一巻 エピローグ
第40話 エピローグ
あれから数日、駒形さんは実家との話し合いに行ったそうだ。
結果は、あえて聞かなかった。ある日を境にして、駒形さんが一層晴れやかそうに働いていたことから考えれば分かる話だ。うまくいったのだと思う。どれだけ長い年月の空白でも、たった一度で埋まってしまう。親子なんて意外と、そういうものなのかもしれない。
私も、かなり久しぶりにお母さんに電話をかけた。なにを言われるかとびくびくしつつ、元カレとの同棲を解消したことを告げたのだが、「次の休みは帰ってきなさい」とそれだけ。お咎めすらなく、なになら生活物資の心配までしてくれる。つい甘えたくなってしまった。でも、私だってもう大人だ。仕送りの申し出は、自分の心を叱咤して、きちんと断っておいた。
だからといって、余裕があるわけではない。いつかはもう少しセキュリティのちゃんとしたマンションで、女子部屋コーディネートを。そう夢見ながら、私は今日もダブルワークに勤しむ。目標はまだある。
「うまくなってきたんじゃない? ネギの千切り」
「でもやっぱり駒形さんのようにはいきません。まだまだ頑張らないと」
私も、まともに料理を作れるようになることだ。
こうして仕事の合間をぬって、たまに駒形さんから習うようになった。それは、自炊のため、という名目だけれど、その実はいつか私の作った料理を彼に食べてもらえるようになるため。
「俺の作った料理じゃダメ?」
「……色々あるんですよ、女子には」
元を正せば、もう少しだけ駒形さんとの関係を深めるため。だが簡単にはいかなさそうだ。
「分かったよ。コツは、もう少し手首を固定して──」
まだ目と目が合えば胸は高く鳴るし、不意に近寄られると、体温が上がる。今みたいに後ろから覆い被さられて手が触れ合おうものようものなら、急激に沸騰してしまうのが私。
「ほら、やってみて」
「……えっと、すいません。もう一回お願いします……」
そのまま抱きすくめてほしい、なんて思ったわけじゃなくて、思わぬ近さに集中が削がれてしまって、ほとんど右から左へ抜けていってしまったのだ。駒形さんは指導に熱心になって、気づいていないのだろう。
「まぁいきなり言われたとおりにやるのも難しいからね」
また彼が私の後ろにつく。私の胴を回るように、すらりとした腕が両側から伸びてきたとき、ちょうど、カランと表で音が鳴った。
今日の夜営業、一組目のお客さんが来たようだ。二人して店頭まで出迎えに行く。別に、惜しい、なんて思っていたわけじゃないけれど、若干お花畑にはなりかけていた。心をきちんとセットしてから、挨拶をする。
「いらっしゃいませ」
駒形さんと声が一文字ずれて、ハウリングしたみたいになった。
お客さんともども笑いが起きる。今日も、店内は笑顔が絶えない場所になりそうだ。
そんなこんなで、今日も「蔵前処」は、元気に営業している。
注文と、ときどき謎解きの依頼を受けながら。
(了)
【一巻分完結保証】アフターファイブは蔵前の小料理屋で探偵と。【毎日更新】 たかた ちひろ @TigDora
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