薔薇の香り

 勤務時間を終え店を出たソレッラをアルトは待っていた。

「何か用?」

 ソレッラはぶっきらぼうに訊いた。

 アルトはソレッラの態度も気にせず微笑みを浮かべて言った。

「きみがエルマーナの死を悲しんでいると聞いてね」

 エルマーナとは、ソレッラの姉の名前だ。

「僕もエルマーナの訃報を聞いて、とてもショックを受けた。僕とエルマーナが恋人同士だったことは知っているだろう?」

「ええ」

「美しく、そして高貴な女性だった。それが、どうしてあんなことになったのか」

 アルトは今にも泣きそうな悲しい表情を浮かべた。

 ソレッラは、姉のエルマーナが高貴な人だったとは思えない。粗暴とは言わないまでも、気の荒い扱いづらい人だった。他人にはそれがある種魅力的に映るのかもしれないが、ソレッラとはよく衝突した。

「僕だったら、きみのその悲しみを分かち合えると思ってね」

 アルトは非の打ちどころのない優しい笑みをソレッラに向けた。

 アルトの評判は良かった。ハンサムだし、気の利く優しい男性。食卓で姉がしょっちゅうアルトの良さを自慢げに語っていて、ソレッラはその鬱陶しさに腹が立ったが、アルトの悪い話は一切出てこなかった。

 だが、ソレッラはどうもこのアルトという男が好きになれない。意識にも上がらず言葉にもできない部分で、どこか違和感を感じる。あまりにもできすぎている気がするのだ。

「僕だったら、きみの力になれるはずだ」

 それでも、ソレッラはアルトの魅力に抗えなかった。


 黒い。今まで目にしたどんな人間のオーラよりも、その男が放つ気は黒かった。

 リュナは、ソレッラと見知らぬ男性が道を歩いている場面を偶然目撃した。

 リュナの意識を引きつけたのはソレッラのほうではなく、彼女の隣を歩く長身の男だった。

 金色に輝く色をまとっているが、その奥からさらに濃い黒が滲み出ている。常人ではない、危険な香りが漂っている。

 あの男は何者なのか? リュナは気づかれないように、二人のあとをつけた。

「お前、嫉妬してんのか?」

 頭の上のエルピスが言ったが、リュナは無視した。口煩い帽子にいちいち反応していたら尾行などできるはずがない。

 前を歩く二人は、ある家の前で足を止め、少し会話した後、二人でその家の中へ入っていった。そうなると、リュナの尾行も終わりだ。中で二人が何をしようが、知ったことではない。

 踵を返したリュナだが、あの男の禍々しい印象が頭から離れなかった。

 時計台のほうまで戻ってくると、広場ではお祭りの準備が着々と進んでいるようだった。広場を埋め尽くすほどたくさんのランタンが用意されている。お祭りが始まると、ランタンは熱気球の要領で一斉に空へ向かって飛ばされるようだ。その光景は、リュナも見てみたい。

 広場の賑やかな光景を眺めているリュナだが、自分の意識のどこかに不安が蔓延っていることに気づいた。

 この日、何かが起こる予感。予感は予感にすぎないが、火のないところに煙は立たない。


 ソレッラはアルトの自宅に招かれた。アルトは姉の恋人だった男。ソレッラは軽い罪悪感に苛まれた。しかしアルトは言葉巧みにソレッラを誘った。まるで催眠にかけられたかのように、気づけば彼の家の中にいた。

「良い紅茶があるんだ」

 ソレッラはリビングのソファに座らされた。アルトはキッチンで作業をしている。

 リュナとの約束の時刻が近づいている。紅茶を一杯ご馳走になったら、出ていこう。だけど、アルトにどう言い出そうか。

 そんなことを考えていると、首筋がチクッと鋭く痛んだ。振り返ると、アルトがすぐ後ろにいた。何かをソレッラの首に押し当てている。

「何したの!?」

 アルトは自分の行為を隠そうともせず、ソレッラの正面のソファに座り、注射器をテーブルの上に置いた。

「きみは美しい」

 アルトは恍惚の表情を浮かべている。

「だけど、僕がもっと美しくしてあげよう」

 ソレッラの意識が少しずつ奪われていく。立ち上がることもできず、抗えない眠気に襲われていく。

「……ねえ……さん」

 ソレッラが最後に意識の片隅で考えたのは、姉のことだった。

「ああ、そうか。その節は残念だったね」

 アルトはさして興味がなさそうに、軽く言った。

「きみのお姉さんは僕が殺したんだ」

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