記憶



「え……あ、はい」

 喉に言葉が引っかかって、うまく出てこない。そんな僕に叔母はスラスラ言葉を投げつける。

「そう。じゃあ、裏庭でも散歩してきたらどう? もう大人なんだもの。大丈夫、でしょう?」

 その言葉に声が出ず、弱々しく頷くことしかできなかった。



 この家の敷地は広大だ。母屋のほかに離れと納屋、家で消費するだけの農作物を作る畑に山菜の採れる裏山と、贅沢をしなければ困らない。

 裏には母屋の真裏に位置し、あまり手入れのされていないあぜ道の向こうには細い小川。その向こうにはじめじめとした湿地が続き、セリや可憐な花をつけるワスレナグサ、握ると爆発するガマの穂などが鬱蒼と生い茂っていた。

 その景色は子どものころからいまも変わらない。


 本来なら「懐かしい」と思うべきこの景色も、叔母の言葉のせいで別の感情が先行していた。きっとそのせいだ。背中にはじんわりと冷や汗が滲んで、肌着のシャツがベトリと肌に張り付いたのは。

 

「もう、ここに来ることはないと思ってたのに……」

 僕は湿地に30センチほどの高さに伸びたジュズダマを見つけ、ボソリと呟いた。



 あまり思い出したくないけれど、この――祖母の家には、保育園児のころ少しだけ住んでいたことがある。

 仕事の都合で海外赴任となった両親が「息子を連れて行くべきか」などの下見のため、ふたりで渡航することになったのだ。そのあいだ僕は都会のマンションを離れ、公園もなければコンビニもないこの山村に預けられていた。


 いくら祖母の家とはいえ、初めての田舎暮らしは退屈だった。遊びに行こうにも公園などなく、お菓子の買える駄菓子屋も子どもの足では30分以上かかる。

 でもそれを不便に感じたのは最初の数日だけで、幼い僕は見渡す限りの自然のなかで過ごすうちに、この場所が好きになっていたのだ。

 僕に甘い祖母と、当時は優しかった叔母。そしてその娘で、ひとつ年下のサヤカ。子どもが少ないこの土地で、僕たちは短い期間ではあるものの、本物の兄妹のように仲良く暮らしを楽しんでいた。

 

 あの日が来るまでは。


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