第十五話 井上の末路
それだけを淡い髪の下から呟くと、遙はフラリと背を向けてこの牢獄から出て行った。あとにはいつのまにか灯された蝋燭がゆらゆらと揺れている。忠治は膝をついて俯いた。『絶望とは、こういうことだ』と、誰かに突きつけられた気持ちだった。
チャラリと、まだ奥で物音と息遣いがした気がした。そうしてそれは忠治のすぐ後ろにいつのまにか迫って来ていた。忠治は脂汗を流しながらゆっくりと振り返り……。
「忠治さん」
「ひゃあああああ」
しかし声はその牢獄の奥からではなく、遙が立ち去った入り口から聞こえた。
「し、島根。お前」
「何だ先生、腰を抜かさんばかりじゃないですか」
蝋燭のわずかに照らされながら、島根は力なく嗤った。伏せ気味の長い睫毛が、島根の彫刻のように整った頬に濃い影を落としている。
「ちょっと離れていてください」
そう言うと島根は懐から小型銃を取り出して、格子戸の鍵部分を何発か打ち抜くと、その長い脚で蹴破った。
「お前、どうして」
「途中で引き返して来たんですよ。悪い予感がしましてね」
そう島根が答えると、またわずかに金属音がした。
「そうだ、井上先生が奥にいらっしゃるようなんだ。鎖の音が聞こえるのだよ」
「……鎖の音は振動ですね、ほら、天井から鎖が吊り下がっている。誰かが階段を上がっているのでしょう」
島根が蝋燭を持ち上げて灯りを天井に向けると、彼が言った通り鎖が石の天井から柳のように吊り下がっていた。島根は、長い腕を伸ばして、灯りをかかげると、忠治が怯える奥を照らし出した。
「……っ」
現れた人間は、ピクリとも動かなかった。彼の身体を這い回る虫たちに、忠治は袖口で口元を抑えた。これは確実にもう命を失っている。
「生きてはおられぬようですね。いやしかし、……探しましたよ井上先生」
島根は決して奥には近寄らず、そこに両腕両足を鎖で繋がれた亡骸を見つめて目を細めた。しかしそれは一瞬で、すぐにその光景に背を向ける。
「この場所は一体何なんだ」
「ここは、『上層部にも上げられないような実験』をする場所……とでも言ったところでしょうか。噂には聞いていましたが本当に在ったんですね~。取りあえず出ましょう、遙が上へ登っている」
「お前、すれ違ったのに取り逃がしたのかっ」
「猫みたいに速いんですよ、坊主と良い勝負だ。脇をすり抜かれましてね、痛いいたい、先生殴らないでください」
忠治の拳を避けるように、島根がそのまま地下の階段を上がって行くので、忠治はこんなところに一人ではたまらないと、彼の大きな背中に続いた。
「千太郎は」
「律儀に洋介君について行きましたよ。時間稼ぎとは知らずにね」
「お前、俺が二階から落とされるのを黙って見ていたのか」
「ここに到着した時はもう忠治さんの姿はありませんでしたよ、見ていたら流石に止めていました。そこまで薄情じゃありませんよ」
島根がそう答えると二人は秘密の入り口にようやく登り着いた。すると、何とそこで外から入って来た和臣に出会した。
「あっ」
忠治が思わず声を出す。すると和臣は悪びれる様子もなく真顔のままだった。チラリと島根を見つめると、何とわずかに笑った。階段はそのまま上にも伸びている。
忠治が口を開きかけたが、島根が大きな手で蓋をする。通せんぼするように立ち止まって、和臣が階段を駆け上がって行くのをただ見つめた。白衣の裾を見送ってから、島根はやっと口を開いた。
「僕らは出ましょう、彼とは事情が違う」
「どういうことだ」
島根は今度は忠治の腕を力強く引いて無理矢理塔から共に脱出した。日陰から連れ出されて、塔の正面側でようやく腕から手を外された。島根が口を開く。
「井上先生を監禁していたのは遙でしょう。そうして和臣はそれを助けていた」
「……何でそんなことを」
「遙が井上先生に殺されかけたからですよ、あと彼は彼女にとって……」
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