穿たれた雷鳴
なぜ?
どうしてフルールが死ななければいけなかったのか。
可憐な少女。純粋な心。
この世界は美しいものをなぜ奪う?
どうして醜いものほど生き延びる?
声高に言った者はいるのか? この世界は間違っている、と。
どうしようもない焦燥と、憎悪。
消し去ってやる。
泡沫のように。
「あなた、もう少しグルメになったほうがいいんじゃない?」
闇の炎をその口に吸い込み食い散らかしたエルピスに向かって、ヴァンが言った。
「フン! その減らず口いつまでも叩けると思うなよ」
エルピスは、箒に乗って街の上空を旋回するヴァンの頭の上から、地上に広がる凄惨な光景を見下ろした。
既に街の大部分が黒炎に侵されている。のたうち回る炎は一向に衰えを見せない。
「ふう」
ヴァンが深い溜め息を吐いた。エルピスの位置からでは彼女の表情は見えないが、その声は疲れが滲んだような響きだった。
「つまるところ、こうなったのは私のせい。その責任は取るべきね」
エルピスはヴァンが言ったことを考えた。
「私があれを開いたから、人々は欲望に塗れた。私にはその咎を背負い続ける責がある」
ヴァンの左目には、ユーベルが埋め込まれている。通常ユーベルの力を解放することで持ち主の体や精神が侵食されるものだが、ヴァンの場合は少しばかり事情が違う。
ヴァンは力を使えば使うほど、自分の寿命を引き延ばすことができた。それは罪を償い続ける、この世界を見届け続ける責務を負った、彼女に与えられた罰だ。彼女は通常の人間の寿命をはるかに超えて生き続けてきた。そして、世界中に散らばったユーベルを管理するために、彼女は『フリーデン』を組織した。
本人以外にヴァンのその事情を知っているのは、エルピスだけだ。エルピスだけが彼女の孤独と後悔、悲しみを理解している。
暴発した闇の炎を目にするヴァンから、憂いのようなものが伝わってきた。
「おいヴァン。余計なことを考えるなよ」
彼女からの返事はない。
まったく、肝心な時に口を閉じるのは、あいつと同じだ。
彼らの真下に位置する眼下の炎が、うねうねと動き出した。
「来るぞ」
眼下の炎から三本の柱が飛び出し、上空にいるヴァン目がけて伸びてきた。
ヴァンは箒の先端の向きを変え、逃げるどころか真っ直ぐその柱に向かって飛び出した。お互いがものすごい勢いで接近する。
狙いをつけた三本の炎に衝突する寸前で、ヴァンは箒を軸にくるりと体を回転させて軌道をずらした。ぎりぎりのところで炎をかわし、伸びてきた柱に沿ってばく進する。
地上に広がる炎に近づいてきたところで、ヴァンは言葉を発した。
「吹き荒れろ」
炎の柱が伸びてきた辺りの地上に、渦巻く緑の風が発生した。それは巨大な竜巻となり、強烈な風圧で黒炎を吹き飛ばしていく。
いた。
ヴァンは竜巻の周囲を旋回しながら、その姿を見た。
黒炎が人の形をとったような、それ。二つの目だけが不気味に赤く光っている。
一度は炎をはねのけ視界を開いた竜巻だったが、周りの炎がその風すらも喰らい出した。そして近くを飛んでいるヴァンに向かって炎がその腕を伸ばしてくる。
ヴァンは高速で移動して炎から逃れつつ、あれの真上のほうへ移動していった。
炎が竜巻を喰らい、開けられた口を閉じていく。ヴァンはまだ微かに残っているその隙間に狙いをつけた。
「轟け」
上空から鋭い稲光が煌めいた。その雷の鉄槌は竜巻の中心に打ちつけられ、一瞬後大気を破壊する轟音が鳴り響いた。ヴァンは上方に舵を取り、炎から逃れていく。
「お前、相変わらずおっかねえな。あいつを殺す気か?」
エルピスの批難の声が聞こえたが、ヴァンは黙って眼下を観察する。
黒炎の隙間から見える赤目の炎の化身は、何事もないように立ったままだった。
「どうやら、手応えなしね」
なぜだ? どうしてこんなことに?
あの時、ちゃんとフルールに向き合っていれば。
あの時、マッドを消していれば。
あの時。あの時あの時あの時あの時。
ああああああああああ!
そもそも、だ。
そもそも、こんな世界に生まれなかったら。
こんな醜い場所に生れ落ちなかったら。
この悲しみを味わわずに済んだんじゃないか?
憎い!
この世界に生まれたことが。
こんな世界が存在することが。
おい。
待ってろよ、リュナ。
今、そこに行ってやる。
お前の悲しみを分かち合ってやる。
終わらせてやるよ。
お前の悲しみを。
オレ様を誰だと思ってやがる。
お前は誰の相棒だ?
言ってみろ。
オレがお前に見せてやるよ。
お前の本当の願いをな。
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