幸せのたんぽぽ色

 マーテルとパテルは、リュナに家族を持つ幸せを与えてくれた。ふかふかの清潔なベッドで目を覚まし、顔を見せるとおはようの挨拶が返ってくる。頼まずに出てくる料理。他愛のない、それでいてどこか安心する会話。二人の笑顔。行ってきます、行ってらっしゃい。ただいま、おかえり。どんな時も、無条件で自分の存在を受け入れてくれる。本当の親に与えられなかったものを、マーテルとパテルは与えてくれた。

 初めは戸惑った。違和感があった。けれど次第に慣れていった。そして、抜け出せなくなった。こんな温かくて豊かなものを、どうして手放す必要がある? この気持ちは、偽りじゃない。

「オレはお前を否定しない。お前が望むなら、ずっとここにいればいい」

 そう言ってくれたエルピスは、だけどどこか悲しげだった。

 リュナがこのレーゲンの村に来た時から、雨はずっと降り続いていた。しかし今のリュナには家がある。いろんなものから守ってくれる、家が。帰るべき場所が。

 日々は充実していたが、リュナはこの村に来てから妙なものを見るようになった。見えるだけではない。朝起きた時、部屋の中の宙を魚が泳いでいることがある。その場にいないはずの人間の声もよく聴こえた。どこか甘ったるい匂いは、村の至るところから漂ってくる。

 だけどそれらは、些細なことだ。リュナには家族ができた。きっと心のどこかで、この温もりを求めていたのだ。

 ララララララ。ララララララ。


 村の人間は誰もがみな楽しそうだ。嫌なことなど何もない。

 ここはまるで楽園。幸福で満ち溢れている。

 ララララ。

 望むものは、なんでも手に入る。全てを叶えてくれる。

 ウヴリの紅茶を毎日飲んだ。飲むと高揚感が体に広がる。生きる活力が湧いてくる。

 ララララ。

 マーテルとパテルは優しい。まるで本物の両親のように。彼らと幸せを分かち合った。

 ララララ。

 幻を見る回数が増えた。増えれば増えるほど、楽しくなった。

 現実なんていらなかった。

 ララララ。

 世界はここにある。幸せな世界が。この場所だけが世界だ。

 ララララ。

 らら。ららら。

 ハハハハ。

 それでも、天に浮かぶ空だけは、悲しげに涙を流し続けていた。






 その男は、広場のベンチに座ったまま、死んでいた。

 幸せそうな顔をして。

 外傷はない。

 村の人間たちが広場に集まる。

 これから処理が行われる。

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