愛する君に永遠の愛を

 彼女の指摘に俺はびくりと身を震わせた。

 改めて彼女から言われると、突発的に川に飛び込みたくなる。だがここで逃げだしたとあっては男の面子が立たない。

 赤面する自分を咳払いで誤魔化しつつ、言葉を返す。


「自分でも不器用な性格だとは重々承知している。幼い頃は要らぬ言葉を投げかけて、相手を傷つけることしかできなかった。……でも、そんな俺の前に現れたのが、君だ」


 初めて会った君は泣きそうな顔で小さく震えていた。

 そのとき初めて、父上が女性には優しくしろといった意味がようやくわかった。


「小さくなって震える君を見て、くだらない矜恃で人を傷つけていた自分がひどく情けなくなった。君がいなければ、そんな感情にすら気づかなかった。だから、君には心から優しくしたいと思ったんだ。情けないだろう…………俺は」


 社交界で見せている俺は、あくまで公爵家嫡男としての表向きの顔だ。

 中身はプライドが高いだけの不器用な男だ。

 これではエステリーゼにふさわしい男とは言えない。それでも譲れぬものはある。


「エステリーゼ。情けない俺だが、君だけは手放したくない。君の笑顔をずっと近くで見たいんだ。どうか俺を選んでくれ」


 まさか女性をこんなに必死に口説く日が来るなんて、幼い自分は想像すらしていなかっただろう。過去の自分が今の姿を見たら、きっと驚くに違いない。


「…………ジュードは、わたくしのことが好き?」

「好きだとも」


 間髪を容れずに答えると、エステリーゼは瞳を揺らした。


「妖精の森に迷い込んだような美しい緑の髪は口づけしたいくらいだし、きらきらと輝く檸檬色の瞳も好きだ。君は姿形だけでなく、性根も優しい女性だ。君以上に、未来の公爵夫人としてふさわしい女性はいない」


 どれも、ずっと直接伝えたかった言葉だ。

 俺が贈った花を愛おしそうに見つめる姿に何度ドキリとさせられたことか。

 公爵家の跡取りという立場上、つけいる隙を与えないために決して弱音を見せてはならない。いつだって堂々としていなければ、すぐに足をすくわれる。貴族社会とはそういうものだ。

 しかし、エステリーゼの前では俺はただの恋する男だった。

 完璧貴公子と謳われる俺の感情をこれほど揺さぶれる相手は、彼女以外にいない。

 慈しむように視線を注いでいると、エステリーゼは耐えきれないといったように、ぷいっと顔を横に向けてしまう。


「もし……わたくしを愚弄するような台詞を吐いたら離縁させていただきますが、それでも構いませんか?」


 離縁という単語が出てきたことに驚きを隠せないが、ここで彼女に逃げられたら困る。

 とっさに彼女の手首をつかみ、ずいっと顔を近づけて真剣な顔で言い募る。


「そんなことはしない。鏡の前で君を褒める練習をたくさんしてきた。俺は毎日だって君に愛を囁くと誓おう」

「…………」

「エステリーゼ?」


 うつむく彼女を見て、俺は情けない声を出してしまう。

 手加減していたとはいえ、再び拘束してしまった彼女の手首を解放する。けれども、エステリーゼはまだ目線を合わせてくれない。

 もしかすると、ここが潮時なのかもしれない。こんなにしつこく詰め寄ったら大抵の女性は引くだろう。現にエステリーゼだって、何度も求婚の話を断っている。


(俺の望みは……一生叶わないのか……)


 絶望に似た境地でたたずんでいると、彼女の温かな手が俺の頬に添えられた。


「……そんな不安そうな顔をなさらないで」


 今までダンス以外で彼女から触れられたことがないだけに、心拍数が尋常でないくらい激しくなる。だがそんなことを知らない彼女は目元を和らげて俺を見上げた。


「求婚のお話、謹んでお受けします」


 それはずっと待ち望んでいた言葉だった。

 だが、これまで何度も拒まれることに慣れていた俺は、すぐに現実を受け入れられなかった。

 混乱する頭の中では、しきりに疑問符が飛び交っている。


(今、彼女はなんと言った……? 俺の聞き間違いか……?)


 もしこれが夢だったら、どんなに都合のいい夢なのだろう。

 けれど、自分の頬にある彼女の手の温もりが現実だと教えてくれる。呆然と目の前のエステリーゼを見つめると、彼女は照れたように頬を染めた。


(ゆ、夢じゃない……)


 そう判断するや否や、エステリーゼの腰に手を回し、彼女を軽々と抱き上げる。いきなり抱き上げられた彼女は軽く悲鳴を上げていたが、俺はそれどころではなかった。


「本当か、エステリーゼ!」

「……エステルとお呼びください。未来の旦那様」


 恋人に見せるような熱を帯びた眼差しと、彼女の口から出てきた旦那様という響きに、俺は危うく呼吸困難に陥りそうになった。


(だ、旦那様……! なんて破壊力のある単語なんだ……!)


 今までの苦労なんてあっという間に吹き飛んだ。

 ようやく念願叶ってエステリーゼと両思いになれたのだ。これで浮かれるなというほうが無理がある。


「絶対に幸せにする。俺を選んでくれたことを後悔はさせない」

「ええ、期待しているわ」


 俺の好意を素直に受け止めてくれるエステリーゼが愛しく、彼女を抱き上げたまま、俺は年甲斐もなくその場をくるくると回った。


 ◆◇◆


 王都の大聖堂の前で、俺は花嫁が到着するのを待っていた。

 もうすぐ鐘が鳴る。本来は中で待っていたらいいのだろうが、そろそろだと思うと、おとなしく座って待っていられなかった。

 ふと、遠くから聞こえる馬の蹄の音に顔を上げる。しばらくしてヴァージル公爵家の家紋が入った見慣れた馬車が目の前で停まった。馭者が馬車のドアを恭しく開く。

 そこには俺が待ち望んでいた花嫁が乗っていた。


「ようこそ、エステリーゼ」


 彼女は俺のエスコートを受け、いつもより慎重に馬車から一歩ずつ降りる。


「……公爵家の馬車を貸してくれてありがとう」

「いや、礼には及ばない。君が無事にたどり着いてくれて安心したよ」


 馬車を貸してほしい、と言われたときは面食らったが、こうして彼女の無事な姿が見られてよかった。


「君を待つ時間も悪くない。ずっとこの日が来るのを待っていた。ようやく、君と夫婦になれるんだ。今日ほど素晴らしい日があるだろうか」


 嘘偽りのない本音だったが、エステリーゼは苦笑した。


「……もう、それは言い過ぎよ」

「そのウェディングドレス、とてもよく似合っている。美しすぎて、誰にも見せたくないほどだ。本当に綺麗だよ、エステル」


 俺が手放しに褒めると、エステリーゼの頬は見る見るうちに薔薇色に染まった。

 勝ち気な彼女が従順だと、なぜかこちらのほうが恥ずかしくなってくる。エステリーゼは照れ隠しのように微笑んだ。


「あ、ありがとう……。でも、あなたもとても格好いいわ。こんな素敵な人を夫にできるなんて、わたくしは幸せ者ね」

「何を言う。それは俺の台詞だ」

「ふふ。……じゃあ、お互い幸せ者ね」


 澄み切った青空の中、バサバサッという音ともに白い鳥が列をなして飛んでいく。

 純白の羽根がひらりひらりと舞う様子を見て、天空神も祝福してくれているのかもしれない、と思った。

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逆行令嬢は元婚約者の素顔を知る 仲室日月奈 @akina_nakamuro

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