第八話 月夜の近道

「忠治さんに食ってかかってんじゃねぇよ、田舎もんが」

「まぁまぁ、僕のために争わないで」


 島根がしゃりしゃりと出て来て『しな』をつくると、千太郎が大げさに「げー」っと吐く真似ごとをした。それに顔をしかめながらも島根はどうにか話を元に戻す。


「つまりだ、村へはこの崖を登って行けば近道なわけだな」

「んだ」


 島根の確認に、男は力強く頷いた。すると、それに島根はうんうんと頷き返す。パンっと自分の胸を平手で叩くと顎を上げて高らかに宣言した。


「よし、じゃあ君はここで待っていると良い。僕らが駐在さんの代わりに村へ行って様子を見て来てあげるから」

「あんたらがぁ」


 親切そうに胸を叩いた島根を、青年は疑わしそうに革靴の足先から帽子のてっぺんまでじろじろと見上げた。胡散臭く思う気持ちは、忠治にも良く分かる。


「僕はこう見えても『元』陸軍の軍医なんだぜ、駐在に頼らずとも平気なわけ」

「ぐんい~」


 島根の正体に、青年の心が収まるかと思えば逆に目を吊り上げてくる。『陸軍の軍医』だなんて、色々なことへの免罪符になる便利な役職だと思っていたのだが……。


「軍医は駄目だ、『奴』が来たせいで、この村は……」


 ドムリと鈍い音がして、全身茶色の男はぐぅうと突然呻いた。言いかけた言葉の先を告げることなく、前のめりにかがみ込む。忠治はどうしたことかと目を見開いた。


「おっと」


 男はとうとう白目を向いて、そのまま島根に向かって倒れ込んだ。無慈悲な島根はひょいっと右に逸れて、村の青年は顔面から地面に落ちることになる。


「問答がめんどくせぇ、長過ぎるよ」


 倒れた男の背後には、悪びれもせず竹刀袋を肩に担ぎ直した書生が立っている。会話の進まなさ具合に腹を立てたのか、千太郎が後ろから男を殴り倒したのだった。


「本当に駐在に駆け込んだところで、解決できるとも思えんしなぁ」


 島根が難儀そうに首をコキリと鳴らして、千太郎の行動を正当化する。この二人の根底は似ているのではないかと、最近忠治は気づき始めた。


「先ほど、この男は『軍医』がどうのとか言ったな、どういうことだ」


「いえ、何ヶ月か前から私の部下を一人潜入させていたんですよ。それが最近連絡がまばらになって来ていて、この分だと見つかっちゃってるみたいだけど。その者のことでしょう……だから、急ぐ必要があったのです」


「軍人なぞ、今の日本国において珍しくなどあるまい。だが『潜入』とはまた、大層なことだな」


 忠治は部下の安否を心配しているのではないかと思い、島根を気遣って軽い調子で言葉を掛けた。すると、島根は大きな目をパチクリとしてから忠治に向かって笑いかける。


「この上の村は変わっていましてね、きっと『神様』を匿うために半ば鎖国みたいになっていたんです。他の村への影響力を考えると、そこだけに情報が留まっているのは僕らにとっては有り難いことなんだけれど」


「あの者たちの異様さはね、まぁ登れば分かりますよ。部下は『見つかった』となると、無事ではないかもしれないし」


 そんなことを、先ほどまでの真顔とは逆にニコニコとしながら呟く。島根のこういった掴みどころがない言動が、忠治をたまにぞっとさせる。


 忠治も昔、軍医であった。外地に赴きもした。島根はその時の部下であり、そのころから少しも変わりはしない。不遇体質の忠治は、どういうわけか嫌な事件に頻繁に遭遇し、そのたびにこの島根と一緒に解決を望まれた。


 引退してもまだちょっかいを出してくるのは、今までにある程度『結果』を残しているからだ。


「忠治さん」


 急な呼びかけに振り返ると、千太郎は男が降りて来た崖上を見上げている。忠治も傍らに立って上を仰いだ。すると、そこにはぼんやりとした橙色の光が、心配そうにゆらゆらと揺らいでいる。


「人魂か」

「そんなわけがありますか。きっとこの『でくの坊』が村に出るのを助けた者がいるのでしょう」


 忠治の独り言のような呟きを、すかさず島根が拾う。揚げ足を取られたように感じて忠治は顔をしかめる。千太郎がその気持ちを抑えるように忠治の肩にさり気なく手を添えた。


「……ここを登れば近道ということですね」


 千太郎が夜風に髪をなびかせながら確認した。崖とは言えど、切り立っているわけでもなく、草むらに隠れて細い山道が月明かりにひっそりと見えた。


「よし行こう。さっさと終わらせて柳葉魚シシャモで一杯やりたいもんだ」


 そう自分を励ますように忠治は言って、黒い鞄からゲートルを無造作に取り出すと、自分の足に丹念に巻き始めた。白く目立ち始める忠治の脚は、月の光を受けて目に痛く感じられた。

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