第3話 声

「まずは、最終審査に残った皆さん。おめでとうございます。早速ですが、最終審査内容に触れていきます。」

メモ帳やノートを手に、参加者は審査員の次の言葉を待つ。

「最終審査では、二人組になってパフォーマンスをしていただきます。合宿を行い楽曲を制作。二週間後に、その成果を見せてもらいます。ここまでで、ご質問は?」

一人の女性が挙手をし、問う。

「二人組になるパートナーはどうやって決めるのでしょうか。」

「運命共同体は、今ここでくじ引きを以て決めさせていただきます。」

「!」

参加者の全員が顔を見合わせる。緊張感と戸惑いがその色に含まれていた。その間に、目の前の机に一つの箱が置かれる。その中に言葉通り、運命を決めるくじが入っていた。

「右の方から、どうぞくじを引いて行ってください。」

皆が無言のまま、くじを引いていく。

誰と一緒になっても精一杯やるだけだ。腹をくくり、順番になったくじを翡翠は引いた。


駅前のハンバーガーショップで翡翠と月路は二人、顔を合わせていた。ウーロン茶を口に含みながら、翡翠は月路の様子を伺う。

会場で引いたくじ。結果、翡翠と月路がペアとなったのだ。今、親睦を深めようと翡翠が月路を引き留めて、ここにいる。

月路はアイスコーヒーを飲みながら、不機嫌そうに配られたオーディションの概要を眺めている。翡翠は人知れず、ため息を吐いた。ため息を吐いた時点で、月路はヘッドホンを身に着けているために気付かないだろう。

「相川さん。相川さーん?ねえ、そんなに私がペアだと不服?」

「…。」

案の定、翡翠の問いに気が付かない月路を仕方がないと思い、ここぞとばかりに月路を観察してみることにした。

睫毛が長く、瞬きをする度に揺れるようだった。瞳の色は光の加減によっては琥珀色に輝くのはさっき知ったところだが、実際はもっと暗い栗色らしい。小さな鼻はつんと立ち、唇は小さいながらもぽってりとして色っぽかった。まるで小鹿のようにしなやかな四肢は長く、細い。

あまりにも無遠慮に見つめ過ぎたのか、ついに月路は翡翠の視線に気が付いた。そして鞄を探ってノートを出し、サラサラと文字を書き込んだ。

『何?』

「…なんで、筆談。まあいいや。」

月路の挙動に疑問を抱きながらも、翡翠は筆談にのることにした。

『別に。相川さんは私がペアだと、そんなにイヤ?』

翡翠の字を見て、月路は驚いたように目を丸くして、ボールペンの頭を唇にあて考え込む素振りを見せた。一泊置いて、またボールペンをノートの上に滑らせる。

『そんな風に思わせて、ごめんなさい。私が腹立てているのは、自分自身にだから気にしないで。』

月路の少し右に上がるような文字を見て、不機嫌の理由が自分じゃないことに翡翠は安心する。その次に、疑問が浮かぶ。

『自分自身に?どうして?』

ノートに書いて見せると、月路はまた考える。

『あなたの声が、苦手なの。嫌悪感じゃなくて、逆。あなたの声は、』

ボールペンの動きが止まる。翡翠が月路の顔を見ると、月路は顔を赤く染めて言いにくそうに、もとい書きにくそうにしていた。

『刺激的過ぎる。』

「刺激的?」

月路の告白を見て、翡翠はつい口に出してしまう。聞こえていない月路は小首を傾げた。その様子が子供のように微笑ましく、ついからかいたくなってしまった。翡翠は月路の隙をついてヘッドホンを取り上げてしまう。

「な、にを!?」

「私の、」

ヘッドホンを取り返そうと身を乗り出した月路の服の襟をつかんで、引き寄せる。そしてわざと耳元に唇を寄せて、囁いた。

「私の声の、どこがそんなに刺激的なの?」

「!」

月路はぼっと火が付いたかのように顔を紅潮させた。金魚のように口を開閉し、瞳に熱が帯びた。そしてすごい勢いで翡翠の手から、ヘッドホンを引ったくった。

「…。」

呆気にとられる翡翠に、月路は泣くように叫ぶ。

「本当に、やめて!」

「わかった、ごめん。ちょ…、ここお店の中だから。」

月路の大声に周囲の視線を集める。翡翠は頭を下げるが、月路にそんな余裕はなくテーブルに突っ伏してしまった。肩を震わせて、本当に泣いているようだ。

「相川さーん?相川さん、ごめん。もうしないから。おーい。」

人差し指で肩を突きながら、謝罪する。どうやら本気で月路の地雷を踏み抜いたらしい。10分ほど、月路は許してくれなかった。ようやく顔を上げたかと思うと、目元を紅く腫らしていた。そしてノートに乱暴に文字を書く。

『樋口さんとの会話は筆談でするから。』

頬を膨らませながら、決意を滲ませていた。

『って、言うけどさ。その調子で、どうやってオーディションのパフォーマンスをするつもり?』

「…。」

月路は目を瞑り、腕を組んで考え込む。その熟考ぶりに翡翠も若干ながら、不安になった。肩を叩き、月路にノートを見るように促して、翡翠はペンを取る。

『少しでも、慣れてもらわないと困る。小声で話すから、ヘッドホンを外してくれない?』

翡翠の提案に月路は逡巡して、でも月路自身もこのままではいけないと思ったのだろう。恐る恐るヘッドホンを外したのだった。

「なんで、そんなに私の声が苦手なんだろうねー。」

宣言通り、翡翠は小声で話す。

「…わからない。樋口さんの声は特別、響く。」

「ふーん。このぐらいの声量なら、OK?」

「ドキドキするけど、さっきほどじゃない。」

言いながら、落ち着かない様子で月路は視線を泳がせた。どうやら前途多難のようだった。


思えば、月路の魅力はこの危うさにあると思う。無防備に性を感じさせる歌声とその姿に、目が釘付けになった。歌う愛の歌はまるで睦み事の最中のような激しさを感じさせるのに、余韻は恋人に捨てられたかのように物悲しく寂しかった。


互いの自己紹介をやっとのこと終えて、客の増えてきた店内を出ることにした。ガラスの自動扉をくぐるとむっとした熱気と、街の喧騒が押し寄せる波のように二人を襲う。

「暑いねー。本当じめじめして、嫌。」

同意を求めるように翡翠が振り返って見ると、月路も恨めしそうに天を仰いで太陽を睨み、シャツの胸元を扇いでいた。汗ばんだ白い肌がちらりと覗く。何となく気まずい思いで翡翠は目を逸らした。その仕草に気がついた月路が首を傾げる。

「? 何?」

「…別に。」

それよりも、と翡翠は無理矢理に話題を変えた。

「ギター背負ってるけどこれからどうするの。」

オーディションの音源は録音して提出してあった。今日、ギターの出番はないはずだ。

「え?家の最寄り駅前で弾き語りしようかなって。」

「誰が。…まさか、相川さんが?」

翡翠は戸惑いを覚えつつ、一応確認をする。

「うん。」

迷いなく頷く月路を見て、翡翠はいよいよ焦った。

「いや…、相川さん。それは止した方がいいんじゃない?」

「何故。」

「何故って、」

月路が歌をうたう姿は人前に晒してはいけない気がするのだ。声を震わせて無防備に喉を晒し、肌を紅潮させて発汗する姿は性的に刺激しすぎる。人によってはそれこそソノ気になるだろう。

「…まさかの自覚なし。」

翡翠は大きく溜息をついた。

「相川さん、今まで変質者に会ったことない?」

心配になって聞いてみると、月路はややあって頷いた。

「この季節、多いよね。」

季節の所為では、多分ない。


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