真夜中の蜃気楼
豪華な夕食だった。生ハムののったサラダ。牛肉の煮込み。ポテトの入ったオムレツ。野菜たっぷりのシチュー。
リュナとともに食卓を囲むマーテルとパテルは、終始嬉しそうな笑みを浮かべている。誤解を解けずじまいだが、リュナは二人の厚意にあやかった。二人はリュナと一緒にいられることを心底喜んでいる。そこに水は差したくない。けれどいずれ真実を告げなければならないだろう。
美味しい料理に、自分の存在を認め喜んでくれる人たち。まるで家族の団らん。それは孤独に生きてきたリュナにとって初めての経験だった。新鮮すぎて、リュナは落ち着かない。自分なんかがこんなところにいていいのだろうか、という罪悪感が浮かんでくる。
家のリビングは喜びの菜の花色で溢れ、トランペットの音色のように晴れやかだ。食卓に並ぶ料理の香りは安らぎを与えてくれる。
食後にはふんわりとした生地のバナナケーキと紅茶が出てきた。
「この紅茶には、この村でしか採れないウヴリという葉を使っているの」
マーテルの説明を受けてから、リュナはウヴリの紅茶を口にした。
初め、ピリッという刺激が舌に伝わった。しかしそれはすぐに香ばしさに変わる。温まるような高揚が体全体に広がっていき、心地良かった。
マーテルとパテルはそんなリュナの様子を微笑みながら眺めている。何をそんなに見るものがあるのかわからない。
リュナがそろそろ誤解を解く話を切り出そうとタイミングをはかっていると、マーテルが穏やかな声でこんなことを言った。
「あなたはずっと、ここにいていいのよ」
夜、リュナは床に就いた。大地を打つ雨音を子守歌に。
リュナは仰向けになりながら、この日の出来事を考える。マーテルとパテルの夫婦。フィリオという息子。自分はフィリオという男と似ているのかもしれない。だからといって、赤の他人を自分の息子と勘違いするものだろうか? 警戒もせずに自分たちの家に迎え入れたりするだろうか? パテルはリュナによく帰ってきてくれたと言ったが、本物のフィリオは今どこにいるのか?
そもそもフィリオは生きているのか?
それは、探るべきことではないかもしれない。土地勘のない自分を泊めてくれたことは感謝するが、明日になったらここを出ていこう。たとえあの夫婦が悲しむとしても。
雨は弱まりもせず、強まりもしない。淡々と同じペースで降り続いている。
なかなか寝つけないリュナは、ふと部屋の窓に目をやった。
なんとなくそうしたい気になって、体を起こして窓に近づき、外を見た。
街灯の下、降りしきる雨の中を誰かが歩いている。リュナはその後ろ姿に見覚えがあった。そして該当する人物に思い当たった時、リュナは驚愕した。
フルール? どうして彼女がここに?
リュナはできるだけ物音を立てないようにしながら部屋を飛び出した。玄関まで行って急いでブーツを履き、外に出る。
通りに出ると、ちょうど角を曲がる彼女の姿が見えた。リュナは水溜まりを踏み雨水を跳ね飛ばしながら無我夢中で彼女を追った。
昼間に妙な男がベンチに座っていた広場に出る。亜麻色の髪の少女がベンチに座っていた。
リュナは少女に近づき、何か言葉を発しようとした。
その途端、少女の姿が消えた。
初めからいなかったように、跡形もなく。
雨が茫然と立ち尽くすリュナの体を打つ。
天から絶え間なく、降り注ぐ。
ララララララ。ララララララ。
男の子がクルクル回りながら歌っていた。
翌朝、目覚めた時、リュナは頭がぼーっとした。
昨日飲んだウヴリの紅茶をもう一度飲みたかった。
マーテルは快く紅茶を淹れてくれた。
ほっとする安心感が全身を伝っていく。
心地良かった。
リュナはこの家にいたいと思った。
いつまでも。
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