追憶の少女 2

 出会ったその日から、リュナとフルールは一緒に生活をするようになった。生活といっても、朝起きたらご飯が用意されていて、学校に行き、放課後は遊んで、家に帰ればまたご飯があり、温かい布団の中で眠るような、一般的な子供が送るようなものではなかったが。

 フルールはどうやら本当に声を出すことができないらしい。生まれつきではなく、親に蔑まれた精神的ショックによる反動。彼女は笑うこともできなくなった。感情を表に出す手段を封印してしまったのだ。そうでもしなければ、彼女の心はとうの昔に壊れていた。

 二人はいつも一緒にいた。雨の日も、一欠けらの食料にすらありつけない日も。

 ある日、リュナは雑貨屋でリボンを買った。薔薇のように赤いリボンだ。そのリボンは盗んだのではなく、ちゃんとお金を払って購入した。用意したその金は他人から盗んだものだったが。仕方ない。他に金を手に入れる手段がないのだ。

 リュナが買ってきたリボンを見せると、フルールは不思議そうな顔をした。ほとんど表情のない彼女だが、リュナは彼女の感情の変化を読み取れる。

 リュナはフルールの後ろに回り、彼女の亜麻色の後ろ髪を丁寧に編み込んでいった。仕上げにリボンを結びつける。

 路上に捨てられていた割れた鏡を使って出来栄えを見せた。するとフルールはうるっとした瞳をリュナに向けた。彼女は笑わなかったが、喜んでいることがリュナにはわかった。

 リュナは自分の感情がよくわからない。親に棄てられてから、彼は一人で生きてきた。誰にも心を許さなかった。それなのにどうして、この小さな少女にここまで入れ込むのだろう? リュナは彼女を放っておくことができなかった。

 きっと、それで救われる気がしたのだ。彼女ではなく、自分が。

 もし自分に妹という存在がいたら、こんな感じだったかもしれない。リュナは家族の温かみというものを知らなかったが。


 家を持たない少年たちの中に、マッドという名の男がいた。

 マッドは傲慢で、まるで自分の配下のように少年たちを従え、弱者から様々なものを搾取した。

 リュナはマッドに従わなかった。マッドに媚びることは、これまでの自分の生き方を否定するような気がしたのだ。

 当然、リュナとフルールはマッドに目をつけられる。嫌がらせもあったし、かなり危険な目に遭うこともあった。それでも彼らはマッドとたもとを分かち、日々をしのいだ。


 リュナとフルールが出会ってから、二年が経過した。相変わらず生活は貧しいものだったが、それでも彼らは生きようと思っていた。

 独りではない。頼るべき、守るべき、相手がいる。それが彼らの支えとなっていた。お互いがお互いを、必要としている。

 リュナはフルールの幸せを願った。こんな生活をしながら何を世迷い事をという感じだが、それは彼の本心だった。

 彼女を幸せにしたい。そのためなら、自分はどんなに手を汚してもいいとさえ思った。彼女には人として普通の生活を送ってもらいたい。普通の人にあたりまえに与えられる普通の幸せを、手にしてもらいたい。

 そして、笑顔を取り戻してもらいたかった。美しい花を咲かせてもらいたかった。

 この想いを言葉にして彼女に伝えたことはない。しかしその想いは日に日に増していった。彼女はここにいるべき人ではない。自分なんかと一緒にいるべきではない。

 その日、リュナとフルールはクールンの街の高級住宅地にいた。この街では歴然とした貧富の差がある。砂埃に塗れたよれよれの服を着た子供二人など、この界隈ではお呼びではない。お呼びではないが、違法に住宅に侵入し、金目のものを漁った。危険は大きいが得るものも大きい。二人は誰にも気づかれることなく事を済ませた。

 もし目撃者がいたらまずいので、盗みを行った家を出た後二人は走ってその場をあとにした。

 路地の交差点に来たところで、横道から大人の男が現われた。男はただ歩いていただけだが、走っていた二人とちょうどタイミングが重なり、フルールがその男にぶつかってしまった。衝撃で尻もちをつく。

 男は中年で、身なりからして明らかに金持ちだった。少女にぶつかってしまったことに戸惑っている。

 リュナはフルールの手を取り、起こすのを手伝った。フルールがなかなか動き出そうとしないので、彼女の視線を追うと、男が少し目を見開いてフルールを見つめていた。フルールの容姿に何かを見つけたような顔だ。

「行くぞ」

 リュナはフルールの手を引き、二人は走り出した。

「待ってくれ!」

 男の声が響き、二人は一度足を止め、振り返った。

 呼び止めた男は必死な表情をしている。二人を疑っているようには見えないが、警官に突き出さないとも限らない。無視して二人はその場をあとにした。


 戦利品を得られ、気分も良かったリュナとフルールは、繁華街と貧民街の中間辺りにある公園にいた。

 ブランコがあったので、二人でそれぞれ乗った。軽く揺らしながらゆっくりする。

 今日はそれなりの食事にありつけそうだぞ、とリュナが考えていると、フルールがブランコから降りてリュナに近寄ってきた。そしてリュナの背中に隠れるようにする。

 前方から見覚えのある男が歩いてきた。先ほどフルールがぶつかった金持ちの男だ。

 リュナは警戒し、ブランコを降りていつでも逃げ出せる体勢をとった。

「ウェルスだ」

 男がいきなり名乗った。

「きみたちに話がある。きみたちの行為を咎めようと思っているわけではない。話を聞いてほしい」

 ウェルスはリュナたちが盗みを働いたことに気づいているようだ。それでいて捕まえるつもりはないという。それなら一体何の用がある?

 ウェルスはリュナを見て、それから後ろに隠れているフルールを見た。ウェルスは何かしらの気持ちを抱えているが、それをなかなか口にできないでいるような表情。

「……うし」

 ウェルスが小さな声で何事かを呟いた。リュナは怪訝な顔をしてウェルスの言葉を促す。

「うちの養子に来るつもりはないか?」

 思ってもみない言葉だった。リュナとフルールは息を飲んだ。

 ウェルスが近づいてきて、地面に膝をつき、フルールを見つめた。

「きみを初めて目にした時、私の中で何かが奔った」

 ウェルスは誠実そうな顔で熱弁する。

「不自由はさせない。愛情を注いで、必ず幸せにする。どうだろう?」

 リュナはウェルスの提案に驚いた。想像したこともない出来事だ。

 静けさが三人の隙間を通り抜ける。

 しかしリュナの中で徐々に怒りが込み上げてきた。拳を握りしめ、感情を露わにしながらウェルスを批判した。

「いいかあんた、よく聞け。俺たちは親に棄てられて、家も家族も無い。それで俺たちがどれだけ苦しい思いをしたかわかってるのか? あんたはフルールの親代わりになると言う。幸せにすると言う。そんな薄っぺらい言葉を信じられるか? フルールがどんな傷を負ったのか、あんたにわかるのか!?」

 最後のほうは叫ぶような言い方になった。物静かなリュナがここまで声を荒げる場面などそうそうない。

 ウェルスは悲しい目でリュナを見た。リュナの言葉に反論せず、彼らの境遇をただ想像しようとしている。

「金でなんとかしようと思うな。あんたは俺たちの傷を癒せるのか!?」

 リュナは畳みかけるように言った。心臓がドクンドクンと脈打ち、体が怒りに震える。

 しばらく経って、ウェルスが悲しそうな顔のまま立ち上がった。だが、その場から立ち去ろうとはしない。

 リュナは怒りでコントロールを失い、冷静な思考ができなかった。どうしたらいいのかわからない。ただ、今のこの状態では、何も受け入れることはできない。

 ウェルスはそのリュナの様子を察したのか、こう言った。

「明日の同じ時間、私はまたここへ来る。もし私の話を聞いてくれるというのなら、また、会ってほしい」

 ウェルスはそう言い残し、リュナ、それから最後にフルールを見て、背中を向けて歩いていった。

 リュナは傍らのフルールを見た。心細そうな顔だ。少し体が震えている。

「帰ろう」

 リュナはフルールの手を取った。

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