寂しげな琥珀色

 声の無い少女。

 遠い記憶。

 健気に後をついてくる。

 笑顔の無い少女。

 笑顔を失った少女。

 花のように可憐な。

 純粋な色。純粋な香り。

 砂埃に塗れた頬。

 取り戻したくて。

 彼女の希望を。

 それができたなら――。

 リュナは目を開いた。天井で回転しているプロペラが見える。

 朝の匂いは白く澄んでいて、小鳥の囀りは空色に跳ねる。

 ベッドから下り、バスルームに行き、洗面台の前に立つ。

 鏡の中に、黒髪の、少年とも青年ともとれる顔。青白く、不健康そうな頬のこけた顔。

 冷たい水で顔を洗う。肌に触れる冷たさは風を切るような鋭い音に聴こえる。

 全身黒尽くめの服を着て、フードを被り、部屋から出る。

 夜の街の刺激的な香りは幾分薄まり、静止画のような静けさだ。欲望は朝に眠りにつく。隠れて見えなくなっただけかもしれない。闇に紛れるのが好きなのだ。

 リュナはクールンの街の繁華街から、スラム街のほうへ歩いていく。

 リュナの育った場所。棄てられた末に辿り着いた場所。

 まるで廃墟のような建物の類に、人が住んでいる。荒廃し、朽ちかけていても、それでもそこが人々の家なのだ。

 舗装もされていない砂が剥き出しの道で、二人の小さな少年が座っていた。力なく項垂れている。

 リュナの足音に気づくと、ビクッと少年の一人が反応し顔を上げた。警戒している鋭い目つき。もう一人のさらに小さい少年を庇うように身を前に出す。もう一人の少年は怯えたような顔で成り行きを見守っている。

 リュナはしばらく二人の少年を観察した。悲しみの藍色が見える。それは少年たちではなく、リュナの感情かもしれない。

 リュナは持っていた袋から長くて硬いパンを取り出した。それを少年たちに見せるように差し出す。

 二人の少年は驚きに目を開いたが、次第に瞳に期待の色が輝き出した。

 少年たちはパンを受け取った。何か言いたそうな顔をしていたが、リュナはすぐにその場から歩き出す。

 リュナの生活は昔と変わった。彼を拾ってくれた人がいたからだ。それでも、気づくとこの場所に戻ってきてしまう。それがどういう感情なのか、自分でもまだわからない。

 繁華街のほうに戻り、屋台で簡単な食事をし、部屋に戻って読書をして過ごした。本を読んでいる時が一番楽しい。きっと一時でも、嫌なことを全て忘れさせてくれるからだろう。まるで魔法のように。

 日が暮れ、欲望が動き出す。ネオンが淡く光り、人々を誘い込む。

 リュナは再び、街に出た。


 ネオン街の裏通りにあるその店の名は、『ラ・キュリオ』といった。以前店主に尋ねたことがあるが、どこかの言葉で「好奇心」というような意味らしい。

 広くない木造の店内。照明は海底探査をしている潜水艦のように薄暗い。

 非日常的な独特の匂いがする。赤っぽい、危険な色だ。しかしそれは魅惑的でもある。

 棚には説明を聞かないと何かわからない品々が並んでいる。わからないというより、わかりたくないだけかもしれない。何かの生物の目玉や内臓のようなものもある。断末魔の叫びを表現した仮面は、まるで本物の人間の皮膚でできているように思えてならない。血塗られた書物。きっと本物の血液がこびりついている。呪いをかけられたいわくつきの小刀。この店のことだから、きっと本物の呪いがかけられている。瓶の液体の中でドクドクと脈打っている気味の悪い生き物は何だろうか?

 この店の特徴的なところは、並んでいる不気味な品々だけではない。この店の品は、お金では買えないのだ。それに代わる「何か」が必要になる。その何かは、大抵は購入者の体の一部だ。心臓でも差し出せば、それなりのものを買えるだろう。もちろんそれは、自分自身のものでなくてもいい。

 奥のほうで、店主が椅子に座っている。タイヤ跡のように真ん中部分の頭髪がごっそり禿げていて、側面の白髪は無駄に長い。なぜかいつも目玉が転がり落ちるのではというほど目を見開いている恐ろしい形相だ。鼻はやたらと高く、耳は尖がっている。これから舞踏会に出かけるかのようなタキシード姿。名前を尋ねたことはない。

「いらっしゃい」

 バイオリンのような高音の響き。鳥が枝から飛び立つようなイメージ。

 リュナはこの店主の匂いを読めない。器用に隠しているのか、それともあまりに分厚い影で覆われているためか。人間性を推し量ることができない。どんな生き方をして、どんな人生を送ってきたのか。

 店主の傍のテーブルに黒い布製のものが置かれている。少しひしゃげた三角形に近い形。

 それを見た瞬間、リュナの中で何かが告げた。五感を越えたその上の感覚。

「それは?」

 リュナは指を差して尋ねた。

 店主はゆっくり反応し、黒い布製のものに触れた。

「これか? ただのがらくただ。何の変哲もない、帽子だよ」

「それが欲しい」

「酔狂なお客さんだ」

 あんたに言われたかない。

 店主は見開いた目でリュナを見つめている。そしてこう言った。

「特別だ。タダでやろう」

「ありがとう。でもなぜ?」

「がらくたを譲るのに理由が必要か?」

「タダより高いものはない」

「その言葉、ゆめゆめ忘れぬよう」

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