闇を裂く光
宿の部屋でシャワーを浴びたリュナは、白いシーツのベッドに腰かけた。
先ほどから、丸テーブルの上に置かれているエルピスがリュナのほうに視線を向けている。そのまま焦らし続けてもよかったが、さすがにずっと眺められていては気持ちが悪い。リュナはエルピスの話を聞いてやることにした。
「何か用かい?」
エルピスの大きな赤い目が一度まばたきした。それからしばらく薄目の平たい目になる。その後普通の目に戻ったところで、エルピスは言った。
「お前は幼いころ、実の両親に棄てられたと言っていたな」
エルピスの言葉を聞いたリュナは、ゆっくりとした動作で足を組んだ。この話は少し長くなりそうだ、と体が判断したのかもしれない。
「そうだね。人は生活していると、ゴミが出るものだろう? ゴミが溜まったら、ゴミ捨て場に捨てにいく。それと同じような要領で、棄てられたのさ。きっと俺のことをゴミだと勘違いしていたんだろう」
卑屈というわけではなく、リュナはただ淡々と言った。
黒い帽子に浮かんだ瞳がリュナのことを眺めている。それが哀れみの視線なのかどうかはわからない。
「お前は、それでも生きた。今日まで生き続けてきた。なぜだ? お前は一体何を頼りに今日まで生きてきたんだ?」
一瞬、死んだほうがよかったのか、とリュナは軽口を叩こうとしたが、エルピスの思考はそこまで浅くない。リュナはどう答えるかじっくり考えた。
「親に棄てられたお前は、この世界に希望を持っていたのか?」
いや、希望なんてなかったさ。あるわけがない。ただその日を生き延びることに必死になっていた。ただそれだけだ。なぜ生きようとしてるかなんて考えない。何も口にできず死に近づいていくと、体が苦しくなる。その苦しさを消したくて、食料を探した。食べ物にありつく方法を探した。生き延びればずっと苦しみが続くことなんて考えず、ただ目の前の苦しさから逃げた。それだけだ。
彼女に出会うまでは。
「お前は今日までその目でずっとこの世界を観察してきた。その目には、何が映った? この世界の醜さか? 絶望か? それとも……」
エルピスは、一体何が言いたいのだろう? この話は、どこに向かってる? エルピスが本当に言いたいことは、何だ? 自分に何を伝えようとしている?
「お前は知っていたか? オレとお前が出会ったのは、偶然じゃない。必然だ。この出会いは必要なものだったんだ。なぜかわかるか?」
「わからないね」
「じゃあ教えてやろう。オレがお前の前に現れたのは、それがお前の願いだったからだ」
エルピスに出会うことが、自分の願い? なんだそれは? 自分はいつから喧しく喋る帽子を欲していた?
「お前は心の中で、何を望んでいる? この世界に、何を求めている? それを今、口にできるか?」
自分が望んでいるもの? この世界に?
「お前は失うことを恐れた。大切なものが失われた時の絶望を知っている。だからお前は、何も持たなくなった。一人で生きてきた。いずれ失うぐらいなら、初めから何も持たない。そう決めた。思い込むようになった」
そうか。自分がフルールと別れたのは、もしかすると……。
「だけどな。人は希望がないと生きていけない。たとえそれが一筋の淡い光だとしても、道筋を照らす光になる。真っ暗闇じゃあ、人は前に進めない。その場で朽ちるのを待つだけだ」
リュナは幼いころに親に閉じ込められた真っ暗な場所を思い出した。
「オレが知りたいのは、お前の願いだ。お前の望みを言ってみろ」
言うだけで願いが叶うなら、初めから誰だって苦労はしない。
「そのことを、考えておくんだ。オレがお前に見せてやる」
「何をだ?」
エルピスの牙の生えた凶悪な口が、ニンマリと笑みを作った。
「この道の先を照らす希望ってやつをさ」
憎い。あいつが憎い。
俺を見下すようなあの目が、憎い。俺を否定する、あの目が憎い。
俺は空っぽなんかじゃない。この手で多くのものを手に入れてきた。
それなのにあいつは、空虚を見つめるような目で俺を見る。
俺は空っぽじゃない。
俺には力がある。
そのことを教えてやる。
後悔するんだ。俺に盾突いたことを。
憎い。あいつが憎い。
必ず、
殺してやる。
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