露草色の鎧

 怪物は、遠くから眺めた時の印象よりはるかに巨大だった。普通の人間など、怪物の手の平サイズだ。粘土を塗り固めて作ったような凹凸のある体。窪んだ眼窩から泣いているように血のようなものを流している。放たれる強烈な腐敗臭は、気を抜くと意識を手放してしまいそうなほどの刺激だ。

 怪物は、眼球のない顔をリュナたちに向けている。仮に知能が備わっているとしても、対話が可能とは思えない。ちょっとばかりやんちゃな相手だ。

 この恐ろしい怪物を前にしても、マリードはその場を動こうとしなかった。勝ち目のある相手とは到底思えないのに。

 リュナは家を持たない、帰る場所のない人間だ。村など犠牲にして、生き延びれば、命さえあれば、いくらでも生きていけると考える。だがマリードにとってはそうではない。彼はこの場所で、愛する人との生活を育んだ。危機が迫ったからといって、はいそうですかと逃げ出すわけにはいかないようだ。そしておそらく、マリードは罪の意識を持っている。この村の人間たちが無くしたものを、彼だけが抱え込んでいる。そんな彼を、このまま見殺しにできるか?

 怪物が吠えた。その咆哮はビリビリと肌が痺れるほどの振動となって空気を伝わった。

 リュナは怪物に立ち向かうように、一歩前に足を踏み出す。

「リュナ。死ぬよな」

 頭の上のエルピスが縁起でもないことを言った。彼らしくない。軽口の一つでも叩いていろ。

 怪物が一歩ずつリュナに近づいてくる。

 雨だ。絶え間なく降り続けるこの雨を、味方につける。この場で膨大なエネルギーを生み出すには、それしかない。

 怪物が右腕を振り被った。

「立ち上がれ」

 リュナは周囲の雨を一ヶ所に集め、形を作り出していく。それはリュナと怪物の間に形成されていく。

 怪物が腕を振り下ろした。しかしその腕はリュナに届くことなく水の塊に遮られた。豪快な水しぶきが撒き散らされる。飛び散った水は、大きな塊に吸収されるように再び集まっていき、形を成した。

 雨のゴーレム。透き通った水色の体。体の表面は揺れる水面のように常に蠢いている。

 怪物と同等の大きさを誇るゴーレムは、両腕を怪物に押しつけた。

 地面が揺れる。

 怪物は怯むことなく、同じように両腕をゴーレムに当てた。衝撃で表面の水が弾け飛ぶ。

 二体の巨人の取っ組み合い。

「すごい」

 マリードが傍で感嘆の意を漏らしたが、リュナは気を抜けなかった。力の反動は容赦なく右腕を襲う。それでも、戦う意識を保ち続ける。

 怪物が再び咆哮した。怪物の腕から、足から、人間の顔のような模様が現われた。狂乱と嘆きの顔。おぞましい顔が次々と浮かび上がる。

 それを見たリュナは、確信した。こいつは、死者たちの怨念だ。ユーベルの力を借りて、それが形となった。この村を、壊しにきた。

 罪は償われるべきものだろう。だが、死者には眠りを与えなければならない。

 安らかな、眠りを。

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