迫りくる足音
腹ごしらえを終え、リュナは宿に戻った。時刻は、一般的には夜にあたる時間だ。この町の人たちも、夜に寝て朝起きる生活を送っているのだろうか? そもそも朝という概念があるかもわからない。
熱いお湯のシャワーを浴びてから、ベッドに腰かける。するとテーブルに置いた黒い帽子が顔を出した。
「おい」
「俺の名前はおいじゃない。何度言ったらわかる」
「お前、ユーベルについてどこまで知ってんだ?」
リュナは右手中指にはめられた黒い宝石の指輪を見る。指輪をはめた中指から手首のほうまで、木のように枝分かれした黒い痣が広がっている。
「これのことだ。『フリーデン』が探しているピトスに関係するもの。共感覚の持ち主が所持することにより、特異な力を行使することができるが、それにはリスクも伴う。行使する力が大きければ大きいほど」
「それだけじゃねえ。ユーベルは、持ち主の欲望を増幅させる」
「ふうん」
「なんだ?」
「帽子のわりに詳しいんだな」
「てめぇ、オレ様を誰だと思ってやがる」
「エルピスだ」
「リュナ。お前は見たところ、欲の薄い人間だ。だけど忘れるなよ。欲の無い人間なんかいない」
「説教か?」
「ああ!?」
「俺はユーベルよりも、きみのほうが不思議だ。どうして帽子が喋るんだ?」
「オレ様をただの帽子だと思うなよ」
「ただの帽子とは思っていない」
「お前はついてる。オレ様が傍についていてやれるんだからな」
「ふ。ホント、心強いよ」
リュナは自分のありがたみを語る帽子が可笑しくて笑った。
その部屋は、一本の蝋燭の明かりで照らされていた。
アルテは、ピンセットで黒っぽい物体をつまんだ。体長三センチほどのそれは、六つの足をばたつかせて逃れようともがいてる。
その物体の運命は今、アルテの手に握られている。アルテはその優越感に、うっとりと目を細めて酔いしれた。物体が足掻けば足掻くほどに、心が満たされていく。
更なる黒い思考がよぎり、アルテはピンセットを蝋燭のほうに近づけた。物体のその小さな脳みそでは、これから何が起きようとしているかわからないだろう。
アルテは蝋燭の火で、ピンセットでつまんだ物体を炙った。物体から煙が上がり始める。足を空中で空回りさせる物体の動きは次第に遅くなり、やがて完全に動かなくなった。
アルテは動かなくなったそれを、自分の口のほうへ持っていった。
バキバキ。
ゴキュゴキュ。
「グエエェェェェ!」
アルテは物体を床に吐き出した。
口元から垂れる唾液を拭き取るアルテの顔には、高揚感のある笑みが浮かんでいる。
アルテは机の上にある黒い石を手に取った。
蝋燭の明かりで、その石を照らす。
明かりに晒しても光を反射しない、漆黒の石。
その石を眺めていると、意識がそこへ吸い込まれていくような感覚を覚える。
アルテはこの石を森の中で拾った。輝きのないその黒い石に、なぜか惹きつけられた。
アルテは壁にかけられたカレンダーに目を向ける。カレンダーのある日づけの箇所に、太陽のマークが書き込まれている。
この太陽の無い町に、光を与えてやる。目が眩む、とても眩しい光だ。準備は着々と進んでいる。計画に気づいたあいつは、既に消してやった。
アルテは再びピンセットを持ち、透明なケースの中の先ほどとはまた違う物体をつまんだ。
今度の物体は足が八本ある。
足を動かし逃れようとするそれを、火の中に入れた。
煙とともに、命と呼ぶべきものが抜け出ていく。
アルテの瞳は恍惚に輝く。
焼いたそれを口に運んだ。
バキバキ。
ゴキュゴキュ。
「グエエェェェェ!」
翌日、リュナは宿から外に出た。
朝から暗い町だ。実は今は本当は夜で、自分のほうが朝だと勘違いしているのでは、という錯覚が起きそうである。そして寒さも相変わらずだ。
そろそろこの町の調査を始めなければならない。リュナはここへ遊びにやってきたわけではないのだ。
向こうから、リュナのほうに近づいてくる人物がいる。どうやら見覚えのある相手だ。
「おはよう」
ソレッラは、悪戯を成功させた悪ガキのような笑みで言った。
やれやれ。いつから待ち伏せしていたのか。その執念には感服する。
「なあに、その顔?」
「いや」リュナは苦笑いを浮かべて言った。「この町の人もおはようなんだ、って思っただけだよ」
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