レッドマン、交差点ステップ
赤い服の男って知ってます? と話を振ってきたのは顔馴染みの男だった。その夜、市岡ヒサシはホストのバイトを辞した大学生の頃ぶりに夜の街を訪れていた。人と待ち合わせをしていたのだ。
待ち合わせ相手が少し遅刻するというので、以前勤めていた店の黒服が独立して始めたというバーを覗いた。5人も座ればいっぱいになってしまうであろうカウンターの中で、懐かしい顔がシェイカーを振っていた。
「ここ禁煙なの?」
「条例っすからねえ」
開店するに差し当たって遵守せねばならない約束事が幾つかあったのだと元黒服──現店長は笑った。まあ、自分の店を持つためだからしゃあないっすね。
「赤い服の男? 何それ? 半グレ?」
「ヒサシさん相変わらずこの街イコール半グレとかヤクザって思ってますね」
「だってそうじゃん」
「違いますよ。赤い服の男はなんつうか……ヒサシさんのお兄さんの得意分野です」
「怪異かぁ」
シェイカーの中身はノンアルコールのモヒートだった。何せヒサシはこれから待ち合わせ場所に行かねばならないので。
だが話だけは、聞くことにした。
この街の中心から少し離れた大きめの交差点の一角に、赤い服の男は現れるのだという。時間帯は目撃者の証言がバラバラなのでなんとも言えないが、場所だけは変わらない。区役所前の交差点。
「────ですよ〜!」
と(おそらく自分の名前を)叫びながら現れて、大きく広げた両手を頭より高い位置に掲げ、力強く開閉しながらステップを踏む。ダンスというほど一貫性のある動きではなく、パフォーマンスにしてはあまりにも雑な自己満足ステップ。
「見てないなぁ、見てねえなあ!」
大抵の人間は彼をじっと見詰めたりしない。良くいるタイプの深く関わり合ってはいけない目立ちたがり屋だと判断して、視線を逸らしてそそくさと去る。
「でもね、その見てねえなあ! に反応しちゃう人がいたんすよね〜」
「反応って?」
「まあ、見る、ことなんですけど」
「見るとどうなるの」
「レオンって覚えてます?」
唐突に話が変わる。ヒサシがバイトをしていた頃の同僚、というか上司で、幹部と呼ばれるポジションのホストの名前だ。
「覚えてるよ。元気?」
「元気も何も……レオンが見ちゃったんですよ」
「はあ?」
「ほら、あの性格でしょう」
レオンは確かに──穏やかなタイプではなかった。どちらかというとオラオラ系。営業もそんな感じだったし、素の性格もアニキというよりはただの顔の良い乱暴者。ヒサシとは正直相性が良くなかった。客から無茶な大金を引き出しては悦に入り、道端でギターを弾いてパフォーマンスをしている者には因縁をつけて楽器を壊す、道端で立ち話をしている女性を見かけては「おまえらパパ活してんだろ」と説教を始める、そういうエピソードばかりが耳に入ってきていたのを覚えている。ただまあ、顔だけは良かった。
「あの人も店辞めて独立したんですけどね」
「ホスト?」
「ええ」
「流行ってた?」
「舎弟みたいな子を何人も引き連れて独立したらしいですからね。まあ俺が辞めてからの話なんで詳しくはないんですけど」
その舎弟のひとりに聞いたんですけど、と店長は声を潜める。
「出勤途中にその赤い服の男に遭遇して、殴っちゃったらしいんですよね」
「ひえ……」
「でも赤い服の男は平然としてた。地面に仰向けになったまま手を振って、」
見たな、見たなあって。
見たらどうなるの? というヒサシの質問には、店長はニヤリと笑っただけで答えなかった。もう時間がなかったので、モヒートを飲み干して立ち上がる。お代は構わないと言われたので、ポケットに入っていた飴を置いて店を出た。ヒサシと入れ替わりに、腕を組んだ若い男女がドアベルを揺らして中に入って行った。
待ち合わせ相手との会合を終え、ヒサシは繁華街の喧騒をすり抜けて駅に向かう。そういえば、と思って例の市役所前の交差点に向かったのは単なる気紛れだ。
赤い服の男は、いた。
「……マジでレオンくんじゃん」
視認したことがバレたらヤバいのはわかっていたので、近付かなかった。だが全身真っ赤な服を着て、奇声を上げながらステップを踏んでいるのは確かに──
翌週。ヒサシは再び繁華街にいた。また打ち合わせだ。弁護士で祓い屋の兄を挟まずに仕事をすると、こうやって何もかも自分でやらなければならないから非常に面倒臭い。かといって案件の途中で兄に相談をすると長い長い説教を受けねばならないので、ストレスを増やさないためにも最後まで自分ひとりで片付けるしかない。
打ち合わせの前に、再度交差点に赴いた。
赤い男の周りに動画配信者と思しきスマホを手にした若者たちが群がっている。
ステップを踏んでいるのは。
「店長かぁ」
でも、動画が拡散されればきっとすぐに解放されるだろう。それまでの辛抱だから頑張れ、と胸の前で拳を握ってその場を後にした。
市岡奇譚 大塚 @bnnnnnz
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