血塗られの骸

「それが、きみがこの村に来た理由か?」

「はい。ピトスに繋がるユーベルの調査。可能であれば確保」

 リュナはマリードの自宅に来ていた。リビングの食卓に着き、話をしている。

「村の教会に黒い宝石を見つけました。それが俺の求めているものです」

「その宝石には、不思議な力がある、と」

「そうですね」

 リュナは右手にしている黒い手袋を外した。中指にはめられた指輪をマリードに見せる。

「これと同じものです。これはユーベルを加工して作った指輪です」

「……その痣は?」

 マリードは指輪よりもリュナの右手に刻まれた黒い痣に興味を示した。

「これは、代償です。力の代償」

 リュナの右手の先から、枝を広げる木のように痣が伸びている。それは肘近くまであった。

「力を使い続けると、どうなるんだ?」

「さあ? わかりません。愉快なことではないでしょう」

 実際、リュナもこの力のことをよく理解していない。『フリーデン』の一員となって力の使い方を習い、習得したのだが、できるなら使いたくない。そしてこの力で何ができ、何ができないのかも、よくわかっていない。

 ピトスとユーベルに関しても、リュナは詳しい話を聞かされていない。自分は『フリーデン』の単なる足だ。あくまで仕事として関わっている。そこに崇高な目的などない。

「この村の人間が幻に生きているのは、その石の力の影響かもしれないのか」マリードが言う。

「そうかもしれないし、違うかもしれません」

 そういえば以前、エルピスが、ユーベルは人間の欲望を増幅させると言っていた。少なからず関係している可能性はある。

 それにしても、なぜエルピスにはユーベルについての知識がある? エルピスは一体何者なんだ? 今更ながら、素朴な疑問が頭に浮かぶ。

「リュナ。きみはこの村の石を持っていくのか?」

「いいえ。他人から無理やり奪い取るようなことはしません。あくまでピトスに関する調査が目的です。ただ」

 リュナは一度言葉を切り、そして続ける。

「ユーベルのある場所には、なにかと不穏な出来事が起きがちです。『フリーデン』は不測の事態が起きないようにユーベルを回収しているのかもしれません」

 おそらくそんな単純な動機ではないだろうが。

『フリーデン』は、その存在を公にはしていない。そのためこれは本来関わりのないマリードのような人間に話すべき事柄ではない。しかしリュナはマリードが考えもなしに他人に話を洩らすような人間とは思わないし、マリードもあの墓の前で自分についての話を語ってくれたのだ。この村に来た目的ぐらい話してもいいだろう。

 マリードがテーブルに置かれたカップを口元に持っていった。中にはコーヒーが入っている。リュナは自分側に置かれたカップの中をよく眺めた。黒い液体が溜まっている。

「大丈夫。ウヴリの葉は入っていないよ」

 マリードが笑いながら言った。きっとそれは妻のジナが愛した笑顔なのだろう。

 リュナはコーヒーを口に運んだ。ほろ苦さが口の中に広がる。

 リュナがカップをテーブルに置いたところで、頭の上の帽子が口を開いた。

「胸騒ぎがするぜ」

 マリードが目を見開いてリュナの頭の上を凝視した。

 胸騒ぎ、か。一体きみのどこに胸があるのやら。


 それは、森の中にある池から腕を伸ばし、崖の縁に手をかけた。それだけで周囲に振動が発生し、近くの地面に亀裂が走った。それは水のしたたる上体を水面から少しずつ露わにする。

 それは、木の幹のような、土のような、岩のような、凹凸のある褐色の体をしている。顔の本来目がある場所に眼球はなく、窪んだ眼窩から血のような赤い涙を流している。開いた口からは血肉の味を待ち望むような鋭い牙が並んでいる。

 それはゆっくりとした動作で五メートル以上ある崖を難なく這い上がり、その姿を現した。地上に上がった人間を模したようなその体は、二足歩行を開始する。体長は優に十メートルを超え、一歩足を動かすごとに地面が揺れた。木々を薙ぎ倒しながら、進行する。

 壊すために。

 破壊の限りを尽くすために。

 空は泣いていた。

 悲しみと怨恨で構成されるそれは、村の方角を目指した。

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