地の底の濡羽色

 リュナは目的の家に辿り着いた。並んでいる他の家と同じように、レンガ造りの二階建ての家。近くに人の気配はない。

 玄関の扉の取っ手に手をかける。

 当然ながら、扉には鍵がかかっていた。中に誰かいるにしろいないにしろ、だいたい鍵はかけるものだろう。

 招かれざる客が中にいる人間を呼び出して中に入れてもらえるとは思えない。力を使って扉をぶち破ってもいいが、そうする必要もない。リュナは懐から針金のようなものを取り出した。

 ものの数十秒で、リュナは家の扉を解錠した。子供のころ、この方法で何度も他人の家に侵入した経験がある。生きていくために習得した技術だ。

 音を立てないように扉を開け、中に入る。明かりは点いていないが、人がいた匂いがある。

 耳をそばだてると、微かに人の声が聴こえた。くぐもって濁った音。悲鳴のような響き。音が遮られているが、それでも僅かに響いている。おそらく地下からだろうとリュナは推測した。

 二階は無視し、一階を探っていく。リビングとキッチンを見たが、気になるところはない。

 廊下に出て、二階に上がる階段の裏側に回ると、四角く枠組みされた床に取っ手を見つけた。

 取っ手を掴み、持ち上げてずらすと、床が外れて下へ向かう階段が見えた。

 階段を下り、扉があったので、それを開ける。

 部屋の中に、ソレッラの姿が見えた。台の上で寝かされている。

「誰!?」

 誰かが部屋に入ってきたことに気づいたソレッラが声を上げた。

「待ち合わせの時間過ぎてるよ」

 リュナは淡々と言った。

「リュナ?」

 ソレッラの他に人はいないようだった。電気が通っていないのかそういう趣味なのかはわからないが、蝋燭が灯っている。

 リュナの目の前の床で何かが蠢いていた。蜘蛛のようだ。毛の生えた、でかいやつ。他にも何匹もいた。

「ねえ早く助けて! 気が狂いそう!」

 ソレッラは手足を拘束されていた。ほぼ間違いなく、あの男の仕業だろう。ソレッラは動かせる範囲で必死に全身を揺らしている。

「何してるの?」リュナは訊いた。

「何って、その辺にいるでしょ?」

「何が?」

「蜘蛛!」

「いるけど。ただの蜘蛛だよ」

「早くして!」

 ソレッラがヒステリーを起こしているので、まずは彼女を自由にさせることにした。拘束具をピッキングで解錠し、手足の拘束を解いた。

「もう信じらんない!」

 ソレッラは自分で自分の腕を抱えながら、おぞましい様子で周囲に目を向ける。

「蜘蛛が嫌いなの?」

「誰だって嫌いでしょ!?」

 リュナが昔住んでいた場所では、蜘蛛ぐらい普通にいた。薬でトリップしている人間の徘徊に比べれば、たいした危険はない。むしろ食用を考えたぐらいである。

 ソレッラが部屋から出たがったので、一階に戻った。ソレッラはキッチンの水道の水で口をゆすいだ。今しがたの体験を洗い流すかのように。

「あの男は?」

 リュナは訊いた。

 するとソレッラがバッと鋭く動いてリュナを睨みつけた。

「大変! 早くしないと!」


 それは豊穣の女神に感謝の意を捧げるために始まったお祭りだった。しかし祭りが呼び寄せたのは、災いをもたらす神だった。

 アルトは広場の人込みを抜け、時計台へ入った。先日のエルマーナのもあり、展望台から祭りを眺めることは禁止されていたが、アルトにとっては好都合だった。

 エレベーターが停められているので、階段を上がっていく。背中に背負ったリュックの中にあるブツが重いが、これから起こることを想像すれば苦痛ではない。

 アルトは右手に漆黒の石を握り締めている。

 この石は、彼に行動を起こさせた。彼の中に留まっていた邪な思考を、形に変えた。

 石は心地良さを与えてくれる。彼の行いを見守ってくれているかのような。

 興奮を抑え切れないアルトは、階段を上りながら笑みを浮かべている。

 これから起こることは、美しい芸術だ。

 儚さほど美しい。

 一瞬の煌めきに、魅せられよう。

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