匣飼い

灰崎千尋

匣の中より

 あたしはあたしのパパを知らない。パパと言っても実の父親のことじゃない。あたしを飼っているパパのことだ。


 パパがあたしを拾ったのは、あたしが十五のとき。

 あたしは血の繋がったクソ親父に犯されそうになって、制服のまま家から逃げ出した。それからしばらくはいわゆる「パパ活」をしてどうにか過ごしていた。一緒にごはんを食べて、ちょっとくらいはデートしてあげて、たまには泊めてもらって。それだけで何万円ももらえるんだから、女の子ってすごい。

 そんな中で出会ったのが、パパに雇われたスカウトマンだった。


「あなたにははこの中で美しくなっていただきたいのです」

とスカウトマンは言った。


 正直何を言っているのかさっぱりわからなかったけど、衣食住は保証されて、性的なことをする必要も無くて、「あなたはただ、受け取るだけ」とか言うし、考えることにも逃げ続けることにも疲れていたあたしは、その話を受けることにした。


 あたしに用意された『はこ』は、すごく快適だった。

 そこはどこにでもある住宅街のマンションの一室で、シンプルだけどおしゃれな家具と最新家電が揃っていて、広告のモデルルームみたいだった。今は多少生活感があるけれど、家事代行サービスの人が定期的に掃除してくれるので、とっても清潔だ。

 食事はあたしの体に最適な三食が、ホテルのルームサービスみたいに届く。その日にやるべき運動ノルマ──ヨガとか室内でできる軽い運動──の書かれたメッセージが、与えられたスマホに見本の動画付きで来る。ときどきマッサージ師や美容師もやってきて、あたしの全身を整えていく。そうやってあたしは、あたしがきれいになるために生活している。

 あたしから連絡できるのはパパの雇った人だけなんだけど、元から友達なんていなかったし、居場所がバレる方が嫌だった。あとは全くの自由で、あたしはネット通販したり、ゲームをしたり、実家では全然読まなかった本を読んでみたり、夢みたいな生活。何よりここは、安全だ。


 あたしは本当に「受け取るだけ」だった。パパは絶対に直接連絡してこないし、会ったこともない。今後もそういうことは無いと、連絡係の人が言っていた。

 なんとなくこんなことするのは男の人だという気がしたから『パパ』って呼んでるけど、実際は『ママ』かもしれないし、『パパたち』なのかもしれない。でも今後も会うことがないのなら、考えても無駄なことだ。


 ここに来る前は鏡を見るのが怖かったはずなのに、最近は大きな鏡の前に立つのが習慣になった。

 自分で言うのも何だけど、あたしは日に日にきれいになっていく。丁寧に手入れされている効果がぐんぐん出ているし、体の痣もほとんど消えた。胸とお尻はふっくら丸く、横から見るときれいなS字を描くあたしの体。太ももの煙草の痕だけは、ハイカバーのコンシーラーで消すしかないのが残念。


 飼い慣らされたなぁ、って思う。

 あたしは何にも考えないで、パパの望み通りきれいでいれば良い。それがもうあたしにとっての当たり前になってしまった。もうすぐ「あたし」も消えてしまって、「きれいなからだ」だけが残るんじゃないかと思う。

 あーそうか、パパはきっとが欲しいんだ。

 そうなったらあたし、きれいな内に殺されて剥製にでもされるのかな。それともホルマリン漬けかな。あたしが歳をとって、きれいじゃなくなって、ここを追い出されてしまうよりはその方が良い。だってほら、飼い猫や飼い犬を飼えなくなって捨てたとして、野生の動物として生きられるわけがないじゃない。それとおんなじ。

 だからもし、パパに捨てられたら、パパが死んじゃったら、あたしの命を捨てよう。



 今日はハイブランドの、黒いドレスが届いた。

 パパはときどきこんな風に、あたしにプレゼントをくれる。どれもあたしにぴったりで、あたしをきれいに着飾らせるためのもの。

 いまのあたしの体には、下着は邪魔なだけだ。着ているものを全部脱いでしまってから、ドレスに袖を通す。オフショルダーの胸元はきれいに開いて、腰のくびれからお尻まではあたしの体のラインをきっちりなぞる。裾はゆるやかに広がって、前は膝が出るくらい、後ろはふくらはぎを半分隠すくらいに長く、熱帯魚の尾ひれみたいにふんわり揺れる。

 あたしはピンと来て、最近パパがくれたものをドレッサーに並べた。あたしの白い肌が映える赤い口紅と、鎖骨の形に沿うダイヤ付きのネックレス。このドレスに合わせるために違いない。

 口紅を塗って、ネックレスを付けて、最後に口紅と同じ真っ赤な靴底のピンヒールを履く。やっぱりそうだ、鏡の中には、お人形みたいにきれいになったあたしがいる。


「ねぇ、パパ、見てるんでしょう?」


 あたしはパパに見せつけるように、ドレスの裾を持ち上げてみる。どんな顔をしてあたしを見てるんだろう。望みどおりのあたしになれているのかな。


「あたし、きれいになったよ」


 鏡の前でくるくるまわってみる。長い髪とドレスの裾が宙に舞う。ドレスの黒に白い肌のコントラスト。きらめくダイヤにちらちらと反射する赤。



 ああ、あたし今、とってもきれい。

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