怨念の叫び

 リュナがマリードとともに教会を出ると、向かいからこちらへ歩いてくる人物がいた。

 パテルだ。

 リュナは何か声をかけられるかと身構えたが、パテルはリュナたちに目も留めず、虚ろな表情のままよろよろと歩いていく。体ごとぶつかるようにしながら扉を開け、教会に入っていった。どうも様子がおかしい。何かに取り憑かれているかのような。しかしリュナにできることはない。リュナはフィリオの代わりではないのだ。

 雨粒が体を打つ。頭上から小さな奇声が聞こえた。

 リュナはマリードに訊いた。

「この村は、いつもこんなにずっと雨が降っているんですか?」

「いや。雨の多い地域ではあるが、ここまで降り続くことは稀だ」

 リュナはこの村の雨の景色しか知らない。心なし歪んで見える村の光景。本来あるべき姿を覆い隠しているかのような。


 教会に入ったパテルは、引きずらせるように足を動かしながら正面奥の祭壇のほうへ足を進めた。

「フィリオ……フィリオ……」

 今、パテルの脳裏に浮かんでいるのは、元気だった生前のフィリオの姿ではなく、幻覚が作り出すまやかしでもなければ、フィリオと似た赤の他人の姿でもない。

 村人たちの足音。灰色の空。土の匂い。木々が立ち並ぶ森。崖と、眼下に見える深緑色の池。

 崖を転がり落ちる息子の体。

 水中へ沈んでいく息子の死に顔。

 ガクガクガクとパテルの体が震えた。

 自分たちは取り返しのつかないことをしてしまったのではないのか?

 命の宿っていない、虚空を見つめる息子の瞳。パテルはその息子に見つめられているような錯覚に陥った。

「フィリオ……フィリオ……」

 パテルの視野に、壁に埋め込まれた漆黒の宝石が見えた。

 パテルは顔を上げ、その宝石をじっと見つめる。暗示にかけられたように、まばたきもせず。

 その宝石はパテルから不安と恐怖を追い出し、安寧を与えた。

 パテルは宝石に両手をかけ、力任せに壁から剥ぎ取った。

「ちょっとあなた、何を――」

 咎めるような牧師の顔。しかし次の瞬間、鈍い音の後牧師は弾け飛んだかのように床に転がっていた。パテルは自分がそうさせたことにすら気づかなかった。

 宝石を持ち、教会を出る。

「フィリオ……フィリオ……」

 幸せだったあのころ。家族三人で過ごした日々。フィリオの笑顔。その息子の顔から、血の涙が流れ出す。目玉がこぼれ落ち、主を失った暗黒の眼窩。顔の皮膚は腐り、朽ちていく。口角の上がった口から、ボロボロと歯が崩れ落ちる。

 気づけば、パテルは死者たちが眠る森の中の池に来ていた。いや、ここにいる死者は眠ってなどいない。安らぎを与えられることなく、現実からただ排除されたのだ。

 息子のフィリオはこの池に投げ捨てられた。なんという仕打ちだろう。愛する家族を……。自分たちの弱さのために……。許されるはずがない。

 パテルは漆黒の宝石を天に捧げるようにかざした。そしてそれを、目の前の池に投げ入れた。とぷっと水面が跳ね、石が池に飲み込まれる。

 その石は、人々の願いを叶える力があると伝えられていた。人の祈りに応えてくれる力があると。教会に置かれていたのはそのためだ。

 なぜその石をこの場所へ持ってきたのか。パテルは自分でも理由がわからない。ただ、そうすべきだと意識のどこかが判断したのだ。

 池の水面から、ブクブクと泡が浮き立った。

 パテルは崖の傍から池を見下ろす。

 すると水面から何か巨大なものが勢いよく伸びてきた。それはあっという間に崖の高さを越え、そして、

 パテルの体に打ち下ろされた。

 肉が押し潰され、骨の砕ける音が鳴る。割れた水風船のように赤い液体が撒き散らされた。自分の体がパンケーキのようにぺしゃんこにされた感覚を実感する。

「フィリオ……」

 パテルは意識の最後で死の臭いを嗅いだ。

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