第39話 二人のお話。
「俺から話してもいい?」
「は、はい! どうぞ!」
食欲に支配されて恥ずかしい。私は顔がそれこそタコのよう、真っ赤に茹で上がっていくのを感じながら、ゆっくりと元の位置に戻る。私の腰が椅子に収まると、
「俺さ、ずっと汐見さんの姿に励まされてきたんだ」
こう、駒形さんは、ほんのりと私に笑みを見せた。
「…………へ?」
まさに醜態を晒したばかりだと思うのだが。
「初めにバイトしてもらったとき、汐見さんは、かなり辛い目にあってただろ。でもそれを必死に堪えて、汐見さんは立ち上がろうとしてた。過去を克服しようとしてた。その姿にだよ」
今ここの話ではないようだ。駒形さんは、間髪入れずに言葉を続ける。
「俺ははじめ、汐見さんに実家と対立した昔の自分を見てたんだ。この子は俺と同じで、過去と戦おうとしてる。だったら、その支えになりたい。ならなくちゃいけない。そう思った。
だから、俺は汐見さんをバイトに誘ったんだ。でも、今思えばおこがましかったと思うよ。汐見さんの方が俺よりちゃんと、過去に立ち向かおうとしてた。いつのまにか力になるどころか、その姿に俺は勇気をもらう側になってた」
勇気をもらったのは、私の方だ。駒形さんのおかげで元カレと決別することができたのだ。一人じゃたぶんできなかった。だけど、駒形さんは、私にどれほど元気づけられたか、と弁を振るう。
少しずつ本音を言ってくれるのが嬉しかったとか、私が来てお店がより楽しくなったとか。
言われると、もどかしくなってくる。聞いていなければいけないのが、だ。私だって、まだたかが一ヶ月だけれどこの時間で、いろいろなことを考えた。
幸せだったり、面白かったり、どきどきもしたり、それから少しだけ寂しかったり。
「……それだけ勇気を貰っといて、今回、俺はまた過去から逃げようとした。情けないから知られたくないって、もっとださいな」
私は首を横に振る。情けないなんて思わない。過去とはそういうものなのだ。できるなら蒸し返さないでいたい。それでは、ずっとそこにあるままなのだけど。
「今日の汐見さんを見て、より一層そう思ったよ。自分の情けなさが身に染みた。それから、俺も逃げてる場合じゃないなって思った。親父だって、俺に向き合おうとしてるってのにな」
「えっと、お父様が?」
「うん。この間の岡本さんからの依頼だよ。アジが死んだ原因。あれは、いくらなんでも寿司屋の大将が分からない話じゃない。
たぶん親父は原因が二年目の子のミスだと分かってて、岡本さんが俺に依頼するよう仕向けたんだ。俺が実家に顔を見せるように、それからその子のミスを咎めなかったことで、自分が少しは丸くなったって、俺にわからせるために。素直じゃないよな。俺と同じで」
そういえば岡本さんが言っていた。似たもの同士だと。
「……今度さ、親父と話してみるよ。すぐ仲直りできるかは分からないけど、ひとまず逃げないでちゃんと話をしてこようとは思う。俺はこの店を続けたい。それは単なる反発じゃない。これはもう夢なんだ。だから、きちんとそう伝えてくる。汐見さんのおかげで、そう思えたよ」
報告はこんなところ、と駒形さんは話を切り上げる。少し改まってから、
「ごめん、それからありがとう。あと、よかったらこれからも、ここで働いてほしい。長くなったけど、汐見さんにこれが言いたかった」
こう輝く茶色の瞳で、私を真摯に見つめた。
思いと言葉が、今に頭から溢れ出しそうだった。それから枯れたはずの涙も。今日は涙腺が弛んでいるのかもしれない。
ごめんなさい、とありがとう。私だって何回でも言いたい。文章になりきらないで浮遊している感情も、そのままに伝えたい。
でも、一言にきゅうっと凝縮するなら。
まだ駒形さんが言いたいことはあるのかもしれないけれど、もういよいよ順番待ちなんてしていられない。踏み越えてはいけないラインも一度またいでしまえば、怖くない。脈絡もないけれど、別にいい。
今日の夕方から、私は言いたくて仕方なかったのだ。
「私、駒形さんは、めっちゃ格好いいと思います!」
と、こう言いたかった。が、反応はいまいちで。
「……え、あぁえっと、ありがとう……? あー……、それで汐見さんの話っていうのは?」
「え、今の、なんですけど」
「それが言いたかったこと? あははっ、やっぱり面白いな」
「わ、笑わないでください! 色々理由はあって、その……」
さすがに端的に言いすぎた。これじゃあ依頼前の琴さんみたい、見た目だけのことを言ってるようだ。もちろん容姿は格好いいのはたしかなのだけれど、今回はそれだけの話じゃない。
全て引っくるめて、だ。お客さんを喜ばせるために料理やの傍らで探偵業をしていることも、こんな私への優しさも、なにも。本人がどうしても自分を情けないと思うなら、私が代わりに横から、格好いいと言い続けたい。
「とりあえず、たぶん言いたいことは伝わったと思うよ。ありがとう」
「えっと、本当に? 今ので?」
「ははっ、うん大丈夫。励ましてくれてるのはよく分かったよ」
「そうじゃないんです! 本当にそう思ったんです!」
私はヒートアップするが、駒形さんはふいっと顔を背ける。なぜかそのまま、手近にあったビールグラスを意味なく持ち上げては置く。
「わ、分かったよ。じゃあそろそろ玉子焼きの二回目焼いてくるから」
本気なのに、冗談ととられたみたいでちょっとむっとした。
「私も一緒にやらせてください」
私は、後について、キッチンまで乗り込んでいく。もうここまできたら、いけいけどんどん。
「い、いいけど。むしろ俺よりうまかったりしない?」
「ありえません! これがこれまで食べた中で一番美味しかったですもん!」
駒形さんはなぜか相変わらず私を見てくれないまま、生地のタネをホイッパーでかき混ぜていく。作業台の上には小麦とタコと卵。余計なものは使っていなかった。これなら私にもできるかもしれない。
「これ、レシピとかあるんですか? 教えてください」
できるなら家でもやりたい。鉄型を買うくらいのお金なら、今はある。しかし駒形さんは、うーんと唸ったきりだった。
一向に目も合わせてくれないまま、
「ねぇ汐見さん」
「はい? なんでしょう」
「次から玉子焼きが食べたいってなったら、さ。俺が作るって言うんじゃ、……だめかな?」
あったのはレシピ以上の話だった。なんと私の玉子焼き専門シェフになってくれるのだという。
「えっ、いやいや、そんなわけにはいきません! まかないだって食べさせてもらってる身なのに」
魅力的ではあったけれど、駒形さんはそんな低い役回りに割り付けていい人ではない。その黄金の腕は、色んな人を幸せにする料理をなすためにあるのだ。
駒形さんは、「そういうことじゃないんだけど」と、仕方なさそうに頭をぽりぽりと掻く。少し頬が赤く腫れぼったかった、どうしたのだろう。
「はぁ、……まぁ焦る話でもないか」
「なにをですか? まだひっくり返すには、早いってこと?」
「ううん、こっちの話。そろそろ裏返そうか、やってみる? 得意でしょ、関西人」
やっと、私を見てくれた。
綺麗に透き通った顔に笑みが浮かぶ。どうしよう。見てほしいとは思ったものの、格好よすぎて、今度は私が逸らしてしまいそうだ。こんなことでどうする、私。
でも、駒形さんが言うのと同じだ。まだ焦る話ではない。ちょっとずつ、近づいていけばいい。
だって、まだまだ私はここでバイトを続けていくのだから、きっと。
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