言ってみるが、当然スルー。
うぅ……こいつマジで人の話を聞きゃしねぇ……
しかも勝手に俺に名前つけようとしてる……
「あのー……俺には
ダメで元々で言ってみる。が、なんとこれには反応してくれた。
反応してはくれたが――
「却下。かわいくない」
神様。どうか、ひとの名前にケチつけるこの失礼なクソアマに罰をお与えください。タンスの角に小指ぶつけるとか、そういう小さい罰でいいので。どうかお願いします。
もーやだこいつぅー……
「じ、じゃあせめて似たような名前にしてくれませんか……?」
「似たような……?
そういえば、名を付けるなら関連のあるものがいい――と最高神が言っていたわね」
整った細い眉をひそめる彼女。ふむ、と短く息を吐き、
「なら『ユキノン』にしましょう。それならまだ可愛げがあるわ」
「ゆきの……」
あまりのショックにへたり込む俺。
あぁ……姿だけでなく、名前までファンシーなものに……
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