コーヒーのような苦味

 通常であれば、夕焼けが染まり徐々に紺色へと取って代わられる時刻。しかしこの町は初めから夜だ。

 広場は賑やかさを増している。もう間もなく祭りが始まるのだろう。

 待ち合わせの時刻を過ぎても、ソレッラは現れなかった。半ば予想していたことだったが。

「一つ、教えてやろうか」

 頭の上のエルピスが話しかけてきた。リュナは時計台外の壁にもたれながら立っている。近くに人はいない。

「あいつに異変を感じたのは、お前だけじゃない」

 エルピスが言っているあいつが誰なのか、もちろんリュナにはわかる。

「仕事の時間だぜ」

 エルピスの言葉で確信を得たリュナは、その場から歩き出した。賑やかな広場から離れていく。

 その家への道順は覚えていた。きっと自分もこうなることを予想していたのだろう。


 ソレッラが目を覚ました場所は、薄暗い部屋だった。照明は数本の蝋燭の明かりだ。

 台のようなところに寝かされ、手と足の自由が奪われている。ソレッラはすぐに状況を把握した。

 動こうとすると、金属製の拘束具がジャラリと音を立てた。その音をあざとく聴きつけた獣が近づいてくる。

「やあソレッラ、気分はどうだい?」

 アルトは普段のように柔らかな微笑みを浮かべている。その仮面の下にどんな薄汚い表情を隠しているのか。

 ソレッラは意識が途切れる直前の、アルトの言葉を思い出す。

「あなたが、姉さんを殺したの?」

「うーん。正確に言うと、殺したのは僕じゃない。エルマーナの顔と体を見るも無残なボコボコのグチャグチャな形にしたのは、僕ではないよ。僕はちょっとばかり手助けをしてあげただけ」

「……屑ね」

「こらこら。お年頃の女性がそんな下品な言葉を使うんじゃない。お嫁に行けないぞ」

 ソレッラは自分が陥っている状況も忘れて、アルトに怒りの表情を向ける。

「どうして姉さんを殺したの?」

「僕だって殺したくはなかったさ。どうせなら彼女でもっと楽しみたかった」

 ソレッラは吐き気がした。この男は、穢れている。

「今日、時計台前の広場でお祭りがあるだろう? 僕はそこでちょっとしたイベントを催すつもりなんだ」

「……何をする気?」

 アルトは口角を上げた薄気味悪い笑みを浮かべてソレッラを眺めていたが、やがて何かを取りにその場から去った。そしてすぐに戻ってくる。

「これがなんだかわかるかい?」

 アルトはどんぐりのような形の、少し細長い金属製の物体を抱えている。大きさは、成人男性の太腿ぐらいはあるだろうか。少し尖った先端から、ワイヤーのようなものが伸びている。

 すぐにそれが何かはわからなかったが、ソレッラの脳裏には徐々に恐怖の思考が浮かんでいく。

「これを手に入れるのにはずいぶん苦労したよ。きみのお姉さんは、僕の苦労を水の泡にしようとした。だから消したのさ」

「……それは何?」

「今日、これを時計台の上から、広場目がけて放ってやるのさ。祭りの日が待ち遠しかった。なにせたくさんの人間が集まるからね」

 この男は、イカれている。

「太陽の無いこの町に、光を与えてやるんだ。きっとそれは輝かしい光景だろうね」

「……なんで?」

「ん? 何か言ったかい?」

「なんでそんなことするの?」

 ソレッラの声は震えていた。

「なんでって。僕はそれが、美しいと思うからだよ。美しいものを見たいと思うのは、人としてあたりまえのことだと思うけど」

 駄目だ。この男は普通じゃない。何を言っても無駄だ。

「だけどその前に、きみの美しさを見せてほしい」

 アルトが微笑みながらソレッラに近づき、右手を首に押しつけてきた。

 台とアルトの手に挟まれた首は、声の出ないソレッラの代わりに悲鳴を上げる。

 苦しい。息ができない。まぶたから涙が零れる。

「良い表情だ。もっと見せてくれ」

 アルトの笑みが邪悪に歪んでいく。それはまるで悪魔のようだ。

 手足を拘束され首を絞められているソレッラは、全身を動かしてどうにか苦しみから逃れようともがいたが、アルトの力は異様に強く、敵わない。

 徐々に意識が遠のいていく。

「おっと。そろそろ行かないと」

 アルトが唐突にソレッラの首から手を離した。息を吹き返したソレッラは大きく咳き込む。

「続きは後でやろう。それまで、僕のペットたちと楽しんでいてくれ」

 アルトが部屋の隅から何かを掴んで持ってくる。それを身動きの取れないソレッラの胸の辺りに置いた。ソレッラは首を動かしそれを見た。

 八本足の、大きな蜘蛛だ。

 ソレッラは気が狂いそうなほどの悲鳴を上げた。

 アルトは続々とソレッラの体に蜘蛛を運んでくる。

 それから、アレを抱えて部屋から出ていった。まるでピクニックにでも出かけるかのような軽い足取りで。

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