第十三話 複雑な関係

「ちゅうじさん」


 忠治の意識を戻したのは、健気にも千太郎であった。忠治は夢のためか一瞬それが自分の患者だった男に見えてしまって、その名を呼びかける。途中で気づいて目を細めた。


「何だ、お前か……ますます銃太郎に似て来たな」


 はぁ、っとため息をついて、忠治は目の前の黒髪を撫でた。身体は仰向けに寝かされているが、池からは少し離れた土の道の上だった。


「『神様』はどうした」

「俺が追い詰めて、その間にあすこにいる爺さんが人を呼んで来てくれて、大人数で簀巻きにして連れてったよ」


 千太郎が真っ直ぐ指差した先には、先ほど忠治たちを水辺へ案内した老人が一人、佇んでいる。道の中央に立って、こちらではなくその道の先を見ていた。恐らく、運ばれて行く『神様』を見ているのであろう。


 身を起こそうとすると、草地に島根の黒い外套が敷かれていることに気づいた。こういうところが意外に紳士的なのだ。そうして島根本人も池の端からひょっこりと姿を現した。何だか沈黙して考えこんでいるようである。


「どうした、島根」


「あぁ、私が潜入させていた部下ですがね、池の脇に茂みがありましたでしょう、遺体で見つかりましたよ。村人にやられたのではないようでした、先ほどの遺体と、傷口が一緒でしたから」


「そうか、それは可哀想なことだったな」


 島根に答えて頭を振ると、さっきの残像が見える。紅い唇の少女の首が二つ。明らかに殺意も感じたが、同時にどうしようもないような深い哀しみも感じ取れた。


「忠治さん」


 いつの間にか千太郎は立ち上がって上から忠治を見つめていた。猫背の忠治は、本当の丈は彼より大きいのであるが、腰をやってからというもの背筋をまっすぐにすることが困難だ。それが年相応よりも老いて見えるらしく、より千太郎との年の差を感じた。


「お前、母親を覚えているか」

「母さんを、どうしてです」


 千太郎は黒髪の隙間からこちらを見降ろした。彼の白目が真っ正面からの月の光を反射する。年が若いので、それは出来立ての真珠のように艶やかに光を放つ。その下の唇は薄く、その色はやはり血みたいな紅だ。


 忠治はそれと同じ色に吸いついた夜を思い出す。あんな得体の知れない女に手を出してしまったのは生涯の失敗の一つだ。いやあれはきっと、幾度となく見る夢のひとつに違いない。そう自分に言い聞かせて首を振ると、面白そうに島根が茶々を入れて来た。


「おやおや、その話題良いんですか。貴方たちの秘密だと思っていたのに」

「島根、全てを知っていると思うなよ」

「おー怖い、確信をつきましたか」


 忠治がねめつけても島根は怯むことなく続ける。何だか大人げなくカチンとしているようにも見えた。島根はこんな風に自分だけが何かを知らず、仲間外れになることに敏感だった。


「おや、忠治さんまで坊主と似たようなことを仰るのですね。さてはあの時に起きていましたね、狸だ、忠治さんたぬきだ」

「鳥取……、お前五月蝿いよ」


 千太郎はまるで自分の方が大人のように、ため息をついて目を細めてから、島根の背中を足蹴にした。しかし口が回り始めた島根を止める術を、長いつき合いの忠治ですら未だ知らない。


「いや、黙らない、だまらないよ僕は。調べたら君のご実家のお婆様は、旦那さんが早くに亡くなられてお子さんがおられなかったそうじゃない」

「…………」


 千太郎は黙って顎で先を促した。両腕を組んで涼しい顔だ。でもその心情を、忠治は思いやって立ち上がろうと後ろに手を回す。書生の噛み締めた唇が、少し震えたように見えた。


「それでホウボウ人を使って、君の父親とやらがどこから養子にもらわれてきたのか調べたのさ、するとお婆様には妹さんがいて、若いころどこぞの知らない男の種を孕んだと。それで妹さんが亡くなられてお婆様が君の父上を引き取ったわけだ」


 忠治は千太郎に支えられて起き上がると、背に敷いていた外套を払ってベラベラ喋り続ける島根に渡した。島根は指先でそれを後ろに担ぐように背負うとまだまだ話し続ける。


「その本当のお婆様は残念ながら亡くなられたそうだけれども、その方と関係したってのが忠治さんなんでしょう」

「いかにも」


 『だからどうした』とばかりに、忠治は澄まして答える。まるで二対一のように島根と対峙する。傍らに立つと、千太郎が励まされたように険気を強くしている。


「つまりアレじゃない。二人は結局祖父と孫ってことでしょう。道理で仲が宜しいと思いましたよ~。水臭いなー、教えてくださっても良かったのに」

「それを聞いて何が変わるんだ。俺たちのことより、お前の部下のことをもっと想ってやらないか」


 戒めるように半目で睨んでも、このお調子者の元部下には効かないきかない。初夏にあった事件のしおらしい姿は、やはり偽りであったかのように思えてしまう。


「いや、だってしくじったのは彼ですからね」


 島根は悪びれもせず笑んだ。千太郎は島根の部下のことには全く興味を示さないようだった。その代わり、向こうから灯籠を持って再び戻って来た老人に向かって刀を構える。

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