夜と時計台の町

紺色の空

 そこは、町の中で最も空に近い場所だった。

 眼下のほのかな町の明かり。

 夜空の輝く星々。

 冷たい風が吹きつける。下にいる時より寒い。

 その寒さは、人間は地上でしか生きられないことを教えてくれる。地べたを這いつくばって生きる醜い生き物なのだ。

 女が一人、塀に腕をのせて景色を眺めている。そんなに見たいなら、もっと近くで見ればいい。

 女の服の裾を掴んで、強引に押し上げた。

 女が気づき、驚きの表情を浮かべる。

 それから、恐怖へと。

 良い表情だ。

 その顔は、忘れない。

 抵抗する間を与えず、女を宙に放った。

 鳥なら飛べる。

 だけど人間は、地べたがお似合いだ。


 その町は、夜だった。つまり、太陽が顔を出さず、日光が地表を照らすことはない。

 その町に、朝と昼はない。いつだって夜だ。俗に極夜と呼ばれる特殊な環境の地域。

 町の名前は「ノーチェ」。リュナと黒い帽子は、その町に降り立った。

 まずは、泊まれる場所を探そう。この町は、やたらと寒い。さすがのリュナでも野宿は避けたい。

「ふぃっくしゅーん!」

 と、派手なくしゃみをしたのは、リュナではない。くしゃみはリュナの頭の上のほうから聞こえた。最近いろいろあるから、せめてマスクをしてもらいたい。いや、こっちの話だ。

 レンガ造りの建物が立ち並ぶ、ノスタルジックな町並み。リュナはこの町の景観が好きだった。

 町の中央に一際目立つ高い建物が見える。鉛筆が立っているような細長い形。時計台だ。

 三階建ての横に広い宿らしき建物を見つけ、中に入った。ロビーに暖炉があって、生きた心地がした。

 話をつけ、指定された部屋に入る。とくに下ろす荷物もない。テーブルと、一人用のソファ。ソファはふかふかしていて、読書が捗りそうだ。後で本屋を探そう。それからベッド。暖房器具は見当たらないが、外よりだいぶ暖かい。壁の材質もあるだろう。

 窓から見える外の景色は、夜だ。この町では、いつだってその景色。

 明けない町。

 食事をするために、再び外に出た。肌に突き刺さるような冷気が痛い。

 歩いていると、坂道の階段になっている部分に、人が座っていた。頭を下げて腕で顔を覆い隠し、嗚咽を漏らしている。ポニーテールの女性のようだ。そんなところに座っていて、風邪をひかないだろうか?

 素通りしてもよかったが、女性があまりにも泣きじゃくっていたので、リュナは声をかけることにした。

「大丈夫ですか?」

 女性の嗚咽が止まる。他人の存在に気づいたが、顔を上げるべきかどうか迷っているようだ。

紺青こんじょう色ですね。深い悲しみだ」

 リュナの言葉が気になったのか、女性が顔を上げた。涙で乱れているが、整った顔立ち。二十歳そこそこに見える。泣いたためか寒さからかわからないが、鼻が赤くなっている。

「そんなところにいたら、心もますます冷たくなりますよ」

「あなたは?」

「さあ? 自分が何者かなんて、考えますか?」

「この町の人? ずいぶん薄着に見えるけど」

「寒くて困っています」

「……ふっ」

「何か食べるものがある場所を探しているんですが」

 女性はさっと涙を拭き、それから立ち上がった。

 それは、何かを決心したような表情だった。

「一緒に、行きませんか?」女性が尋ねた。

「高い店ですか?」

「いいえ」女性は楽しそうに笑った。女は表情を変幻自在に使いこなす。「それなりですよ」

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