皺くちゃの黒い帽子
女は街の裏通りで偶然見つけたその『ラ・キュリオ』という店に足を踏み入れた。
薄暗い店内。年季を感じさせる黒ずんだ木造の床。なんだか不気味な夜の森の中にいるような気分になる。
ざっと眺めて、おそらく雑貨屋だろうと認識した。だがよくよく観察していくと、どうやら普通の雑貨屋ではない。取り扱っている商品が、かなり歪だ。
人間の手の置物に突き刺さっているナイフ。手は血塗られているし、それはまるで本物の人間の手のようなリアリティがあった。名前を書き込めばその人間を呪うことができると謳われている手帳。表紙には血のついた手形のようなものが見えるし、開いたページはほぼ真っ黒になるほど大勢の人間の名前で埋め尽くされている。それから、その音を聴いた者は一週間以内に体のパーツの一部を失うとされているハーモニカ。パーツって、どこのこと? そんないわくつきの品ばかりが並んでいる。
「いらっしゃい」
突然甲高い声が響いて、女はビクッと体を震わせた。
店の奥のほうに、真ん中部分の頭髪が禿げた白髪の老人が椅子に座っていた。この店の主人だろうか? なぜか目玉が飛び出るんじゃないかというぐらい目を見開いてこちらを見つめている。
不気味だ。あの人は本当に人間だろうか? この店にいるとそんなあり得ない疑問さえ浮かんでくる。
「何かお探しですかな?」
主人の口調はとても丁寧なのだが、そのピントのずれたような甲高い声を聞くとなんだか不安になる。
「あ、ええと」
「この店は初めてで?」
「ええ、はい。かなり……いえ、ちょっとだけ、不思議なお店ですね」
「なるほど。あなたの感想ももっともだ」
主人は目をこれでもかと見開きながら笑みを浮かべている。恐ろしすぎて、ちっとも笑えない。
「初めてここを訪れたあなたに、この店のルールを一つだけお教えしましょう」
「ルール?」
「この店の品は、お金では買えないのですよ」
「えっ? じゃあ」
「交換するものは、人間の体の一部です」
「体? 人間の? えっと」
「あなたは綺麗なお方だ。よろしければ全身丸ごと買い取って差し上げますよ」
主人はそう言ってクックックッと独特の笑い声を上げた。
これはまずい。どうやら来てはいけない場所に足を踏み入れたようだ。今すぐ回れ右をしたほうがいい。なんなら左だっていい。
「あなたは欲しいものがあるから、この店へ来たのでしょう?」
主人の突然の指摘に女は戸惑った。
「えっ? 欲しいもの? いえ、私はたまたま迷い込んだ……目についたから入ってみただけで」
「偽る必要はない。人は誰しも叶えたい願望を抱えている」
「はあ」
なんだかよくわからないが、退去するタイミングを逃してしまった気がする。仕方ない、もう少しだけ店の中を見て回ろう。悪趣味ではあるが、怖いもの見たさだろうか、興味深い店ではある。
死者が描いたとされる絵画。単純に絵具をぶちまけただけのような絵だが、それが逆に不気味だ。人間の肉と骨を切ることに適した包丁。ぐえっ、そんなのいらない。だいたいなんでそんなものがある? 一口食べると植物状態になれる草。それならいっそのこと殺してくれ。
「商品はお決まりになりましたか?」
主人が目玉を半分飛び出させながら訊いてくる。
「い、いえ、まだ。あ、いや、そろそろちょっとおいとまさせてもらおうかなと」
その時ふと、女の視界に妙なものが目に入った。
珍妙な品が並ぶ棚の隅に、こっそりと置かれたようなそれ。
黒色の、帽子だろうか? それだけ何の説明も書かれていない。売り物なのか?
「あの、これは?」
女は主人に訊いた。
「それですか? それは何の変哲もない帽子、ただのガラクタですよ」
「そうですか」
女はその帽子を手に取ってみた。少しだけ埃を被った、単なる皺くちゃの帽子。そのはずなのに、女はそれが気になって仕方なかった。
「あの、これにします」
「それ? なぜそんなものを?」
自分でもよくわからない。しかし女はなぜかこの帽子を欲していた。
値段はいくらだろうかと考えたところで、先ほどの主人の言葉を思い出した。そうか、この店の品はお金では買えないらしい。確か、人間の……。
「わかりました。いいでしょう。そのガラクタはあなたに差し上げますよ」
女は主人の提案に驚いた。
「えっ、でも」
「構いません。あなたがそれを見つけられたのですから」
主人はそれきり口を閉ざした。相変わらず目を見開いた薄気味悪い形相だが、どこか満足げな表情にも見えた。
女は手に取った黒い帽子をもう一度よく眺めてみた。
くしゃっと潰れて皺ができている。
その皺が、どことなく笑みを浮かべているように見えなくもなかった。
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