前世、龍に捧げられた生贄ですが、普通に現代に転生しました。(短編)

雨傘ヒョウゴ

前世、龍に捧げられた生贄です。

 ざあざあと、雨が降っていた。


 いつまでも降り止まない雨の中で私達は、ただ静かに死を待っていた。崩れ落ちる土砂の中で、生き埋めになる運命を想像して、小さなろうそくの明かり一本がゆらゆらと揺れている。

 目の前には、村長がいた。刻まれた皺がひどく重たげで、頭をたらしてしずしずと声を出した。


「誰かが、犠牲にならねばならん」


 おぎゃあ、と赤ちゃんの声が響き渡る。よしよし、よしよし。怖くないね、とお隣のお姉さんが赤ちゃんを抱えていた。けれども、その手は震えていた。


「龍神様に、願うしかない。人柱を用意し、石を抱いて海に飛び込む。すでに、逃げ場はない。この村が崩れれば、全員が死ぬ。そうなる前に、誰か一人の生贄を作らねばならん」


 ざあざあと、雨が屋根を叩きつけた。

 ――――それは一体、だれが?


 誰も、言葉を落とさなかった。ただ、赤ちゃんだけが泣いていた。私は震えた。拳を握って、怖くて、怖くてたまらなかった。でも。「わ、わたし、が……」 母と父が悲鳴をあげた。「わ、わたしが、生贄に、なります……」 だって、考えたらそれしかなかった。


 村長は老人だ。けれども、彼はひどく頭が回る。彼がいなければ、村は立ち行かない。だから、いなくてはいけない人だ。

 大人は数を減らしてはならない。彼らがいなければ、それこそ生きてはいけない。

 じゃあ、少し若いお姉さんはどうだろう。もちろんだめだ。泣いているあの子を産んだばかりで、あの子を生かすために、おっぱいをあげないといけない。

 じゃあ、私の弟や、妹たちは? みんなわけもわからず、きょとんとして指をしゃぶっていた。そんな子たちに死ねと命じることなんてできやしない。


 だから、私だ。

 大人のように役割もなく、力もない。いなくなっても困らない。弟たちより、少しばかりものを知って、少しだけ長く生きた。だから私しかいなかった。怖かった。しんそこ、恐ろしかった。でも私一人の死で、たくさんの人が守られるのなら。村が、続いていくのなら。荒れ狂う海の中に飛び込んだ。


 苦しかったと思う。

 抱きしめていたはずの石は、気づいたらどこかに行ってしまった。それでも、必死に願った。

 龍神様。どうか、どうか。私がそちらに赴きますので。この雨をおさめてくださいませ。


 彼らに、恵みをくださいませ。






「あ、う、お、ほう……」


 授業にて先生に質問をされたときに、前世の記憶を思い出した私の気持ちを、誰か分かってくれるだろうか。「お、大丈夫か神田。わからないなら座っていいぞ」「は、はふい……」 気が抜けすぎて変な声になってしまった。


 ぐったりと机に座り込んで、目の前の黒板を見る。学校だ。大丈夫。自分の両手をにぎにぎした。前世の私は、竜神の生贄としてその身を捧げて、死んでしまった女の子だった。

 でも大丈夫、私は生きてる。元気です。


 小学校に入学したばかりの自分の年齢と、夢の中の女の子は、そう大した年の差があるわけじゃないのに、すごいなあ、と思った。誰かを守るために消えてしまうだなんて、とても怖い。あの女の子もそうだ。足を踏み出すこともできないくらい震えていたのに、誰かに背中を押させることもできなくて、自分から荒れ狂う海に飛び込んだ。そして、家族の幸せを願った。


 私は何を、どう感じればいいのかもわからなくて、ぐっと胸が痛くなった。

 でもすぐにお腹がへってしまった。だって次は給食の時間だ。私が私となる前に、誰かだったということは中々驚くことだったけれど、だからと言って私が変わるわけじゃない。


 チャイムの音がきこえて、給食係の人たちが白いエプロンで準備する。机を合わせて、給食セットを準備した。外ではひらひらと桜の花びらが落ちている。綺麗だなあ、と思いつつ、手を合わせて、いただきます! と号令の声がきこえたから、慌てて手のひらを合わせた。ほかほかと、おいしそうなご飯だ。


 給食はいつもと変わらない。コッペパンに、焼きそばと牛乳で、私はあんまりお肉が得意ではなかった。ううん、と眉をぐねぐねさせてがんばって食べて、いつも時間いっぱい頑張っているつもりだけれど、やっぱり全部食べられない、というときも多かった。


 なのにどうだろう。お肉も、全部本当は死んでいる。そう思うと、ふと消えてしまった彼女の記憶が蘇って、ぽたりと一粒涙が溢れた。


「おいブスミコ。腹でも痛いのか。みつあみ引っ張ってやろうか」


 美子とは私のことである。そして彼は私をいじめてくる隣の席の新巻くんである。ひとつぶ、ふたつぶ。溢れた涙が重なったときに声を掛けられたものだから、ちょっとタイミングが悪かった。

 ぶえーっと泣いたら、新巻くんはびっくりして、「なんだよ! ブスって言ったからかよ! なんなんだよ!」と目を白黒して叫んでいた。私はそんな新巻くんに、「だめだよ!」と叫んでいた。


「新巻くん、さっきいただきますしなかったでしょ! いただきますは、しなきゃだめだよ!」


 もちろん、八つ当たりである。でも本当にそうだ。命をいただきます、なんだから。「う、うええ」 なんだよ、なんだよ、と彼はぶつぶつ言いながらも、ゆっくり両手を合わせた。よくできました、と笑って、涙を拭った。私の心の中の女の子も、えらいね、と笑っていた。



 ***



 ところで、私は生き返ってしまったけれども大丈夫なのだろうか。

 生き返った、というよりも、難しい言葉で言うのなら、転生した、と言えばいいのかもしれない。ぐるぐると、落ちていくあのときのことは今でもはっきり覚えていた。あんなに荒れ狂った海だったのに、落っこちると静かで、真っ青で、とぷとぷと沈んでいった。真っ直ぐに、手を伸ばした。


 そのとき、私は竜神を見た。長い体をぐるりとさせて、私が伸ばした人差し指を、ちょんと鼻の頭でつついた。私があなたの元へ赴きますので、よろしくお願いしますと。声もなく伝えた思いは、しっかりと彼に伝わっていた。

 優しい瞳だった。


「おい、ブスミコ!」

「ブスじゃないよ」


 ランドセルを背負って、すたすた歩きながら無視した。みつあみは引っ張られる前にキックである。


「お前、今日変だぞ」

「新巻くんほどじゃないよ」


 あの龍は、一体どこにいったんだろう。今も海の底にいるんだろうか。それは少しさみしいな、と思ったとき、家についた。「なんだこいつ」 新巻くんが、私の家の前にいる男の子に指をさした。


「竜くんだよ。幼稚園に通ってるの。お隣の子」


 彼は生まれたときから一緒にいる。少し長い髪の毛の男の子で、じっと新巻くんを睨んでいる。


「な、なんだお前。おい! こいつ目つき悪いぞ」

「失礼なこと言わないで。私の幼馴染なんだから!」

「ひ、ひい! 噛み付いてくるぞ!」

「ちょっと無愛想な子だけど、そんなことするわけないでしょ……ってほんとにしてる!? 竜くんやめて!?」

「がるるるるる」

「や、やめ、はなせーーー!!!」

「竜くーん!!!」




 ***



「おいブスミコ。いい加減外に出たらどうだ。俺が華麗にサッカーをしてるところを見せてやる」

「図書館にやってきて、わざわざ喧嘩を売るのはやめてね新巻くん。私は図書委員なんだからね」

「本なんてつまんねーだろ。見ろ、この素早いフェイントを」

「わけがわからないし、同じ文芸部員の台詞とは思えないよ」

「ははん。サッカー部は週に一回、休みがあるからな! そこに部活を当てはめると文芸部しかなかったんだよ!」

「適当すぎる決め方だね。あ、竜くん。どうしたの、ああ、次の合評の準備かな」

「ひゃ、ひ、ひいいいいい!!!」

「すごいね。とても華麗なフェイントを使って、竜くんから逃げているね」



 ****



「美子! お前がおそすぎて、俺も高校に遅刻する! わざわざ迎えに来てやったことに感謝しろ! おら、後ろに乗りやがれ!」

「誰も一緒に行こうとは言ってないし、私は遅刻したことないよ。新巻くんが一人で突っ走ってるだけだからね」

「俺は朝練がある! 急がにゃならん!」

「びっくりするほど人の話をきいてないね」

「おらおら、自転車で行きゃすぐだからな。お、美子お前案外重いな。進まねえな。うお、うお、うお!!!?」

「さっさと行け。この巻き貝め」

「足の裏で地面に縫い止めながら言う台詞じゃねーーー!!!」

「竜くんも同じ学校に受かってよかったね」




 ***



「飲み会!? 大丈夫か!? 俺も参加すべきじゃね!? 今から文芸部に入部するわ!」

「新巻くんはサッカー部でしょ。大学での部活の掛け持ちは禁止だからね」

「サッカーやめるわ!」

「潔すぎて驚きしか溢れないよね。無視しとくね」

「待て! 最強のカードを召還する! おーい竜、おい、おいおーい!」

「電話越しに叫ぶのやめてあげてね。っていうかいつの間にかアドレス交換してたんだね」

「ん!? そうかお前も参加するか! そんなら安心だ! 問題ないな!」

「竜くんへの信頼が強すぎて困惑するよね」






 たくさんの時間が流れた。

 色んなことを、思い出した。

 本当に、大丈夫なんだろうか。いいんだろうか。ベッドに転がりながら、天井を見つめる。ちくたくと、時計の針が進んでいく音がする。ただ、『俺』は考えた。ゆっくりと瞳をつむったそのときだ。




 一匹の、龍の角を、俺は必死で掴んでいた。「え、お、お、お?」 頬を冷たい風が頬を叩いた。真っ暗な夜の中を、ただ真っ直ぐに竜は切り裂き、進んでいく。なんだこれ。目を白黒させて、再度角を放すものかとしっかと握った。硬い鱗の感触は、たしかにあった。ばたばたと正面から風をうけて、前髪が暴れている。


 竜だ、と。

 なぜだかそのとき、俺はそう思った。夢だと思ったからかもしれない。必死に掴んで、体をよじ登らせて見下ろした目つきの悪い瞳が、ひどくあいつにそっくりだった。考えたあとで、バカバカしいと笑った。でも、今の状況そのものがバカバカしくて、笑うとあまりの寒さに口の端がかじかんでいた。


『お前は、知りもしないことだが』


 龍が喋った。いや、ゆっくりと俺の頭に染み込む、不思議な声だった。男の声ではあった。


『美子は、僕に捧げられたものだ。僕のもとに赴くと言った。だから、彼女が消えたあとも、僕は彼女を追いかけた』


 彼女の願いは、たしかに叶えた、と言うその言葉の意味はよくわからない。追いかけた。どういうことだ。『だから』 龍は続けた。


『今生ばかりは、お前に美子をやろう』

「……ああ?」

『僕は、彼女が生まれ変わっても、何度だって追いかける。僕が求めるものは、彼女の幸せのみだ。彼女が望むのならそれでいい』


 けれども次はないと。

 静かに告げられた言葉に、腹が立った。「おいおい」 おっかない長い角を思いっきり掴んだまま、叫んでやった。「誰が今回ばかりだって? 馬鹿いうなよ、俺だって、何回だって追いかけてやるぞ!」 どれだけ昔から好きだったと思ってるんだ。幼い頃の馬鹿だった自分なんて大嫌いだ。次があるなら、もっと上手くやってみせる。いや、違う。


「何回だって、好きにさせてみせるからな!」


 一体、俺は龍の背中に乗りながら、何を叫んでいるのか。


『吠えておけ。美子は、必ず幸せにしろ』

「当たり前だろ」

『浮気は許さん。したら奈落の海に沈めてやる』

「恐ろしすぎるし、もともとするわけないだろうが!」

『金を稼げ。もっと甲斐性のある男になれ。将来的に足を伸ばせ』

「注文多いな!? もちろん頑張るっつーの! あと足はもう伸びねえよ!」


 ぐんぐんと、空を上っていく。夜空の中をかけていく。散りばめられた星が、ちかちかと周囲で輝いて、溢れて、落ちて、また新しく生まれた。まるで空の海を泳いでいた。


『必ず、約束しろ』


 お前なんて、僕達が出会ったときに海の底にいた、ただの巻き貝だったくせにな、と呟かれた声が最後に聞こえて、ハッと目を覚ました。ちくたくと、時計の音が聞こえている。「ゆ、夢、か……?」 ひどく現実味のあるものだった。首を傾げて、手の中に何かを握っていることに気づいたから、ゆっくりと開くと、とても大きなうろこだったものだから、ひえー! と大声で叫んだ。



 ***



「おい、竜。よく来たなこのやろう」

「君に招待されたわけじゃないよ。美子に呼ばれたから来たんだよ」

「はっはあ。口が減らねえイケメンだ」

「お褒めにあずかりありがとう」

「二人とも喧嘩はしないでね」


 やめようね、とぱちぱちと両手を叩く美子を見て、竜はいつもは無愛想な顔をにっこりと笑わせた。「綺麗だよ、美子。おめでとう」 ありがとう、と首をかしげて、白いドレスを着た彼女は、本当に可愛らしかった。

 それじゃあ、また会場でね、と消えた竜の背中を見て、「なあ、美子」 ふと、尋ねた。


「なあに、新巻くん」

「もしこれが、夢だったらどうしよう。次に目を開けたときには、俺はただの貝かもしれない」

「まさかのお悩み」


 彼女は常に静かに俺に対してツッコミをする。「いやほんとに」 どうしようか、と彼女をそっと抱きしめると、美子は笑った。「どうしようか。困ったね」 でも大丈夫と言った彼女の耳元で揺れたイヤリングが、きらきらしていて星のようだ。



「そのときは私も一緒に追いかけるよ」


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前世、龍に捧げられた生贄ですが、普通に現代に転生しました。(短編) 雨傘ヒョウゴ @amagasa-hyogo

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