失われた光、辿り着いた無
『こんにちは。フルールです。お元気ですか?
なんて書き始めてみましたけど、大丈夫でしょうか? 変な人だと思われていないでしょうか?
私からあなたに言葉をかけたことがないので、どう思われているか不安です。ここまで書くのだけでもう、一週間ぐらいかかりました。
だけど、何ヶ月かかっても、何年かかっても、この手紙は絶対に書き切ります。
あなたに伝えたいことがあるからです。』
ドクン。
日の暮れたフィオーレの街をリュナは駆け抜けていた。
BARヴィオレットの場所は宿の女将さんに訊いた。
リュナは恐怖を感じていた。たとえ自分の身が危険に晒されても感じない、恐怖を。
今この瞬間、自分以外の時が止まってほしい。そう願わずにはいられない。
『あなたは私の大切な人。
あなたは私を見つけてくれました。
あなたは私に名前をつけてくれました。
あなたは私にリボンをプレゼントしてくれました。
私が不安と恐怖で押し潰されそうな時、あなたはいつも傍で見守ってくれました。
私の手を握り、勇気づけてくれました。
私を闇の底から救い出してくれました。
あなたがいたから、私は生きることができました。』
ドクン。
BARの入り口のドアには『準備中』の札が下げられていた。
ドアノブを回したが、鍵がかかっている。
今すぐドアをぶち破りたい衝動を抑えて、ピッキングで解錠した。
あいつなら知っている。これぐらいの鍵俺ならすぐに開けられることを。
ドクン。
ドアを開けた。いきなり鉛玉が飛んできたりはしなかった。
小洒落たBARの店内。明かりは点いているが、誰もいない。
ドクン。
目に見えるところに人はいないが、臭いがある。
あいつと、そして……。
ドクン。
ドクン、ドクン、ドクン、ドクン。
『私の新しい両親は、優しい人たちです。私にはもったいないぐらい、素敵な人たちです。
両親は私に家族の温かさを教えてくれました。私はとても幸せな毎日を送っています。
私はあなたの心遣いに感謝しています。
だけど私はあなたを憎んでいます。
私が何を考えているかあなたにわかりますか?
私はあなたの傍にいたかったのです。それだけで、よかったのです。』
ドクン、ドクン。
奥の部屋からマッドがふらっと出てきた。
撫でつけた金髪。高慢な顔つき。
「来たか。のこのこと」
ドクン、ドクン。
「チッ。すぐにでもお前を殺してやりたいところだったが、気が削がれちまった」
リュナはその場から動き出せなかった。動くことが怖かった。
事実を知ることが怖かった。
ドクン、ドクン、ドクン。
それでも鋭すぎる彼の感性はまざまざと確かな現実を突きつけてくる。
ドクン。
リュナはよろよろとした足取りで歩き出した。
警戒もせずにマッドの横を通り過ぎる。マッドはそんなリュナをつまらなそうに眺めている。
マッドが出てきた奥の部屋に入った。
『あなたを失った喪失感は、計り知れません。
私はあなたの傍にいたかった。
あなたから離れたくなかった。
あなたにそう告げたいのに、私には声がありません。文字を書くこともできませんでした。
私がどれだけ悲しんだか、あなたにわかりますか?
いいえ。ごめんなさい。こんなこと言っては我がままですね。
あの別れの夜、あなたは私に涙を流してくれた。あなたも悲しんでいたのがわかりました。
どうして別れなければいけなかったのでしょう?
どうして一緒にいることができないのでしょう?
でも、わかりました。あなたがどれだけ私のことを考えてくれていたか。
だから私は、受け入れました。
だけど、この悲しみは終わらないのです。
私はあなたに会いたいです。』
倉庫らしき部屋だった。壁際に雑多に荷物が積まれている。
その一角に、フルールが倒れていた。
その目は閉じられ、口から顎にかけて血が伝っている。その血は床にも広がっている。
リュナはもう自分の鼓動も聴こえなかった。
リュナはフルールに近づいていき、膝をついた。
「お前が来る前にちょっとばかり遊んでやったのさ。声は出ないけど、良い表情してたぜ。ただ舌を噛み切るとは思わなかったな」
リュナはフルールの頬に触れた。だけどその温もりを感じることはできなかった。彼女のほうにではなく、リュナのほうに問題がある。
感覚が失われている。
生気のない顔。乱れた亜麻色の髪。
近くに、赤いリボンが落ちている。
リュナはそのリボンを拾おうとしたが、マッドがそれを踏みつけた。
パリン、とリュナの中で何かが割れた。
『会いたくてたまりません。この気持ちは抑えられません。
あなたに伝えたいことがたくさんあります。
手紙では伝え切れないことがたくさんあります。
どれだけ言葉を尽くしても足りないほど、あなたは私に多くのものを与えてくれました。
あなたは月のような人。
ひっそりと佇んで、寄り添ってくれる。
夜道を明るく照らしてくれる。
私は感謝しています。
リュナ。あなたに巡り合うことができた奇跡に。』
……。
……。
……。
……。
……。
もう何も無かった。
そこにはただ闇が広がっていた。
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